フェイル・セーフ

来栖らいか

第1話

 黒く、切り立つ水晶のような岩の間を、細かく赤い砂が流れていた。

 歩兵などという、過去の遺物が消え去って数世紀。

 頑丈さを追求するあまり機能性を失ったタクティカルブーツの底は固すぎて、砂地に足場を作りにくい。だが、外世界に出動する場合には未だ時代遅れの装備が必要だった。

 都市システム管理下に無い自然環境では、予測不能な多くの要因が任務の妨げとなるため結局、人間の知恵と工夫と忍耐だけが頼りになるのだ。

 それにしても暑い。

 昼下がりの外気は、既に四十度を超えているであろう。

 セロは紫外線防護服の下に流れる汗を不快に思いながら、眼前にそそり立つ黒水晶の壁を見上げた。

 幅約五メートル、高さ約二メートルほどある岩には、昼下がりの日射しがギラギラと照り映えている。

「隊長、中に入ってないと日焼けしますぜぇ」

 左腕一本で苦労しながら岩壁に穴を開け、TNAZ化合物を押し込んでいた男が顔を向けると、わざわざヘルメットのバイザーを上げてニヤリと笑った。

「くだらん冗談を言う暇があったら手を動かすんだな、ロド」

 セロは起爆装置をロドに投げると、バイザーの下で苦笑する。

 普段の鉄面皮を装う必要はない。紫外線を完全に遮断する黒いバイザーの下では、どのような表情をしようと相手には見えないからだ。

 誰もが身につけるのを嫌がる重い防護服とヘルメットは、子供の頃に歴史資料映像で観た太古の戦士の鎧に似ている。

 だがセロにとっては、女性という身体的な特徴を晒す必要のない気の休まる装備だった。

 嫌がらせというより、女好きの性分から事あるごとに女性であることを揶揄するロドは、過去の失態で右手を失ったとはいえ腕の良い爆発物専門家だ。軽口にも既に慣れ、苛立つこともない。

 ロドが左手で器用に受け止めた起爆装置を手際よくTNAZ化合物にセットしたのを見届け、セロは岩の後方に待機している装甲兵員輸送車に乗り込む。

「爆破」

 駆け込んできたロドがドアを閉めた瞬間、くぐもった爆発音と共に装甲車が大きく揺らいだ。

 細かく砕かれた岩の破片が降り注ぎ、バラバラと雨の当たるような音をたてる。2、3度、大きな音と共に振動が伝わってきたが、車体に損傷を与えるほどではないだろう。

「ひゅう、危ねぇトコだった。隊長、タイミング早すぎですぜ」

「貴様の足が遅いんだよ。先を急ぐぞ」

 女扱いをしたロドに少しの報復を果たしたセロは、心中ほくそ笑んでヘルメットを脱いだ。

 短く借り上げた黒髪は、水を浴びたように汗で濡れていた。額に張り付いた髪を掻き上げ、サイドパックの中にタオルを探す。

「使ってください」

 目の前に冷たいタオルを差し出したのは、一番年若い隊員であるシンだった。

 訝しむ目でシンを見たセロは、しかし思い直してタオルを受け取った。

 この小隊は、セロを除く五名で構成されている。

 シン以外の隊員はセロよりかなり年長者のため、若干二十五才の女性上官を、少なからず馬鹿にしたところがあった。

 しかしまだ十六才のシンからすれば、セロは素直に敬意を払う相手なのだろう。

 それにしても、なぜこのような少年がセロの部隊に配属されてきたのか。

 この部隊は、いわば「害虫駆除部隊」だ。

 生活圏から遠く離れたところに生息する害虫、『イービル』。

 ムカデに似ているが、成虫で体長五~七メートルはあり、その巨軀をくねらせながら動くもの全てを見境無く喰らう忌まわしい怪物だ。

 ヤツらが地中から湧き出してから八〇年。

 生息圏に近付かなければ被害は無いが、一定数以上増殖した場合、餌を求めて人間の生活圏まで侵入してくる。

 被害が出る前に駆除するのが、セロの任務だった。

 軍に所属はしているが地位は低く、そのため武器も装備も人材も寄せ集めである。きつい軍務に絶えられない老兵や身体が不自由で他に働き口のない者、犯罪者などが配属されてくるのが常だ。

『イービル』駆除命令を受けたセロが、小隊を預かったのが二日前。

 シンの存在はすぐに目を引き、セロに警戒心を起こさせた。

 髪は絹のような光沢のある白髪で、瞳は色素の薄い灰色。肌は血管が透けて見えるほど白かったが血色は良く、不健康そうな様子はない。

 身体的欠陥がないとすれば、重大な犯罪を犯してきた可能性があった。

 薬物、凶悪犯罪、精神異常などの前科があると、三日間とはいえ問題なく任務を遂行するのが難しくなる。

 しかしセロには、前任務以外の隊員情報が一切与えられていなかった。

 隊員のプロフィールを知れば、別の意味で任務遂行の足枷となりうるからだ。

 目的地までは、残り二十キロはあるだろう。セロとしては一時間でも早く任務を終わらせたいのだが、ルート上の障害物を取り除いたり、大きく回避する事を考えると予定通りに到着できるかどうか。 

 全長七・五メートル、車幅三メートル。機関砲一台、機銃二台で武装した搭乗員七名用・8輪装甲兵員輸送車は、車体を大きくバウンドさせながら岩を乗り越え目的地に向かっていた。 役立たずのサスペンションで激しく揺れる車体シートにベルトで身体を固定し、隊員は皆、舌を噛まないように必死で歯を食いしばる。

 その中で一人、痩せて顔色の悪い男が床に貼り付きながらセロに、にじり寄ってきた。両足が義足のため、揺れる車内でバランスがとれないのだろう。

「たかだか三〇〇キロの移動に、なんで三日も掛かるのかようやく解ったぜ。この砂漠に着いた途端、一〇キロ進むのも一日掛かりだ。帰りは一日で済むだろうが、どちらにしろ日数オーバーだなぁ……そのぶん手当は出るんでしょうかね、隊長」

「あいにくだな、ボレアス。報酬の追加はない」

 形式的な返答に、ボレアスの土気色の顔が気持ち青ざめた。

「隊長ぉ……俺はこんな身体だから、まともに働けねぇんですよ。この仕事は危険だけど報酬がいいから、三日の約束で十二歳の娘を施設に預かってもらって志願したんです。だから、帰りが遅れるのは困るんだ。割り増しの超過料金を払ったら、手元に残る報酬が大分減っちまうよ……なんとかなりませんかねぇ?」

 表情を変えないように務めたが、ボレアスの事情にセロの心は乱れる。

 娘の心配はいらないと、言ってやりたかった。

 だがその理由を聞かれたならば、真の任務を隠し通せなくなるだろう……。

 ボレアスだけではない、この部隊に来たからには他の連中にも、やむにやまれない理由があるのだ。

 同情するわけにはいかない。

 運転席横に座るナビゲーターの肩を叩き、セロは無言で席を代わらせた。

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