#4

 花火大会の日、夜七時前。

 皐月は弥生と彼女の友人二人に見送られ、辛木川に向かった。小遣いとして千円をもらったので、何を買おうか。

 辛木川は皐月の住んでいる団地からは自転車で十分ほど。市街地からは少し離れており、普段は橋を自動車が行き来するだけで、歩行者の姿はほとんどない。辛木川より西側は、田んぼが広がる長閑な風景が広がっている。もう少し西に行けば隣町になるそうだ。

 だが、今日は橋も河川敷も、人でごった返していた。河川敷には出店が並んでおり、道路には交通整理の警備員があちこちにいる。普段とは打って変わって賑やかなものだ。

 皐月は適当な場所に自転車を停めて、河川敷に向かう。駐輪場とは書かれていなかったが、警備員は何も言わなかったので大丈夫だろう。他の自転車もたくさん停めてあったし。

 霞はソース味が好きみたいだった。なら、焼きそばにしておこう。たこ焼きも考えたが、霞のところに向かうまでに冷めてしまいそうだ。冷めたたこ焼きはきつい。

 焼きそばは二人分で五百円だった。他に何か買えないか見て回ると、フランクフルトが二本買える。百円残るが、それは懐に。

 こんな賑やかな場所に一人きりなのは正直寂しい。目的のものも手に入ったし、早く立ち去ろう。

「あ。さっちゃん、さっちゃーん」

 千歳の声がした。その方向を見てみると、浴衣姿の千歳がいた。その横には同年代の女の子が二人。友達だろうか。

 千歳がぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる。手元には浴衣と同じ柄の巾着袋と、水風船のヨーヨーがあった。巾着袋にはファルコンズのマスコットのぬいぐるみがぶら下がっている。

「ちーちゃん」

「あれ、一人なの?」

「まぁね。お姉ちゃんが友達呼んで騒いでるから、買出し頼まれて」

 ちょっとだけ嘘をついてしまった。霞のことを言ってしまうとややこしくなりそうだし、仕方ない嘘だと思っておこう。

「ちーちゃんは友達と?」

「うん。友達の深雪(みゆき)ちゃんとあおばちゃん」

 千歳の友達だという少女と目が合った。二人とも会釈してきたので、こちらも会釈。

「お姉ちゃんから聞いたけど、昨日、ドームに行ってたってね。いいな、サヨナラだったじゃん。盛り上がったでしょ」

「うん! 秋川がパカーンって! もう、すっごく嬉しかった!」

 昨日はサヨナラ勝ちだったので、ファルコンズの話を振ってみたとたん、千歳は目を輝かせた。確かにサヨナラ勝ちとなればテンションも上がるだろうが、この喜びよう。ファルコンズ、本当に好きなんだなぁ。

「今年はこれで四勝一敗だよ。凄いでしょ」

 千歳が胸を張った。現地に五回も行っているとは、本当に熱心なファンだったようだ。

「五回も行ってるんだ、行きすぎじゃない?」

「そうかな?」

「ねー、ちぃ、その子だぁれ?」

 千歳の友人二人がこちらに来た。ショートヘアと、ベリーショートの女の子。二人ともボーイッシュな感じだ。

「あ、幼馴染の如月皐月君。さっちゃん、この子が友達の」

「ども、白雪深雪(しらゆき みゆき)と」

「世界の鉄人こと、衣笠(きぬがさ)あおばでっす!」

 深雪とあおばが揃って手を挙げる。二人とも普段着姿なので、浴衣姿の千歳が目立っている。

「あ、どうも。如月皐月です」

「ちぃから聞いてるよ。幼馴染なんでしょ?」

「……何か変なこと言ってないよね?」

「あはは、大丈夫。ねー」

「「ねー」」

 千歳たち三人は顔を見合わせてくすくすと笑う。一体何を話したというのか。嫌な予感しかしない。いや、後ろ暗いところはないのだが。

「ね、如月君は一人なんでしょ? よかったら一緒に花火見ようよ」

 深雪が唐突に誘ってきた。なんか変に気を使われてないか、これ。千歳のことを気にしたのか知らないけど。

「ダメだよ、みゆ。さっちゃんはお姉さんから買出し頼まれてるんだから。ね?」

「うん。一応ね」

 焼きそばの入ったビニール袋を上げてアピール。

「そっかー。残念。お姉さん怖いの?」

「怖いっていうか、うーん」

 別に暴力を振るわれる訳ではないが、弥生は口が達者だ。口喧嘩では確実に負ける。

「まぁ、頼まれ事はちゃんとしなくちゃね」

「確かにそうだね」

 深雪が納得したようなので、きりもいいし、霞のところに行こう。

「じゃ、オレ、これで」

「うん。さっちゃん、またね」

「また学校でねー!」

 千歳たちに手を振って、皐月は自転車乗り場に向かった。深雪もあおばも、人懐っこい子だった。人見知りの気があった千歳と仲良くなったというのも納得だ。

 自転車に乗って、霞のところに向かう。辛木川から離れるにつれ、人も車も減っていき、街灯の数も少なくなっていった。今日は月が出ているので、月明かりと自転車のライトで十分だが、なんだか寂しくなってきた。早く霞に会おう。

 霞の住処の近くには、白いワゴン車が停まっていた。ちらりと車内を覗いてみれば、中には誰も居ない。こんなところに路駐だろうか。ひょっとして、霞目当ての肝試しか何かだろうか。なんだか怖くなってきたが、ここまで来て霞に会わずに帰るのはダメだと思う。弥生からは小遣いを貰ったし、深雪の誘いも断ったし、ここで帰っては彼女たちに申し訳ない。自転車を停めて、懐中電灯で足元を照らしながら階段を上っていく。夜とはいえ八月。額に少し汗がにじんだ。

「霞さーん……?」

 階段を上り終えた先。祠の入り口に、霞が腰掛けていた。その横には見慣れぬ女性。

「……皐月ッ!?」

 霞は驚いたような声と共に立ち上がり、こちらに這い寄ってくる。

「どうしたのじゃ、このような時間に……」

「い、いや、霞さんと花火、見ようかと思って……迷惑だった?」

 霞は首を横に振り、微笑んだ。

「いいや、迷惑など。まさか皐月が来るとは思うておらなんだから、ちぃと驚いただけじゃ」

「びっくりしただけ?」

「うむ。ささ、こちらへ。花火、見るのじゃろう?」

 霞の声はいつになく嬉しそうだ。霞が喜んでくれているのなら、ここまで来た甲斐もあるというものだ。

 しかし、霞の隣にいる女性が気になる。

「ところで霞さん、その人……」

「ああ、紹介がまだじゃったのう。こ奴は……」

「新月っすー。霞さんの友達、やらせてもらってまっす」

 新月と名乗った女性が手を挙げた。暗いせいか、手のシルエットがよくわからない。妙に大きく見えたが。懐中電灯を新月のほうに向けてみる。

「うおっ、まぶしっ!」

 新月が目を覆う。その手は人間の手ではなかった。

 烏のような、黒い羽根。皐月は己の目を疑った。

 人の手が、羽根? 鳥人間ってこと? これもRPGで見たことがある。ハーピーっていうモンスターだ。

「何すか、鳩が豆鉄砲食らったような顔して」

 新月が立ち上がり、こちらに近寄ってくる。近くで見てみれば、彼女の腕が鳥の翼となっていることがはっきりとわかった。

「え、新月さん、え……?」

「あれ、霞さんで慣れてるんじゃないっすか? こういう、人っぽくて人じゃないのに」

 確かにラミアである霞がいるのだ。ハーピーがいても不思議ではない。

 だが、頭ではそう考えても、心がついてくるかどうかはまた別問題。やはり驚いてしまう。

 いや、初めて霞を見たときほどではないか。蛇女に比べれば、パンチは弱い。

「いや、確かに霞さんみたいな人がいるから、新月さんみたいな人がいても不思議じゃないけど……」

「うーん、なんかイマイチな反応っすねー。もっとこう、ひゃーオバケーッ! みたいな反応を期待してたのに。ねえ霞さん?」

 霞の姿を見て卒倒したときのことを思い出して、なんだか恥ずかしい気分。それを思い出したのは霞も同じなようで、くすくすと笑っている。

「何すかー、そんなにくすくす笑ってー」

「いや、ちと思い出してな」

「何をっすかー?」

 新月が霞にもたれかかる。なんというか、じゃれ合っているような感じで。

「これ、やめぬか。暑苦しい」

「はー、霞さん、体温低いから気持ち良いっすねー」

 新月と霞がじゃれ合っているなか、なんだか疎外感を感じる。霞もまんざらじゃなさそうだ。せっかく来たのに。ちょっともやもやする。なんだろう、このほったらかし感。

「あ、花火っすよ。おっきいっすねー」

「そうじゃな。皐月も見たか?」

 だからそれ、、じゃれあったまま言うことじゃないでしょ。

 せっかく会いに来たのに、なんだか放っておかれているような気がしてきて、もやもやがたまっていって。

「……二人とも、いつまでくっついてるのさ!」

 なんてことを考えていたら、思った以上の声が出た。霞も新月もぽかんとしている。そりゃそうだ。なんだか情けない。

「あはは、そっすね。霞さんを独り占めしちゃダメっすよね」

 新月は笑いながら霞から離れた。なんで大声出しちゃったかな。恥ずかしい。

 新月が祠の入り口に腰掛けたので、皐月も腰掛ける。少し遅れて、霞も皐月の横に腰掛けた。霞と新月に挟まれた格好だ。

「お。二月クン、両手に花っすね」

「二月って」

 そう呼ばれたことがないと言えば嘘になる。国語の授業で、如月は今でいう二月、という余談があってからしばらくの間、一部の友人からは二月と呼ばれていた。じきに元のあだ名に戻ったが、それは父も姉も通った道らしい。

「ところで皐月、夕飯は?」

「あ、買ってきた。霞さんはもう食べたの?」

「うむ。新月が焼きそばを買うてきてくれてな」

「そうなんだ。せっかく二つ買ってきたのになぁ……」

 まさか被ってしまうとは。二つ食べられなくはないが、残念なことに変わりはない。

「霞さん、あと一つ食べられるでしょー?」

「うむ。食えるとは思うが」

「あ、い、いいよ、無理しないで」

「霞さん、見た目によらずたくさん食べるっすよ」

「そうじゃ。せっかく持ってきてくれたのじゃ。呼ばれるとするぞ」

 気を遣ってくれたのかな。でも、食べてもらえるのは嬉しい。

「じゃあ、新月さんと半分こ、とか」

「あー、私はお箸、持てないんすよ。二月クンが食べさせてくれるっていうんなら別っすけど」

 新月が笑って手を振った。確かに翼じゃ箸は持てそうにない。そして、食べさせるっていうのもちょっと。

「じゃあ、新月さんにはフランクフルトをあげるよ。霞さんにだけってのもなんだし、さ」

 フランクフルトなら大丈夫だろう。

「じゃあ、せっかくですし呼ばれるっす」

 霞と新月に、それぞれ焼きそばとフランクフルトを渡す。新月は翼に生えている爪で器用に受け取った。

「じゃあ、いただきます」

「いただくっすー」

 二人が受け取ったのを見て、皐月も焼きそばを口に運ぶ。花火を観ながら食べる焼きそばというのは普段よりもずっと美味しく感じられる。不思議なものだ。

「ふむ、新月が買うてきたものよりも美味いのう」

「ちょっと霞さんー、失礼っすよー」

 新月が頬を膨らませた。屋台の焼きそばなんてだいたい同じ味だと思うのだが。

「二月クンから貰ったからとか、そんなんじゃないんすかー?」

「え」

 それはそれで、なんだか嬉しい気がする。

「ち、違う! 本当に美味いのじゃ! なんなら食うてみぃ!」

 霞が焦ったかのような口調で、焼きそばをからませた箸を新月に差し出す。

「それ、霞さんと間接キッスになっちゃうじゃないっすか。それなら二月クンからもらうっすよ」

「……いや、あげないから」

 他人が口をつけたものに口をつけるのは気になるが、そんなことを言われると、余計に意識してしまう。

「えー。減るものじゃないし、いいじゃないっすかー」

 新月はくすくすと笑いながら、皐月ににじり寄る。肩と肩が当たるような距離。突然のことに戸惑う皐月であったが、反対側から、何かが腕に触れた。そちらのほうを向いてみると、霞もこちらににじり寄っている。腕に当たったのは霞の腕だ。ひょっとして、新月に対抗してるのか。

「あれ、霞さん、何してるんすかー?」

「別に。減るものでもなかろう。のう、皐月?」

 何なの、この状況。

「あーもう、二人とも、暑いってば!」

 暑苦しいのと恥ずかしいのとで、顔が火照ってしょうがない。新月が買ってきたものよりも美味いという焼きそばの味もよくわからないほどだ。

「あはは、ごめんなさいっす」

 新月は笑いながら、元の位置へと腰をずらす。それを見てか、霞も元の位置へと戻った。ちょっと残念な気もしないでもない。そのとき、電話の呼び出し音が鳴る。携帯電話だろうか。呼び出し音は新月の鞄からだった。

「あーもう。せっかく盛り上がってたのに。ちょっと失礼するっす」

 新月は立ち上がると、小さくお辞儀をして、ほこらの裏側に消えた。

「新月さん、ケータイ持ってるんだ……」

 なんだか意外。携帯電話がつながるのも、新月が携帯電話を持っているのも。だって彼女、人間じゃないし。でも、ひょっとしたらふもとにあったワゴン車も新月のものなのかもしれない。だとしたらどうやって運転しているのだろうか。脚があるぶん、霞よりは運転しやすそうであるが。

「すまぬな。騒々しい奴じゃろう?」

 霞が苦笑。新月は確かにお喋りだ。だが、霞にも新月のような友人がいたというのは、ちょっと嬉しい。独りで寂しくしていたわけじゃなさそうだから。

「大丈夫。お姉ちゃんで慣れてるから」

 お喋りでテンションが高めなのは弥生も同じだ。なので慣れているといえば慣れている。

「左様か。しかし……」

 花火があがった。

「今日は、なぜここに来たのじゃ?」

「へ?」

「ほら、家族で見るとかなかったのか?」

「ああ、それなら、お父さんは会社の人とお酒飲んでるし、お姉ちゃんは友達と花火観てる。だから、オレも、友達と花火を観たかったから、ここに来たの」

「とも……だち……?」

 霞の口調がなんだか変だったので、彼女の顔を見る。月明かりに照らされた彼女の顔は、戸惑っているような、嬉しそうな、なんともいえない表情をしていた。何気なく言ったことなのにこの反応とは、なんだか意外。

「え、オレ、なんかヘンなこと、言った?」

「あ、いや。友達。そうか。友達……そうじゃな」

 霞の声は嬉しそうだ。友達と言われたことが嬉しいのだろうか。今更って気もするが、化け物扱いされていた霞のことだ。こちらからの友達宣言を受けるまで、確信が持てなかったのかもしれない。皐月からすれば、二回目に訪れたときから、霞のことは友達だと思っているのだが、霞のほうはそうはいかなかったみたいだ。

「嬉しいぞ、皐月」

 霞はこちらの顔を覗き込むようにして、にっこりと笑った。花火と月明かりに照らされたその笑顔は、頬を紅色に染めていて、とても可愛くて、そしてどこか色っぽかった。見つめられていると、なんだか恥ずかしくなってきて、思わず目を逸らしてしまった。

「べ、別に、お礼を言われるようなことじゃないよ。思ったことをそのまま言っただけ、だから」

 こちらが慌てて目を逸らしたことがおかしかったのか、霞のくすりという笑い声が聞こえた。

 花火があがらなくなった。

「あ、ひょっとしてお終いかな」

「時間的にそうっぽいっすねー」

「わっ!?」

 いつの間にか、目の前には新月がいた。彼女の手足は黒いので、夜だとなんだかわかりづらい。

 というか、さっきの光景、見られてないかな。

「なんすか、わっ!? って。失礼っすよ。うら若き乙女を見て、わっ!? って」

「誰が乙女じゃと?」

「新月ちゃんっす!」

 新月がアイドルめいた、媚びたポーズを取った。ウィンクして、舌をぺろりと出している。乙女って、こういうのだっけ。

「新月さん、今何時なの?」

「スルーっすか。ノリ悪いっすよー」

 新月は苦笑いしながらポーズを解いた。

「さっきは八時半でしたよ」

「じゃあ、そろそろ帰らなきゃ。家族も心配するし」

 今から帰れば着くのは九時ぐらいか。父はともかく、姉の友人はもう帰っているだろう。

「そうか、そうじゃな。人も多いし、あまり遅くなるのも良くなかろう」

「新月さんは?」

「私はもうちょっとここにいるっすよ。二月クン、ゴミは置いといてもらっていいっすよ。私、まとめて捨てときますから」

「うん、ありがと。じゃあ、帰るね」

「うむ。気をつけて帰るのじゃぞ」

「また会いましょうねー」

「うん。それじゃ、霞さん、新月さん、またね」

 二人に手を振って、階段を下りていった。ふもとに下りてみれば、さっきのワゴン車はまだ停まっている。やはり、新月の車なのだろう。運転、大変じゃないのかな。っていうか免許、どうしているんだろうか。

『嬉しいぞ、皐月』

 自転車に乗ろうとしたところで、霞の顔が脳裏に浮かんだ。どうしてここで思い返すかな。確かに綺麗で、可愛かったけど。

 花火の音がなくなり、静かになった田舎道のなか、皐月は自転車を走らせた。


 霞は皐月を見送ると、寂しそうにため息をついた。

「何ため息ついてるんすか、霞さん」

「いや、ちと寂しゅうなったな、とな」

「もう、新月ちゃんがいるのに」

 新月はくすくすと笑い、霞の肩をぽんと叩いた。

「しかし二月クン、変わってますね」

「変わってる、とは」

「普通引くでしょ。私達見たら」

 新月の言うことはわかる。霞も新月も、人とは違う、妖なのだから。

「最初にちょっと驚いただけで、あとは普通の人間を相手するみたいに接してたじゃないすか。普通、距離置いたりとかさ、私で言うなら翼、霞さんなら尻尾とか、人と違う部分、チラチラ見たりするじゃないっすか。そういうの、なかったですし」

 そういえばそうだ。尻尾への視線は他の部分よりも気になるのに、皐月からそんな視線を感じたことはなかった。最初以外は。

「そうじゃな。あれは最初だけのことじゃった」

「でも、胸とかは見られたりしませんでした?」

「それは、まぁ」

 胸への視線は何度か感じた。まぁ、皐月も年頃の男の子だ。それは仕方のないことだろう。

「いいっすねー。私は見られませんでしたよ」

「まぁ、大きさは皐月と変わらぬじゃろうしな」

「失礼っすね! あんまり強く否定できませんけど!」

 新月は頬を膨らませ、霞の背中を叩く。彼女は鳩胸であるが、乳房そのものは平坦だ。いや、胸だけでなく、全体的に細身である。

「霞さんに人間の友達ができたって聞いて、ちょっと心配してたんすけど、彼なら一安心っすね。ヘンな子なら、ちょっと怖い目に遭わせてやろうと思ってたんすよ。いやー、よかったよかった」

「皐月に怪我をさせたら、許さぬぞ」

「だから、ヘンな子だったら、って言ったじゃないすか。二月クンは変わってるかもしれないすけど、良い子だっていうのはわかったっすから」

 新月は人間の姿に化けると、ゴミをひとまとめにする。

「私達のことを妖じゃなく、見た目がちょっと変わった人間だと思ってくれてる。良い子と判断するには、それだけで十分っすよ」

「そうじゃな。それに、皐月は、わしの『友達』じゃ」

「霞さんの友達なら、なおさら悪い子じゃないっすね」

 新月はくすくすと笑い、ゴミ袋を持って階段に向かう。

「じゃあ、私もこれで。二月クンが来たら、またよろしく言っといてください」

「うむ。では、気をつけてな」

「はーい。じゃあ、また近いうちに来るっすよー」

 新月は手を振って、階段を下りていった。

 周囲に静寂が訪れ、霞はもう一度ため息をついた。


 皐月が帰宅してみると、玄関に並んでいるのは父の運動靴と姉のローファー、それにサンダル。どうやら父が帰ってきていて、姉の友人は帰ったようだ。

「ただいまー」

 靴を脱いで、靴下も脱ぐ。靴下を洗濯機に放り込んで、居間へ。台所では、弥生が洗い物をしていた。

「おかえり。楽しかった?」

 確かに楽しかった。霞の珍しい表情を見れたし、新月という友人もできた。

「おかげさまで。お姉ちゃんも楽しんだ?」

「おかげさまで。ご飯少し残ってるから、お腹空いてるなら食べちゃいなさい。おかずはふりかけかお茶漬けしかないけど。卵かけでもいいわよ」

「あー、じゃあ後でお茶漬けもらう」

 焼きそばとフランクフルトだけ、というのは少々物足りなかった。自転車で帰ってきたから余計にだ。

「今しなさい。お湯沸いてるから」

「はいはい」

 炊飯器に残っていた白米を茶碗によそい、お茶漬けの素をかけて、やかんのお湯をかける。居間に入ってみれば、父も同じようにお茶漬けを食べていた。

「おう皐月、遅かったじゃねぇか」

「お父さんこそ、早かったんじゃない?」

「混んでたから二時間で出されたんだよ」

 父は飲み会でもそんなに遅くなることはない。姉によると、母が倒れるまでは午前様も多かったそうだが。母が倒れて、色々と思うところがあったのだろう。

「ふー、ひと段落。あんた達が使ってるぶんは自分で洗いなさいよ」

 弥生はそう言いながら箪笥に向かい、寝巻きのTシャツを出す。

「じゃ、お風呂入ってくるからね」

 如月家では一番風呂は弥生と決まっている。父や皐月の後に入るのは抵抗があるのだそうだ。弥生が風呂に向かったのを見計らって、父が口を開く。

「それで、友達と花火見てたらしいじゃねぇか」

「うん。こっちでできた友達と」

「それ、男か? それとも女か?」

「なんでそれ言わなきゃなんないのさ」

「いいだろ。弥生もいないことだし、男同士、腹割って話そうぜ」

 まぁ、霞と言わなければいいか。

「……女の子と、だけど」

 霞は女の子という年でもないが、まぁいいか。

「おお、やるじゃねぇか。流石は俺の息子だ」

 父が笑った。流石ってなんだ、流石って。

「で、その子、千歳ちゃんじゃねぇだろうな?」

「違うよ。ちーちゃんは他の友達と来てた」

「千歳ちゃんじゃないのか。その友達は可愛いのか?」

「……まぁ、可愛い、かな」

 霞の顔を思い出すと、可愛いというよりは綺麗な感じだ。だけど、笑顔は可愛いと思うので、可愛いと言ってもいいだろう。

『嬉しいぞ、皐月』

 だから、なんであの表情を思い返すかな。父にばれないよう、照れ隠しにお茶漬けをかきこむ。

「やるじゃねぇか、色男め」

 父が笑いながら、皐月の額を小突く。

「色男ゆーなよ」

「そんな色男に朗報だ。読書感想文と自由研究、進んでるか?」

「へ? いや、全然」

 宿題は前の学校でもらったテキストしかやっていない。自由研究と読書感想文は学校が変わってリセットされていそうだから。

「今日、馬場先生から連絡があってな。次の学校の先生と話したらしくてな、自由研究と読書感想文、出さないといけないみたいだ」

「ええ……」

 正直、何も手をつけていない。今から初めて間に合うのか。

「そんなのないでしょ……。ほんと余計なことしちゃって……」

「ま、そんなに世の中甘くないってことだよ」

 父は笑って残りのお茶漬けをかき込むと、皐月の肩を叩き、食器を台所へ持って行くのだった。まったく、他人事だと思って。

 夏休み、あと十日もないのに。読書感想文はともかく、自由研究、どうしよう。

 あんまりややこしくなると、霞にも会えなくなるのかも。それは嫌だが、宿題もやらないと。

 なら、早く終わらせるに限る。

 皐月はため息をついて、残りのお茶漬けを食べるのだった。

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