第九十九回 徐輦と范長生は李流に帰す
「危中に安きを得て死中に活を得るとは思わなかった。さらに汶山の城まで攻め落としたのは、すべてお前の力である。父兄の名を辱めない功績であると讃えられよう」
李雄は謙遜して言う。
「これはすべて叔父の威福と諸将の尽力によるものです」
李流は汶山を攻めた諸将を労う酒宴を開き、酒を過ごして宴を終えたことであった。
羅尚は軍勢から離れて成都の西にある
「李流は度重なる敗戦にも懲りずに汶山を奪ったという。理においてはすみやかに討伐すべきであるが、先の何冲の戦死により士卒の士気は衰え、敵の戦意は盛んである。まずは東の
徐輦も賛同し、ただちに軍勢を涪城に差し向けた。涪城を守る
「先の敗戦から時が経っておらず兵糧も残り少ない。城を捨てて退くのがよかろう」
意を決した李譲は涪城から
▼涪城は成都の東、本拠地の
※
羅尚は涪城に軍勢を入れて民を安んじ、府庫に入ってみれば銭糧は残らず持ち去られていた。兵糧を用意してこなかったため、軍勢は餓えに苦しんだ。
徐輦が献策して言う。
「吾が軍勢が東を攻めれば敵は西を掠め、吾らが南を囲めば敵は北に襲いかかります。戦に際限はなく、民は安んぜず地も静まりますまい。禍の根を断てていないのです。郡内の
羅尚はその策に疑心を生じて思う。
「徐輦の心底は自ら汶山の太守となることにあろう。ゆえに策を献じて事を果たした暁には望みを叶え、事が破れれば責を吾に帰するつもりか」
疑心に捕らわれた羅尚は策を入れぬばかりか、徐輦を
「李流は吾が数郡の軍勢を集めて精鋭を揃え、それでも平定できぬ兇賊である。それを、一介の
頭から策を退けて
徐輦は憤懣遣る方なく、怒りを抑えて退出すると嘆いて言う。
「羅尚の凡夫めは大事をなす器ではない。吾が言を
その言葉を密告する者があり、羅尚は大いに怒ったが
※
一日、徐輦は羅尚に防備を固めるよう勧めて言う。
「先に李譲と任蔵は城を棄てて退きました。しかし、賊徒がこの涪城を諦めたとは思えません。戦って敵し得ぬと観て退いたとはいえ、必ずや隙を窺い、攻め寄せて参りましょう。予め城の防備を固めて備えねばなりません」
羅尚は先の意趣返しもあり、苦りきって放言した。
「お前は賊徒を懼れて心配が過ぎる。吾が李特を擒として賊将を多く斬ったのを見て、賊徒どもは吾を虎のごとく畏れておる。吾が声を聞き、吾が影が映れば逃げ出すだけのこと、意を安んじて愕き慌てるのをやめよ。吾には計略があり、
その言を聞いて徐輦は胸中の善意も害意に変じ、顔色を変えて半刻(十五分)ほども無言であったが、気息を収めるとおもむろに言った。
「小将の言をお取り上げ頂けないのであれば、別に軍営を分けて敵に備えるのがよろしいでしょう。賊の計略を防ぐによく、敵が攻め寄せた際には互いに助け合うこともできます。如何でしょうか」
徐輦と軍営を分けしまえば咎を設けて陥れるにも都合がよいと羅尚は考え、その意に任せることとした。
それより徐輦は五千の軍勢を率いて城外に軍営を置き、賊徒よりも羅尚が姦計により己を害そうとしないかと用心するようになった。
※
この時、李譲は郫城に軍営を置いていたが、羅尚と徐輦の不和を知り、涪城を取り返そうと企てていた。また、それに先んじて郫城の兵糧が少なく保ち難いため、李流がいる廣漢に使いを出して兵糧の輸送を願っていた。
李譲の要請を聞くと、李雄は閻式に命じて糧秣を運ばせ、自らも精鋭を率いて加勢に向かった。郫城に着くや軍議となり、閻式が言う。
「しばらく鳴りを潜めて敵の形勢を知るのが先決です。聞くところ、羅尚と徐輦が不和だといいます。事実であれば、つけ入る隙は幾らでもありましょう。まずは間諜を入れて消息を調べさせることです」
李譲と李雄もそれに従い、涪城に間諜を入れることとした。
数日が過ぎて間諜がまだ戻らぬうち、
「羅公と徐参軍が不和であると聞くが事実か」
「
それを聞いた閻式が言う。
「もっともなことだ。しかし、それで吾らも疑いが晴れた。先に徐輦が人を遣わしてともに涪城を破るように申し伝えてきた。しかし、吾らは先の敗戦により主を喪い、軍勢の士気も振るわぬ。ゆえに時を置かねばならず、いまだ行っていない。お前の言で仔細まで分かった」
閻式がそう言って頷くところ、李雄が遮って言う。
「この者は羅尚の士卒、その前で密計を話しては敵に
斬刑に処そうと士卒を引き立てようとした。閻式は愕いて言う。
「まだ情報を取れるやも知れません。ここは監守をつけて軍中に留め、涪城を破った後に放免すればよろしいでしょう。今すぐ斬るには及びますまい」
士卒は軍士に引き渡されて軍営に軟禁されることとなり、閻式はわざと士卒が逃げられるよう仕向ける。士卒は謀であると悟らず、夜陰に乗じて涪城に逃げ戻った。
羅尚は報告を受けると激怒して徐輦の軍営に常深を遣わした。常深はその意を受けて徐輦の背反と野心を責める。思い当たらぬ咎であっても弁解など容れられるはずもなく、徐輦はいつ羅尚が非を鳴らして攻め寄せてくるかと大いに怖れた。
それでも一応の理を述べて弁解し、常深を羅尚の軍営に送り返したのであった。
※
閻式は機が熟したと判断し、李流に願って自ら徐輦の軍営に向かった。
「羅尚は老年に至り、心は
ちょうど徐輦は常深に咎められて身の成り行きを憂えていた折、閻式の勧めに従って軍営を焼き、軍勢を率いて郫城に向かった。
李雄と閻式は徐輦とともに郫城から廣漢に向かって李流に謁見した。李流は徐輦が降ったと聞くと諸将を率いて出迎え、城内では酒宴を開いて労った。徐輦はこれより
その後、講武場に出て兵士たちの調練を見ると、徐輦は愕いて言う。
「諸将と兵士の訓練を見るに、十分な精鋭に仕上がっております。覇王の業をなすのも難しくはありますまい。ただ、糧秣が不足していることだけが懸念されます」
李流はそれを聞いて言う。
「蜀は久しく戦乱がつづいて多くの人が域外に逃れてしまった。官は窮迫して民は疲弊し、兵糧の不足がつづいている。どうすればよいだろうか」
「かつて
李流はそれを許して金寶を礼物として整え、徐輦を范長生の許に遣わした。青城山に到って范長生に
范長生は拒んで言う。
「吾は清高の誓いを立てて自らの道を守り通そうとしております。もしこの申し入れを受けて叛逆の人に兵糧を送れば、後世に汚名を残して誹りを受けることとなりましょう。それは平生の志ではありません」
「羅公は民の
長生は黙して語らず、傍らの楊褒が言う。
「徐輦が羅尚の参軍であったことはご存知でしょう。しかし、羅尚の酷政を諌めたがゆえ怒りに触れ、咎なくして罪されようとしたのです。また、李益州の仁心は民に伝わって義気は人を動かしたがゆえに多くの者が帰付し、ともに民を水火の難から救おうとしているのです。吾らは関外の流民であっても、大礼を知らぬ者ではありません。今や晋朝は大いに乱れて蜀は失われようとしています。先生も深山を出て、先主を援けて蜀漢を再興した
二人はさまざまに理を引いて口説き、長生もついに折れて兵糧を提供することとした。
※
李流は兵糧を得ると軍議を開いて言う。
「ふたたび涪城、少城の二郡を落とすべきであろう」
▼少城が郡ではないことは先に述べたとおり。
范長生が言う。
「空城を争ってはなりません。羅尚は新たに取り返した以上、力を尽くして守り抜こうとするでしょう。思うに、羅尚の兵糧は南の
李流はその言に従い、李雄に命じて犍爲に軍を向かわせる。李雄は軍勢を発すると昼を避けて夜間に進み、密かに城下に攻め寄せた。
李苾は流民が姿を現すまでその襲来を知らず、急いで軍議を開いて言う。
「賊徒が吾が城下に攻め寄せてきた。
賀仁の弟の
「吾が軍勢を率いて賊徒を退けましょう」
軍勢を整えると、賀俊は先頭に発って野戦を挑む。李雄は勢いよく突出してきた賀俊を迎え撃ち、十合にもならぬうちに生きながら擒としてしまう。
李苾は城上からこれを見ると奔って官府に逃げ戻り、家眷を引き連れると北門から逃れて成都に落ち延びていった。犍爲の軍勢は将帥を失い、すべて李雄に降った。
李雄は廣漢に人を遣わして
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