#3

 今日は朝から雨が降っていた。朝のゆるいローカル情報番組をBGMに、皐月は夏休みの宿題に励んでいた。弥生はといえば、寝そべって読書。わからないところは教えてくれるが、まぁそこまで。代わりにやってくれる、という虫のいい話はないか。

 テキストは八割方終わった。自由研究は転校でリセットされるだろうからやっていない。皐月は背伸びして、網戸の外を見る。しとしとと降る雨のせいで、今日はちょっとだけ涼しい。扇風機だけで十分乗り切れそうだ。

 霞さん、何してるのかな。雨のときだと、中にいるのかな。寝てるのかな。

 霞に会いに行けない日。それは少し寂しく思えた。


 この雨では、皐月もここには来れまい。

 霞は軒先に腰掛けて、雨で煙る町並みを眺めていた。

 しとしとしと。

 雨音しか聞こえないこの空間は、落ち着き、そして少し寂しかった。

 こんな身体の自分に親しく接してくれた皐月。彼と話した時間はとても楽しいものだった。馴染みの友人とは少し違ったこの感覚。彼には感謝せねばなるまい。楽しい時間を送らせてもらったのだから。

 さくり。

 足音だ。まさか。いや、こんな雨の日に。

 さくり、さくり。

 足音はこちらに近付いてくる。

「皐月かっ!?」

 思わず声が出た。何をやっているんだ、情けない。これで人違いだったら恥ずかしいなんてものじゃない。

「残念、新月ちゃんっすよー」

 ああ、最悪。人違いだ。それも馴染みの。

 現れたのは黒髪のポニーテールに、白いノースリーブのブラウス、細身のショートパンツといった出で立ちの、スレンダーな身体をした女性であった。右手にはビニール袋、左手には深緑の雨傘。長い付き合いの友人、新月(にいづき)。

「もう、隙だらけっすね。というか、誰と思ったんすか? あと、いつもの食べ物と雑誌、持ってきたっすよ」

 新月はくすくすと笑いながら、軒先に荷物を置く。ああ、恥ずかしい。

 新月は霞の面倒をよく見てくれている。月に二回ほど顔を出しては、食べ物や雑誌、文庫本なんかを置いていってくれる。特に雑誌や文庫本は暇を潰すのに役立っている。皐月にはまだ見せていないが、部屋の隅には手垢のついた文庫本がたまっているのだ。

「ああ、いつもすまぬな」

「それは言わない約束っすよ。で、さつき、って、どなたっすか~?」

 新月は隣に座ると、にやにやしながら霞の肩を揉む。やっぱりつっこまれたか。

「いや、ちと、最近仲良うなった男でな……」

「わわわ、霞さんに色っぽい話っすか!」

「べ、別に色っぽい話などではない!」

 向こうがどう思っているかは知らないが、皐月のことは友人だと思っている。そのようなことは考えたこともない。第一、彼はまだ子供ではないか。

「なーんだ、つまんないっすね」

 新月はくすくすと笑うと、立ち上がってバック転。彼女を一瞬だけ煙が包む。

 煙が晴れた先には、彼女の本当の姿があった。

 腕は黒い鳥の羽。脚は鱗のような模様で覆われている黒い鳥の脚。

 半人半鳥。彼女はいわゆる「ハーピー」である。

「ふぅ。落ち着いたっすー。実家みたいな安心感っすよ」

「何をくつろいでおるか」

「しょうがないじゃないっすかー。家以外で本当の姿になれる場所なんか少ないんすからー」

 彼女も自分と同じ、人のようで人でないもの。妖(あやかし)と呼ばれる存在である。普段は人の姿に化け、人間社会で暮らしているそうだ。

「ん」

 新月が腕の翼に生えた爪で器用にペットボトルを持つ。一本は炭酸飲料、もう一本はオレンジジュース。霞は炭酸飲料が苦手なので、オレンジジュースを受け取る。

「見てないで開けてくださいよー。新月ちゃん、握力弱いって知ってるでしょー?」

「他人任せになるのなら、蓋のついた飲み物を買ってくるでない」

 苦笑いしながらペットボトルを受け取り、炭酸飲料のほうの蓋を開ける。ラベルの間から見える中身はわざとらしいオレンジ色だ。

「ほれ」

「ありがとうございまーす」

 新月は両手で包み込むようにペットボトルを受け取り、一口飲んだ。けぷ、と小さなげっぷ。それを横目に、霞もオレンジジュースを飲む。

「それで、皐月君ってどういう男の子なんすか?」

 その話、引っ張るか。

「子供じゃよ。まだ声変わりもしておらぬな」

「へぇ、霞さんにもそんな趣味が! お仲間だったとは思ってなかったっす!」

「違うと言っとろうに。それに、一緒にするでない。……まぁ、顔立ちは悪くないのう」

「おおお、霞さんのお眼鏡に適ったのなら期待大っすね!」

「紹介するとは言っておらぬぞ」

「ちぇー」

 そういえば新月には年下趣味があったんだった。気をつけておかないと。

 ……って、気をつけるって何だ、気をつけるって。

「……まぁ、わかってるとは思いますけど、あまり深入りしないほうがいいっすよ」

 忠告めいた口調。新月はジュースを一口飲む。

 深入りしない。わかっている。自分は妖であり、皐月は人間。違う存在なのだ。

「わかっておる」

「なら、いいっす。あ、もうすぐ花火大会っすね」

 新月が笑顔で話を切り替えた。ああ、もうそんな時期か。

「ここ、特等席っすから。また観に来ていいっすか?」

「別に構わぬ。ただし、それなりの手土産は必要じゃな」

「わかってますって。霞さん、焼きそば好きっすもんね」

 花火大会ということは、出店も出るだろう。出店の料理の中でも、焼きそばは特に好きだ。日頃なかなか食べられないから、余計に楽しみだ。

 皐月は花火、どう楽しむのだろうか。家族と一緒に見るのだろうか。

 花火を見る皐月のことを想像すると、くすりと笑みが漏れた。


 新月は人間の姿に化け、霞の住処から下りてきた。少し歩いたところに路駐していた、角張った白いワゴン車に乗り込む。鞄からおもむろに携帯電話を取り出し、電波状況を確認。アンテナは立っている。慣れていないのか、電話をかける手つきはぎこちない。

「もしもし、マッキーっすか? 今、霞さんとこにいるんすけどー。はい、元気そうでした。それよりも」

 電話の相手は同僚である。

「霞さんと仲良くしてくれる男の子ができたそうっすよ。いや、いいことっすけどね」

 少年ということで、霞と仲良くしていることに悪意はなさそうだが、注意はしておいたほうがいい。妖に向けられる好奇の視線。それが視線だけで済んでいるうちはいいのだが、悪意のこもった行為へとつながったら。

「霞さんがどうなるか、ちょっと気になりません? 子供だから大丈夫と思うんすけどね。その男の子がどんな子なのか……嫌っすね、何もやましい思いはないですってー」

 蛇女である霞のことを怖がらずに接している少年。そんな少年に自分の姿を見せればどうなるか。ちょっと気になる。それに、可愛い少年だというし。

「まぁ、ほっとけませんし、ちょくちょく通いますよ。そんじゃ、今から帰りまっす。どもー」

 新月は電話を切ってから助手席に放り投げると、車を発進させた。


 雨は昼過ぎに止んだ。今から霞のところに行こうにも半端な時間だ。雨はあがったといっても、雲は多く、いつ降り出してくるかわからない。ゲームは姉が占領しているので、家にいてもしかたない。ちょっと近所でもぶらついてこようか。そういえば近所のアーケードにおもちゃ屋っぽい店があった。暇潰しになるかもしれないし、行ってみようかな。

「お姉ちゃん、ちょっと出かけてくる」

「はーい。夕方には帰ってきなさいよ」

 部屋を出て、自転車でアーケードへ。人通りはあまり多くない。

 アーケードの途中に、昨日見つけたおもちゃ屋はあった。「おもちゃ・プラモデル しのみや」という古ぼけた看板がある。軒先にはガチャガチャと古びたおもちゃ。

 これ、しのみやさんがやってるんだろうな。そんな当たり前のようなことを思いつつ、中に入ってみる。棚に並んでいるおもちゃの箱はいずれも色あせていて、長いこと棚を占領していることが予想できた。

「……うわ、これ懐かしい……」

 皐月の目に入ってきたのは、車からロボットに変形するおもちゃ。小さい頃にクリスマスプレゼントで買ってもらった覚えがある。もう壊してしまったが。埃をかぶった箱を手に取ってみると、例によって色あせていて、貼ってある値札は二千円。定価かどうかはわからないが、売る気のない価格設定だということはわかる。他のおもちゃも似たような値段であり、よほどのことがない限り、この棚から離れないであろうことは容易に想像できた。

 少し奥に進んでみると、中央にレジがあり、店主らしい老婆がラジオを聴いていた。うつらうつらと舟を漕いでいるようにも見える。レジの周りには駄菓子が置いてあった。こちらのラインナップはよく見るものだ。

 レジの奥にはプラモデル。ちょくちょく新製品が入荷しているのか、新しく見える箱が多い。ただ、その中にも古ぼけたものが混じっている。見たこともないロボットのプラモデルだ。名前も形も、記憶とは微妙に異なるロボットのプラモデル。パチ物なのかな。

 その奥には古びたアーケードゲームが置いてあった。せっかくだしやっていこう。適当なシューティングゲームを選び、コインを入れようと思ったが、一プレイ二十円か。財布の中身を見ると、五百円玉が一枚と十円玉が二枚。一回だけかな。古いシューティングなので、グラフィックこそ荒いが、ゲーム自体は面白い。なんとか四面まで到達するも、そこでゲームオーバー。十円玉もないので、コンテイニューはできず。椅子から立ち上がってみると、後ろには二人の少年がいた。同年代だろう。とりあえず会釈。

「なぁ、お前、六年か?」

 スポーツ刈りの少年が問いかけてくる。

「うん。ちょっと前に引っ越してきたんだけど」

「あーそうか、やっぱりなー! 同じぐらいの年に見えたけど、見たことねぇなーって思ってたんだよ」

「引っ越してきたんだ。どこに住んでるの?」

 もう一人の育ちのよさそうな少年が問いかけてくる。

「えっと、上四日(かみよっか)団地」

「オレと一緒のとこじゃん!」

 スポーツ刈りの少年は自分と同じ団地に住んでいるようだ。同じ団地といっても棟が四つあるので、違う棟かもしれないが。

「おっと、オレは井上成美(いのうえ なるみ)。こっちがエドワード」

「あはは、エドワードじゃないよ。角田洋一(すみだ よういち)だよ」

 スポーツ刈りの少年が成美、育ちのよさそうな少年が洋一。エドワードというのはあだ名か。

「エドワード?」

「エドワードっぽいだろ?」

 まぁ、確かに洋一は育ちがよさそうで、エドワードっぽいといえばエドワードっぽい。

「あー、確かに。……えっと、オレは如月皐月」

「如月か、よろしくな!」

 成美が肩を叩いてきた。立ち話もなんなので、三人とも近くの椅子に座る。店の中には老婆の他にはこの三人しかいないので、遠慮なしだ。

「引っ越してきたって、どこから?」

「月野から」

「月野?」

「あ、ほら、去年学校のキャンプで行ったとこ」

「ああ、あそこか! 結構遠いところから来たんだな」

 遠いといっても車で一時間ほどだが。そういえば山のほうにはキャンプ場があった。定番の遠足先だったものだ。

「父さんが転勤になったから。学校には二学期から行くよ」

 父の仕事は自動車の整備。転勤とは言っているが、新しい上司とソリが合わずに辞めてしまったというのが本当のところだそうだ。その後、かつての上司が知り合いの自動車販売店に紹介してくれて、勤め先である辛木市に引っ越したのだ。祖父とはこの時期だとかわいそうだろ、と揉めていたみたいだ。五年間一緒にいた友達と一緒に卒業できないのは寂しいが、かといって中学から新しい土地で、というのもちょっとしんどいかもしれない。一長一短ということで、引越しの件で父を恨んではいない。

「そっか。オレらは二組だから、同じ組になったらよろしくな!」

「こっちこそよろしく」

 すると、老婆の咳払いが聞こえた。成美と洋一が顔をしかめる。

「あー、何もしねーで長居すると婆さんが怒るんだよ」

「何それ」

 まぁ元々冷やかしに来ただけだし、変に怒られるよりは帰ったほうがいいかもしれない。三人で店から出る。

「如月、暇ならちょっと遊ばねーか? 団地の近所の保育園のグラウンド、入れるんだよ」

「いいの、それ?」

「元々学童の奴らの相手するつもりだったしな。ここには駄菓子買いに来ただけだよ」

「人が多いほうが楽しいしね」

 帰るにも少し早いし、せっかくだからご一緒させてもらおう。二人についていくように自転車に乗った。


「じゃあな、如月」

「また今度、学校でね」

 保育園は団地のすぐそばにあった。気付かないものだ。五時過ぎまで蹴り野球とかくれんぼで遊んだ後、成美達と別れた。成美は保育園に併設してある学童保育に居たことがあるらしく、低学年の子から懐かれていた。こうして外で遊ぶのは久々のことであり、とても楽しかった。成美は同じ団地の別の棟、洋一も近所に住んでいるとのことで、また顔を合わせる機会があるかもしれない。そうなればまた遊びたいものだ。

「ただいまー」

「おかえりー。何してたの?」

 帰ってみると、台所では弥生が米を研いでいた。

「六年の子と会って、そのまま遊んでた」

「へぇ、友達できたの」

「だといいけど」

 まぁ、友達になったと言ってもいいかもしれない。辛木に来て、二番目にできた友達。

 一番目は霞。

「何して遊んでたの?」

「蹴り野球と、かくツー」

「何よ、かくツーって」

「かくれんぼツー、だって」

 成美達が考えた新しいかくれんぼとのことで、見つかっても鬼よりも先に消火栓にタッチすれば、次の鬼を決めるジャンケンには参加しないでいいというルールが追加されていた。敗者復活の要素があって、なかなか新鮮だった。

 とりあえずルールを弥生に説明。彼女は話を聞いているようだが、手は止めていない。炊飯器の釜を置くと、今度は野菜を切り始めた。素人目にも手際が良い。

「へー。缶ケリみたいね」

「ああ、なるほど」

 遊んでいるときには気付かなかったが、言われてみれば缶ケリに似ている。

「あ、チャンネル変えといて。五チャンね」

「ナイター?」

「そうそう。六時から中継。今日はソルジャーズとだからね、応援しないと」

 地元チームであるファルコンズ。万年Bクラスなのだが、今年は調子が良く、三位につけている。ソルジャーズは二位なので、応援する側も力が入るというものだ

「千歳ちゃんはドーム行くんだって。さっき会ったらユニフォーム着てたわよ」

「うわ、いいな」

「新聞屋からもらったチケットみたいだけどね。いいわねぇ、私も行きたいわ」

「っていうかちーちゃん野球観るんだなぁ。なんか意外」

「確かにね。そんなイメージなかったんだけど。引っ越してからハマったのかしらね」

 ユニフォームを着て、メガホンを叩いて応援している千歳の姿はなかなか想像できない。会わないうちに変わるものだなぁ。つくづくそう思う。

「お米ーに色ー々ー、ららら入れちゃーうのー」

 弥生の自作の歌。夕飯は炊き込みご飯か。

「何? 晩ご飯は炊き込みご飯?」

「そーよ。あとは豚汁でも」

 姉の作る豚汁は具沢山で美味い。これは期待しておこう。

「そうそう。さっちゃん、明日花火大会あるでしょ」

「らしいね」

「父さんは会社のビール会でいないから、夏帆ちゃんと加奈ちゃん来るからね」

「えぇ……」

 夏帆と加奈といえば、姉の昔からの友人である。そのため、皐月とは顔見知り程度の仲であるのだが、姉の友達が二人も来るとなると、正直居辛い。

「ここから花火見えそうだからね。さっちゃんはどうするの?」

「うーん……」

 花火が目的ということで、居間に居座りはしないと思うが、姉が騒いでいるなか一人でテレビを見るというのも寂しい気がする。他に何かやれることはないのだろうか。

 そうだ。霞のところからなら、花火もよく見えるだろう。何せ、昼間なら辛木川まで余裕で見えるのだから。今日は会えなかったし、霞と一緒に花火を見てもいいだろう。

「じゃあ、友達と一緒に見に行ってみる」

「お、それはいいことだ。お小遣いちょっとあげるから、楽しんできなさいな」

 弥生はいつものように笑って、釜を炊飯器に入れた。

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