第3話

 地平の彼方に姿を現した太陽が、砂漠を舐めるように灼熱の地獄に変えていった。

 半径五〇キロ以上の砂漠上空にはオゾンホールがあり、日の出と共に防護服を身に着けなければ容赦ない紫外線を浴びることになる。その弊害から、命を落とすことになりかねないのだ。

 空が白み始めた頃には出発準備を整え、太陽光を避けながら装甲車に乗り込もうとする隊員達をセロは岩陰に集めた。

 じりじりと気温は上がり、黒水晶の岩肌は光を反射する鏡のように輝く。

 影になった鏡面に映るシンを凝視し、改めてセロは昨夜決めたことを言葉にする勇気を奮い立たせた。

「おまえ達に、任務の変更を伝える。これより我々は砂漠から離脱し、目的地である『イービル』の巣から離れる」

 五名の隊員は驚き、動揺の隠せない顔を見合わせた。

「ど、ど、どういう事ですか、隊長。ほっ、本隊からの命令で? そっ、そ、それともまさか、任務放棄ってワケじゃあ……」

 ミイラ男のガスが、おどおどとセロの顔を伺い見る。

「……ガス、おまえは何故この砂漠に『イービル』の巣があるのか知っているか?」

 かぶりを振るガスに少し微笑みを投げ、セロは他の隊員を見渡した。

「およそ八〇年ほど前、この砂漠はグレンフォールズという人口十万人ほどの都市だった。だがある日突然、正体不明の生物に占拠されて住民は死に絶えたんだよ。その生物が『イービル』、元の名は『デビル・イータ』という。『イービル』は唾液腺から特殊な液を出し、有機物であろうと無機物であろうと関係なく、あらゆるものを溶かしながら体内に取り込み増殖していった」

「この砂漠が昔なんと呼ばれていたかなんて、関係ねぇんだよ。俺たちは『イービル』を殺しに来たんだろう? それがなぜ撤退することになったのか、早いトコ説明して欲しいんだがね」

 つまらなそうに大きくアクビをすると、片眼のザキが見える方の眼を細めた。

 明け方に義足のボレアスと立哨を代わらせたが、睡眠不足という顔はしていないようだ。

「その通り、我々は『イービル』を殺すために来た……事になっている。だが我々六名の戦力と装備では、不可能だ」

 全員の顔色が変わった。

 セロはその一人一人の表情を、注意深く観察する。

「町を占拠した『イービル』は、三万体に増えた。その当時、世界的な支配力を持っていた政府『合衆国』は軍事力を投入して駆除に努めたが追いつかない。そしてついに、町周辺ごと焼却することで殲滅を謀った。ところが、いくつもの大規模熱爆弾兵器を投下したにも関わらず、地中深く隠れていた数匹の親が生き残ってしまった……。そもそも『イービル』とは、何だ? その正体を詳しく知るものが、ここにいるか?」

 放心したように話を聞いていた片腕のロドが、慌てて首を振る。口元を歪めた片眼のザキは、軍の仲間から聞いたことがあるのかも知れない。

「爆弾燃焼のために軍が、大量に使用した化合物は環境に安全だと保証されていた。しかし化合物の中に過塩素酸アンモニウム化合物が含まれていたことが後で解り、結果、生じたガスがオゾン層を破壊したのだよ。癌や遺伝子異常が増え、人口は減り、糾弾された『合衆国』の権威は失墜。隠蔽していた『イービル』の正体が明らかになった」

 全員が黙して待つ中、セロは一呼吸置いて言葉を続けた。

「『イービル』は、産業廃棄物を喰わせるために『合衆国』が開発した『キメラ(異種遺伝子共存型生命体)』だ。そして今現在、人間に飼われて廃棄物や汚物の処理に利用され続けている。だが与えられる餌だけでは個体数が減り廃棄物の処理が追いつかなくなるため、生殖に必要な餌を与えなくてはいけない……」

 セロは両手を握りしめると、ようやく言葉を絞り出した。

「それが……我々だ」

 訳がわからない、といった顔で五人は顔を見合わせた。

 害虫を殺しに来たはずなのに、自分たちが餌と言われたのだ。無理も無い。

「『イービル』には、人間のDNAも組み込まれている。しかも生きた人間からでは無いと、生殖のためのDNAを補完できないのだ。砂漠上空乱気流の影響で空輸できないゴミを陸路で運ぶルートを開拓させ、生殖用の生き餌として我々を供給することで『合衆国』は、他国の干渉を受けずに『イービル』を管理下に置いてきた。いわばこのシステムは、この国の安全対策(フェイルセーフ)だ」

「なん……だと、俺たちが餌だって? ふざけんじゃねぇぞっ!」

 片眼のザキが、セロに掴み掛かろうとした。が、その前に素早くシンが立ちふさがると、ザキのみぞおちに膝を入れる。

 ザキは熊のような唸りをあげて、踞った。

「撤退してどうするんだ、本隊に追われるだろう? どっちにしても、助からない」

 振り向いたシンの顔には、恐怖も困惑も表われていない。

 まるで、どこかに感情を置き忘れてしまった幼子のようで、尚更このまま死なせることを不憫に思わせた。

「装甲車を捨てれば、追尾は困難になる。喰われたことに見せかけ身一つで砂漠を脱出し、南西にある湖を目指す。我々の生死を確かめる術はない、『イービル』に出会わなければ……」

「ぉおっと! そうはいかねぇ、おとなしく餌になってもらわねぇとな!」

 聞き覚えがある声が、しかし違和感を伴う言葉を使った。

 驚くセロの眼に、銃を構えたミイラ男が映る。

「ガス、おまえが『マペット』だったのか……」

「おうよ、隊長が妙な気を起こして任務放棄しないように見張るのが『マペット』の役目でね。自ら死を望んでいるセロ少尉に監視の必要はないと、アドミル大佐が進言したそうだが……人間ってぇのは土壇場になるとわからねぇからなぁ。おかげで俺は、破格の報酬がいただけたよ。命の先が見えてる俺にとっちゃ、自分の生き死によりも残していく家族のための金が大事なのさ」

 ニヤリと笑いを浮かべたガスの口元の包帯が剥がれ、紫色に爛れた皮膚が垣間見えた。遺伝子異常から発症する皮膚病だ。

 貧弱な体格の病人など恐るるに足らないと思ったか、突然片腕のザキが飛びかかりガスを地面に押し倒した。

 もがき暴れる身体を押さえつけ、銃を奪う。

「へへへっ……俺を殺しても、もう遅い。本隊から渡された『イービル』を呼び寄せる発信器を作動させた。この場所は巣からそれほど遠くない。じきに俺たちは生殖用の餌として、巣に運ばれることになるんだ」

 押さえつけられた場所から血を滲ませ、ガスは不敵に笑った。

 抵抗したときに外れた包帯の下は皮膚が剥がれ、生々しい肉と脂肪が溶け出してきている。

 顔をしかめて離れたザキの代わりに、シンがガスに近寄り包帯をまさぐった。

「あった、これだ」

 三センチ四方の小さな箱が、防護服に着替えるときにも解らないように膝裏の包帯下に固定してあった。

 シンはそれを剥がしとり、踵で踏みつぶす。

「呼び寄せ専用の機種か、役に立たないな」

「えっ……?」

 シンの発言を、セロは訝しんだ。

 なぜ発信器の機種が、一目でわかったのだろう。

 問いただそうとセロが、シンに歩み寄ったとき。

「ぎゃあっ!」

 背後で悲鳴が上がった。振り向けば、義足のボレアスと組み争う一体の黒い影。

「『イービル』だっ!」

 誰かが、叫んだ。

 多足類のムカデに似た、体長三メートルはある異形の怪物。

 蜘蛛のような小さな眼が、いくつも並んだ逆三角形の頭。その頭に似つかわしくないほど巨大なハサミ状の付属肢は鋏角類の特徴である。

 紫色の血管が浮き出た赤黒い腹は鎧のような鱗で覆われ、数え切れない本数の足には針金に似た体毛がびっしりと纏い付いていた。

 鋏角の付け根に滴る、鮮やかなオレンジ色の液体。

 この液体が全ての物質を溶かし、餌にしてしまうのだ。

「車にのれっ!」

 セロの号令で、隊員達は装甲車に乗り込んだ。身体が半分溶けてしまったボアレスは、諦めるしかない。

 傷だらけのガスを、不愉快そうな顔でザキが肩に担ぎ上げた。

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