第2話
『イービル』の駆除は、ほぼ三年周期だ。
だが三年の間に、この地区特有の砂嵐で毎回ルートは消えてしまうため、任務の都度ルート開拓が余儀なくされるのだった。
タイヤが埋まる度に掘り起こし、砂を固める薬剤をまく。
行く手を阻む岩は、爆破する。
三日の日程はルート開拓に必要な日数であり、帰りの時間は想定されていない。ルートさえ出来れば当然、三〇〇キロは数時間の距離である。
しかし苦労して造られたこのルートを、二度と戻ることは無いとセロは知っていた。
太陽が地平線の向こうに消えたのは、目的地まであと数キロの時点だった。
薄い大気の彼方に宇宙空間そのままの星々が輝き始めると気温は急速に下がり、日中との温度差から強い風が吹き始める。
「本日はここでキャンプだ、野営の準備に掛かれ」
セロの命令で、隊員達は野営の準備に取りかかった。
日が落ちると障害物である黒い岩を避けにくく、なおかつ砂嵐が発生する危険もある。
砂嵐の勢いは装甲車を横倒しにするほど激しいもので、野営場所は危険を回避するため大きな岩の影に、装甲車が隠れるほどの穴を掘る必要があった。
ほどよい大きさの岩陰に窪地を見つけ、隊員達は手作業で底を掘り始めた。が、しばらくして。
「この野郎っ、わざと砂を掛けやがったなっ!」
一人の隊員が、荒々しい怒鳴り声を上げた。
声の主は、片眼のザキである。
どうやら白髪のシンが、見えない方の顔に砂を掛けたと怒っているようだ。
「わざとじゃない。俺が砂を投げた方に、あんたが身体を向けたんだ」
「なんだとっ!」
片眼のザキは、手にしていたスコップを頭上に振り上げた。
六〇才を超えているが体躯はよく、片眼が不自由でも軍務に支障はないと事あるごとに豪語するザキは、前任務で本隊の空軍輸送部隊に所属する古い形式を得意とするエンジニアだった。
装甲車の操縦も長けており、エンジントラブルが起きやすい外世界では心強い部下である。
ただ少し気性が荒く、他の隊員達と常に言い争いをしていた。
ザキがスコップを振りかざすのを見たセロは、喧嘩を止めるため銃に手をかけた。
「喧嘩は許さん、作業を続けろっ!」
銃口を向けられたザキが渋々スコップを下げると、肌の露出部分を包帯で隙間無く巻いた男がセロの前に進み出た。
「あ、あ、あぁ、あのぅ隊長、ザキはシンが見えてなかったんでス。そ、そのぅ、見えない左側でシンが作業していて、だから、あのう……」
「ああ、解っている。おまえも作業に戻れ、ガス」
ミイラ男のガスは、卑屈なほど頭を下げながら作業に戻っていった。
ガスは部隊唯一の民間人で、オペレーターの役を担っている。包帯の下は皮膚病らしいが、本人が気にしている外見よりも自虐的な物言いがセロは嫌いだった。
小競り合いの後しばらく、ザキは面白くなさそうな顔で作業していたが、突然思いついたように顔をニヤケさせた。
「そういやぁ、噂で聞いたんだがよぉ。言い寄ってきた上官の股ぐらを、銃で吹き飛ばした兵士がいるそうだ。そいつは、ある部隊に配属になることで死刑にならずに済んだそうだが……おまえのことだろう? シン」
シンはザキを無視して、作業の手を止めない。
「無視かよ、あぁっ? 俺は以前、その上官の下にいたことがあるが確かに嫌なヤツだったぜ? スキモノで男女構わず手を出してたからなぁ……大事なところが使い物にならなくなって、当然だぜ! だが、まぁ……おまえは気の毒だったな。上層部に報告された経緯は、上官に新しい恋人が出来た嫉妬から、おまえが暴挙に出たことになっている。それとも、こっちが真実かもな? おまえ、本当に上官の愛人だったんじゃ……」
右側をかすめたスコップを間一髪で避け、ザキはニヤリと笑った。
「フェアにやりたいってか? いいんだぜ、見えない左側を狙っても!」
スコップを構えたシンの、薄い灰色の眼が異様な光を宿している。
あからさまな殺意だ。
セロは小さく溜息をつくと、銃口を空に向けて三度引き金を引いた。
「ザキ! 子供じみた真似はよせ。今夜はおまえ一人で立哨だ、いいな?」
苦虫を噛みつぶしたような顔で、ザキは地面にツバを吐いた。
「シン、おまえは私のところへ来い」
シンはセロの前に立つと、無表情な仮面のような顔を向けた。
瞳にはもう、先ほどの妖しい光はない。
「今の話は本当か?」
「……」
任務に支障が出るため、隊員のプロフィールを知ってはいけなかった。だが予期せず知ってしまった場合、どうすればいいのだろう。
セロの心中は、揺れ動いた。
どう考えても、シンはこの部隊にいるべきではない。
「答えろ、これは命令だ」
「俺が上官の……に発砲したのは本当です。でも、ザキが言った愛人というのは嘘だ」
下品な言葉は濁らせて、シンが答えた。
警戒心を解いてよく見れば、まだ幼さが残るシンの面立ちにセロは懐かしい記憶を呼び起こされた。
三年前に死んだ、弟の面影。
弟は、強すぎる紫外線が原因の癌に掛かっていたが軍に志願し、死んだ。
享年十八才、シンとは似ても似つかぬ黒髪と黒い瞳を持つ、快活な青年だった。
記憶から逃れようとしてセロは、無意識に両手で頭を掻きむしる。すると、常に無表情なシンの顔が少し陰った。
「大丈夫……ですか、隊長?」
「あっ、ああ、何でも無い。ところで、おまえを私の部隊に配属したのは、例の上官か?」
顔を上げたセロをシンは意味ありげに見つめ、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ、その上官の上層部、システム統括部責任者アドミル大佐が助けてくれました」
「アドミル大佐……だと?」
セロの背に、嫌な戦慄が走る。
「はい。この任務を達成することが唯一、生き延びるチャンスだと……」
「ヤツに、騙されるなっ!」
激情に駆られ、大声で叫んでから我に返った。さすがに驚いたのだろう、シンは目を見開いたまま身体を硬直させている。
「……悪かった、大声を出して」
「いえ……でも、騙されるなって……? 隊長はアドミル大佐を、ご存じなんですか?」
浅く呼吸をしながら冷静さを取り戻し、セロは指揮官の顔で命じた。
「話は終わりだ、野営の準備に戻れ」
「……」
上官に命じられれば、黙って従うしか無い。
シンは敬礼したあと踵を返し、設営に戻っていった。
野営テントを張り終わるの待って、隊員達にキャンプの指示を出したセロは装甲車に戻った。
しばらくして炊事当番である片腕のロドが食事を持ってきたが、手をつける気にならない。
外から聞こえる会話は、食事時のためか楽しそうだがシンらしき声はなかった。
年若いシンは仲間に入れず、孤独な夜を過ごすのだろうか。
全員が、同情の余地のない犯罪者なら悩むことなく任務を遂行できたかもしれない。しかし隊員の事情を知ったことで、何度も考えたあげくに決めた決意が音を立てて崩れてしまいそうだった。
セロが『害虫駆除部隊』に志願したのは、自身が弟と同じ病魔に冒されていたからだ。
自らの命など、どうでもいい。だが、何とかしてシンを助けてやれないだろうかと思考を巡らせてしまう。
アドミル大佐……。
セロが死を迎える最後の瞬間まで一緒にいたいと言った、かつての恋人の裏切り。
セロに高額の手術費用を用意するため弟が部隊長に志願したとき、アドミルの進言があれば救うことが出来たはずだった。上層部には逆らえない、仕方ないと諦めていたが後に自己保身のためセロの頼みを無下にしたと知り、急速に愛は冷めていった。
手術は成功したと言われたが、この病は完治することが無いと知っている。生きる時間が、少しだけ延びただけだ。
自分の死に場所は自分で選びたい。
そしてセロが選んだのは、弟と同じ死に方だった。
アドミルはまた、自身の立場を守るためにシンを体よく始末するつもりなのだろう。
許せなかった。
一晩中、悩み苦しんでセロは結論を出した。
もう、迷いは無かった。
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