第百十七回 劉聰は兵を退き、晋に遭いて敗らる

 漢軍の張賓ちょうひん韓陵川かんりょうせんに晋軍を破った後、軍議を開いて言った。

「幸い、諸将の尽力により晋軍の一陣を破ってその戦意を挫くことができた。先ほど漳水しょうすいを渡るいかだが整ったと報告があり、二更にこう(午後十時)より陣を払って退くこととする。戎衣じゅういを脱がず食事を摂り、輜重とともに漳水を渡って明朝には対岸の軍営に全軍を入れよ。魏縣ぎけんに戻れば、晋が大軍といえども如何ともできまい」

 諸将はその命令を受けて陣払いの準備に入った。張賓は曹嶷そうぎょく夔安きあん王伏都おうふくと桃虎とうこ押送粮使おうそうりょうしに任じて先発させる。また、張雄ちょうゆう靳準きんじゅん靳都きんと劉聰りゅうそうの護衛とし、これも先発して漳水の西岸に置いた軍営に入るように命じた。

▼「押送粮使」は輜重輸送の指揮にあたる任と考えればよい。

 さらに、王彌おうび劉霊りゅうれい関山かんざん胡延攸こえんゆうに四万の軍勢を与えて途上の隘路に埋伏させ、孟彪もうひょう孟豹もうひょう楊興寶ようこうほう廖全りょうぜんに二万の軍勢を与えて河畔に埋伏させた。これが渡河に際して追撃を支える殿軍でんぐんとなる。

 手配りを終えると、漢軍は漳水を渡るべく一斉に動きはじめる。趙染ちょうせん趙概ちょうがい黄命こうめい胡延晏こえんあんは晋軍が放棄した衣甲刀鎗を収めつつ漳水に向かった。


 ※


 晋陣にある成都王せいとおう司馬穎しばえいも敗戦を受けて軍議を開いていた。

 それより先、軍営に逃げ戻った際には張賓の計略により軍営を襲撃されるかと懼れて斥候を四方に放ち、特に漢の軍営がある漳水、銅雀台どうじゃくだいに無数の間諜を送り込んでいた。

 その間諜が還って告げる。

「夜半に入っても漢の軍営は明々と炬火きょかを掲げて兵馬が休まず動いております。軍勢の多くは軍営を出て西に向かっているようです。哨戒の兵も多く、近づくことができず遠望するだけでした」

 陸機が言う。

「漢賊どもは連日の戦で将兵を喪い、糧秣も不足を来たしておりましょう。これは軍勢を魏縣に退こうとしているに相違ありません。諸王侯はしばらく軍議の席に留まって頂きたい。重ねて斥候を遣わして消息を探り、漢賊が退くのであればすぐに追撃の兵を出すのです」

 間もなく早馬が駆け込んで報じる。

「漢の軍勢が輜重を運び去っているようです」

「これで決まった。張賓めは吾らが兵を分けて背後の魏縣を襲うことを懼れているのです。魏縣を奪われれば退路を断たれたも同じ、それゆえ軍勢を返そうとしております。さらに言えば、漢賊どもが確保している魏縣を戦場とすればこれまで客であった漢賊が主となり、主であった吾らは客となります。吾らを懐に引き込んで疲弊させるつもりでしょう。漢賊が退く機をいっしてはなりません。疲れ果てていても将兵を励まして後尾を撃つのです。漢賊はすでに退却を始めて戦意なく、劉聰や張賓をとりことする千載一遇の好機に他なりません。一戦して破った後は乱戦に持ち込んで漢賊どもの入城を阻むのです。そうすれば、城に籠もっている漢兵たちも畏れて逃げ出しましょう」

 成都王はその言をれて親将の石超せきちょう牽秀けんしゅう和演わえん陳眕ちんしん、それに長沙王ちょうさおう司馬乂しばがい)麾下の董拱とうきょう臧琦ぞうき東海王とうかいおう司馬越しばえつ)麾下の糜翔びしょう柳緯りゅういに三万の軍勢を与え、漢軍のあとを追わせた。

 盧志ろし祖逖そてきが諌めて言う。

「張賓は詭計多く、必ずや備えを置いておりましょう。また、窮寇きゅうこうに迫れば却って反撃を受けるものです。夜明けを待って計を定めるべきです。大軍を陸続と進めては事を誤るおそれがあります」

▼「窮寇」は「窮した敵」の意、言うことは「窮鼠かえって猫を噛む」に同じ。

「軍勢はすでに発し、今さら呼び返そうとしても及ばぬ。後詰ごづめの軍勢を遣るとしよう」

 成都王は張方ちょうほう祁弘きこうに一万の軍勢を与えて後詰を命じ、さらに成都王と陸機も大軍を率いてその後につづいた。


 ※


 夜も更けて四更よんこう(午前二時)に近づき、先発した石超たちは銅雀台の下に到った。

 すでに漢の軍営はもぬけから、軍勢を急がせて漳水に向かう最中、忽然と砲声が天に響いた。前方を見遣れば関山と胡延攸の二将が攻め寄せてくる。

 牽秀たちは急いで軍列を整えて待ち受けようとするも、そこに劉霊と王彌が襲いかかって晋兵を蹴散らしていく。

 漢の精鋭を揃えた伏兵の勢いを防ぎきれず、晋軍は千々ちぢに乱れたつ。その中にあって長沙王麾下の董拱が踏み止まって抗うも、漢軍の勢いに押されて退かざるを得なくなる。

 ついに董拱は胡延攸の前まで押し出され、一刀の下に馬から斬り落とされて落命した。

 僚友の臧琦が仇を討つべく劉霊に攻めかかったものの、矛に貫かれて戦場の露と消える。

 晋兵たちが怖気づいたのを見て、成都王麾下の陳眕が怒って叫ぶ。

「ここから逃げて敵にも味方にも合わせる顔などあると思うな。踏み止まって討ち死にせよ」

 言うや自ら陣頭に立って攻め寄せる漢軍を押し止め、その勢いに晋の将士も戦意を盛り返して踏み止まった。

 両軍の揉み合いがつづくうち、関山が東海王麾下の柳緯を斬り殺し、崩れた軍列に飛び込んで傷口を広げていく。ついに晋軍は支えきれずに潰走をはじめた。

 そこに後詰となる張方と祁弘の軍勢が駆けつけたものの、敗走する晋兵の後ろを王彌、劉霊の軍勢が追い討ち、一塊となって潮のように向かってくる。さしもの張方、祁弘も敗兵に揉まれて前に進めない。

 狼に襲われた羊群の如き敗兵の只中で二将は満足に指麾を取れず、道を争う晋兵が同士討ちまで始まる。張方と祁弘もやむなく軍勢を返し、四、五里(2.2~2.8km)も退いてようやく軍勢をまとめた。

 王彌たち漢将も晋兵を退けると深追いせず、漳水を渡るべく去っていった。


 ※


 時を置かず成都王と陸機の本軍も合流し、緒戦に伏兵の攻撃を受けて三将を喪ったことを報告する。思わぬ敗戦に意気沮喪していると、盧志と祖逖が言う。

「緒戦の敗北で戦意を失うには及びません。漢賊たちは追撃を退けたと安心しているでしょう。軍勢の半ばが渡ったところを討てば一たまりもありません」

 陸機はその計略に同じて下知する。

「漢賊どもに漳水を渡られては手の打ちようがない。渡りきる前に叩かねばならん」

 それを聞いた張方と祁弘は軍勢を率いて飛ぶように先発する。陸機はさらに廣州こうしゅう順陽じゅんよう南平なんぺい雍州ようしゅう豫州よしゅうの軍勢に加勢を命じる。

 張方と祁弘は風をいて軍勢を進め、時を置かず漢の殿軍に追いついた。

 殿軍の劉霊と王彌は追いすがる晋軍を見ると、軍勢を返して待ち受ける。両軍が激突する頃には廣州刺史の陶侃とうかん麾下の朱伺しゅし呉寄ごきも追いついた。胡延攸と関山が軍列を揃えて廣州軍を阻む。

 雍州刺史の劉沈りゅうちん麾下の衙博がはく皇甫澹こうほたんが追いついて廣州軍に加勢すると、漢の新手が伏を発して襲いかかる。先頭に立つのは蕃将の孟彪と孟豹の兄弟に楊興寶、廖全であった。雍州の軍勢と四つに組んでの押し合いとなり、互いに一歩も譲らない。

 晋軍は陸続とつづいて到着し、豫州よしゅう刺史の劉喬りゅうきょう麾下の刁魚ちょうぎょ魏正ぎせい、南平太守の應詹おうせん麾下の蔣中しょうちゅう應詔おうしょうも漢軍に攻め寄せてきた。

▼この文中には「それに順陽の丘文と豫章の岑瑞も到着して」の句があったが、二人は先の「第百十五回 張賓は陸機と戦う」で自殺した描写があるために省いた。

 漢軍は半ば包囲を受ける形となり、劣勢と見た王彌は晋軍の軍列に斬り込み、副将の仲孫規ちゅうそんきたち三人を討ち取る。廖全は魏正を、楊興寶は刁魚をそれぞれ討ち取り、孟彪は蔣中を擒とした。

▼この文末には「胡延攸も晋軍に斬り込んで丘文を斬り殺し、岑瑞は陣頭に出て指麾を取ろうとしたところ、斬り込んできた関山の一刀に斬り殺された」の二文があったが、前段と同じ理由により省いた。


 ※


 張方と祁弘は、劣勢に陥ったと見るや軍勢を引いて本軍の到着を待ち、漢軍は孟彪、孟豹、楊興寶、廖全たちを殿軍として河辺に残し、渡河にかかった。漢軍の半ばが漳水を渡った頃に陸機が率いる本軍が到着し、軍勢を四つに分けて攻め寄せる。

 王彌、劉霊たちも筏の上にあり、殿軍を務める漢軍は晋兵を食い止めるべく一斉に矢を射放つ。雨のように降り注ぐ矢を受けて晋の将士は次々に射倒され、滎陽けいよう太守の李矩りく麾下の郭誦かくしょうも矢を受けて落馬した。

 陸機は叫んで応射を命じ、晋軍の諸隊は弓兵を前に出して弓弩きゅうどを射放つ。矢の数は凄まじく、漢兵の射殺される者は数え切れず、孟彪、孟豹、没突臧ぼつとつぞう没突艧ぼくとつかくが戦死した。

 漢の殿軍は晋の大軍に抗う術もなく退き、敵前で渡河せざるを得ない。

 晋軍は勢いづいて漳水に入り、その跡を追い討つ。漢将のうちまだ西岸に渡っていない者たちは、筏を返して晋軍を防ごうと図った。


 ※


 四更(午前二時)から始まった戦は半日以上も続き、日も暮れかかろうとしている。漢兵は漳水を渡って攻め寄せる晋軍を見て浮き足立ちはじめた。

 劉伯根りゅうはくこんが叫んで言う。

「晋兵を射止めて西岸に登らせるな。岸に上がって迎え撃つ用意が終わるまで時間を稼ぐのだ。ここが正念場ぞ」

 趙藩、陳國寶たちが弓兵に命じて一斉に晋軍に矢を射かける。晋兵が矢を受けて怯むと、祖逖が大音声に叫んで励ました。

「大功はこの機にある。これしきの矢に怯んで進まぬということがあろうか」

 自ら先頭に立って漳水から西岸に上がって攻めかかる。

 晋兵たちもその姿を見て勇み立ち、応射して漢軍に軍列を立て直す暇を与えない。この応射により趙藩は眉間に矢を受けて戦死した。

 陳國寶が劉伯根に叫んで言う。

趙三郎ちょうさんろう(趙藩、三郎は三男の意)が討ち死にした今、この陣はもはや支えきれません。先に進んだ軍勢も軍列を整え終わっておりましょう。劉太尉りゅうたいい(劉伯根、太尉は官名)は負傷しておられます。すみやかに撤退して下さい。吾らがここに留まって晋軍を食い止めます。今こそ国のために命を捨てる時、太尉まで討ち死にされては無駄死にです。早々に行って下さい」

 言うと陳國寶は残兵をまとめて晋軍に向かい、劉伯根は岸上に退いた。顧みれば、漳水を押し渡った晋の大軍が潮のように進み、前を阻む漢兵の一隊を苦もなく呑み込んだ。

 陳國寶も乱箭らんせんの中に命を落としたのであった。


 ※


 晋軍の張方、祁弘、朱伺、呉寄、衙博、皇甫澹たちは漳水を渡りきると、崖を登って追撃を再開する。岸上には関防、張實、楊龍、王如が軍勢を揃えて防禦線を引いている。

 それを見ると、張方と祁弘は追撃の脚を停める。漢の軍勢は防禦線を守りながら、劉伯根とともに魏縣に退却していった。

 すでに魏縣に入っていた劉聰と張賓が後軍の消息を探っていたところ、王彌と廖全が到着して孟彪、孟豹、没突臧、没突艧の戦死を報告する。劉聰が嗟嘆するところに関防たちが劉伯根とともに到着した。

 劉伯根の深傷ふかでを見た劉聰が嘆いて言う。

「太尉は吾が父兄、高齢であるにも関わらず鋒鏑ほうてきを冒して深傷を負わせたのは吾の罪である」

 それを聞いて劉伯根が言う。

「武人とは軍功により尺寸しゃくすんの地を奪って禄と栄誉を受け、宗祖の名を輝かせることができれば、身は砂場に死して屍を馬革うまがわで包まれても本望というもの。しかし、趙藩、陳國寶といった若者が討ち死にしたことは哀れでならぬ。太子は彼らの忠義を忘れてはなりませんぞ」

 それを聞いた劉聰、それに趙藩の兄の趙染たちが二人の死を痛哭つうこくするなか、張賓が言う。

「国事に殉じた者たちは深くいたむべきですが、戦はまだつづいております。生きている者たちを安堵あんどさせるのが先決、明日には晋軍が城を囲むでしょう。兵糧は残り少なく、すみやかに平陽へいように使者を出して救援と糧秣を求めねばなりません」

 そう言うと、張賓は軍議を開き、使者に誰を遣わすかを定めにかかったことであった。

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