第百十七回 劉聰は兵を退き、晋に遭いて敗らる
漢軍の
「幸い、諸将の尽力により晋軍の一陣を破ってその戦意を挫くことができた。先ほど
諸将はその命令を受けて陣払いの準備に入った。張賓は
▼「押送粮使」は輜重輸送の指揮にあたる任と考えればよい。
さらに、
手配りを終えると、漢軍は漳水を渡るべく一斉に動きはじめる。
※
晋陣にある
それより先、軍営に逃げ戻った際には張賓の計略により軍営を襲撃されるかと懼れて斥候を四方に放ち、特に漢の軍営がある漳水、
その間諜が還って告げる。
「夜半に入っても漢の軍営は明々と
陸機が言う。
「漢賊どもは連日の戦で将兵を喪い、糧秣も不足を来たしておりましょう。これは軍勢を魏縣に退こうとしているに相違ありません。諸王侯はしばらく軍議の席に留まって頂きたい。重ねて斥候を遣わして消息を探り、漢賊が退くのであればすぐに追撃の兵を出すのです」
間もなく早馬が駆け込んで報じる。
「漢の軍勢が輜重を運び去っているようです」
「これで決まった。張賓めは吾らが兵を分けて背後の魏縣を襲うことを懼れているのです。魏縣を奪われれば退路を断たれたも同じ、それゆえ軍勢を返そうとしております。さらに言えば、漢賊どもが確保している魏縣を戦場とすればこれまで客であった漢賊が主となり、主であった吾らは客となります。吾らを懐に引き込んで疲弊させるつもりでしょう。漢賊が退く機を
成都王はその言を
「張賓は詭計多く、必ずや備えを置いておりましょう。また、
▼「窮寇」は「窮した敵」の意、言うことは「窮鼠かえって猫を噛む」に同じ。
「軍勢はすでに発し、今さら呼び返そうとしても及ばぬ。
成都王は
※
夜も更けて
すでに漢の軍営は
牽秀たちは急いで軍列を整えて待ち受けようとするも、そこに劉霊と王彌が襲いかかって晋兵を蹴散らしていく。
漢の精鋭を揃えた伏兵の勢いを防ぎきれず、晋軍は
ついに董拱は胡延攸の前まで押し出され、一刀の下に馬から斬り落とされて落命した。
僚友の臧琦が仇を討つべく劉霊に攻めかかったものの、矛に貫かれて戦場の露と消える。
晋兵たちが怖気づいたのを見て、成都王麾下の陳眕が怒って叫ぶ。
「ここから逃げて敵にも味方にも合わせる顔などあると思うな。踏み止まって討ち死にせよ」
言うや自ら陣頭に立って攻め寄せる漢軍を押し止め、その勢いに晋の将士も戦意を盛り返して踏み止まった。
両軍の揉み合いがつづくうち、関山が東海王麾下の柳緯を斬り殺し、崩れた軍列に飛び込んで傷口を広げていく。ついに晋軍は支えきれずに潰走をはじめた。
そこに後詰となる張方と祁弘の軍勢が駆けつけたものの、敗走する晋兵の後ろを王彌、劉霊の軍勢が追い討ち、一塊となって潮のように向かってくる。さしもの張方、祁弘も敗兵に揉まれて前に進めない。
狼に襲われた羊群の如き敗兵の只中で二将は満足に指麾を取れず、道を争う晋兵が同士討ちまで始まる。張方と祁弘もやむなく軍勢を返し、四、五里(2.2~2.8km)も退いてようやく軍勢をまとめた。
王彌たち漢将も晋兵を退けると深追いせず、漳水を渡るべく去っていった。
※
時を置かず成都王と陸機の本軍も合流し、緒戦に伏兵の攻撃を受けて三将を喪ったことを報告する。思わぬ敗戦に意気沮喪していると、盧志と祖逖が言う。
「緒戦の敗北で戦意を失うには及びません。漢賊たちは追撃を退けたと安心しているでしょう。軍勢の半ばが渡ったところを討てば一たまりもありません」
陸機はその計略に同じて下知する。
「漢賊どもに漳水を渡られては手の打ちようがない。渡りきる前に叩かねばならん」
それを聞いた張方と祁弘は軍勢を率いて飛ぶように先発する。陸機はさらに
張方と祁弘は風を
殿軍の劉霊と王彌は追いすがる晋軍を見ると、軍勢を返して待ち受ける。両軍が激突する頃には廣州刺史の
雍州刺史の
晋軍は陸続とつづいて到着し、
▼この文中には「それに順陽の丘文と豫章の岑瑞も到着して」の句があったが、二人は先の「第百十五回 張賓は陸機と戦う」で自殺した描写があるために省いた。
漢軍は半ば包囲を受ける形となり、劣勢と見た王彌は晋軍の軍列に斬り込み、副将の
▼この文末には「胡延攸も晋軍に斬り込んで丘文を斬り殺し、岑瑞は陣頭に出て指麾を取ろうとしたところ、斬り込んできた関山の一刀に斬り殺された」の二文があったが、前段と同じ理由により省いた。
※
張方と祁弘は、劣勢に陥ったと見るや軍勢を引いて本軍の到着を待ち、漢軍は孟彪、孟豹、楊興寶、廖全たちを殿軍として河辺に残し、渡河にかかった。漢軍の半ばが漳水を渡った頃に陸機が率いる本軍が到着し、軍勢を四つに分けて攻め寄せる。
王彌、劉霊たちも筏の上にあり、殿軍を務める漢軍は晋兵を食い止めるべく一斉に矢を射放つ。雨のように降り注ぐ矢を受けて晋の将士は次々に射倒され、
陸機は叫んで応射を命じ、晋軍の諸隊は弓兵を前に出して
漢の殿軍は晋の大軍に抗う術もなく退き、敵前で渡河せざるを得ない。
晋軍は勢いづいて漳水に入り、その跡を追い討つ。漢将のうちまだ西岸に渡っていない者たちは、筏を返して晋軍を防ごうと図った。
※
四更(午前二時)から始まった戦は半日以上も続き、日も暮れかかろうとしている。漢兵は漳水を渡って攻め寄せる晋軍を見て浮き足立ちはじめた。
「晋兵を射止めて西岸に登らせるな。岸に上がって迎え撃つ用意が終わるまで時間を稼ぐのだ。ここが正念場ぞ」
趙藩、陳國寶たちが弓兵に命じて一斉に晋軍に矢を射かける。晋兵が矢を受けて怯むと、祖逖が大音声に叫んで励ました。
「大功はこの機にある。これしきの矢に怯んで進まぬということがあろうか」
自ら先頭に立って漳水から西岸に上がって攻めかかる。
晋兵たちもその姿を見て勇み立ち、応射して漢軍に軍列を立て直す暇を与えない。この応射により趙藩は眉間に矢を受けて戦死した。
陳國寶が劉伯根に叫んで言う。
「
言うと陳國寶は残兵をまとめて晋軍に向かい、劉伯根は岸上に退いた。顧みれば、漳水を押し渡った晋の大軍が潮のように進み、前を阻む漢兵の一隊を苦もなく呑み込んだ。
陳國寶も
※
晋軍の張方、祁弘、朱伺、呉寄、衙博、皇甫澹たちは漳水を渡りきると、崖を登って追撃を再開する。岸上には関防、張實、楊龍、王如が軍勢を揃えて防禦線を引いている。
それを見ると、張方と祁弘は追撃の脚を停める。漢の軍勢は防禦線を守りながら、劉伯根とともに魏縣に退却していった。
すでに魏縣に入っていた劉聰と張賓が後軍の消息を探っていたところ、王彌と廖全が到着して孟彪、孟豹、没突臧、没突艧の戦死を報告する。劉聰が嗟嘆するところに関防たちが劉伯根とともに到着した。
劉伯根の
「太尉は吾が父兄、高齢であるにも関わらず
それを聞いて劉伯根が言う。
「武人とは軍功により
それを聞いた劉聰、それに趙藩の兄の趙染たちが二人の死を
「国事に殉じた者たちは深く
そう言うと、張賓は軍議を開き、使者に誰を遣わすかを定めにかかったことであった。
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