第九十五回 李特は再び羅尚を破る

 費遠ひえんの弟の費深ひしんは兄が少城しょうじょうの戦に破れて討たれたのを見ると、成都せいとに奔って羅尚らしょうに説いた。

「今や賊将の李譲りじょう毗橋びきょうに拠って交通を阻み、李特りとくたちは東の葭萌関かぼうかんを奪い、西に転じて巴西はせいかすめて徳陽とくようを下し、涪城ふじょうを落としてさらに常俊じょうしゅんと吾が兄の費遠を斬り殺し、蜀の地を震撼させております。明公は蜀の盟主でありながら、進んで賊軍を討たず坐して流民どもにほしいままの振舞いを許しておられます。これが忠を尽くして任にかなうと申せましょうか。その責は誰に帰されるとお思いですか」

 羅尚はその意見をとし、張興ちょうこうを先鋒として費深を後詰ごづめとし、三万の軍勢でただちに毗橋を奪い返さんと図った。さらに、人を遣わして上庸じょうよう張龜ちょうきを呼び寄せて援軍とする。

 張興たちは都尉とい銭貫せんかんに一万の兵を与えて進ませ、流民に挑ませた。李譲たちは橋に拠っていささかも動じず、対峙して一日が過ぎる。官兵が度々挑発しても流民は戦わず、結局は軍営に引き返さざるを得なかった。


 ※


 翌日、張龜の軍勢も到着して四人の官将が軍を二つに分けて攻め寄せた。

 これより先、閻式えんしきが計略を設けて毗橋から五里(約2.8km)のところに精兵を埋伏させており、軍営には小勢が残って官兵たちを引き付けていた。

 李攀りはん任回じんかい蹇碩けんせき趙誠ちょうせい王角おうかくが伏兵を率いて背後にいるとは、張龜たちは夢にも思っていない。勇を奮って斬り込むと、軍営には一兵の姿もない。

「賊の計略だ。早く返してここを出よ」

 叫んだ時には時すでに遅く、砲声が連なって伏兵の四将が背後から襲いかかる。

 戦いが始まってそれほど経たないうちに、李輔りほ趙説ちょうせつ李文りぶん李棋りきたちも四方から攻め寄せた。官将は毗橋に包囲され、周囲から攻められて軍列が崩れはじめる。官兵の屍が累々と積み重なって河水の流れをめるほどであった。

 張龜、張興たちは包囲を突き破って一條の血路を切り拓き、ようよう囲みを抜けると成都を指して逃げ去った。


 ※


 羅尚は諸将が敗れて戻ったと知り、心に悩み怒りながらも即座に兵を掻き集める。

 ふたたび張龜と銭貫に一万の兵を与えて前駆を命じ、自らは諸将と二万の軍勢を率いて継進した。毗橋に迫る地点に軍営を置くと対陣に入る。

 李譲は先の戦勝に心が驕り、羅尚の軍勢を討つべく出戦を挑んだ。

「勝勢に乗じて羅尚など容易く打ち破れよう」

 そう考えた李譲は閻式に相談もなく先頭に立って攻めかける。

 銭貫は勇を奮って李譲の軍勢を断ち割り、その間を抜けて毗橋に突入した。閻式は大いに愕いて任回、李攀に防がせる。

 李攀が銭貫を迎え撃って二、三十合も戦ったところ、銭貫は力及ばず敗色が濃くなっていく。そこに任回が攻めかかって銭貫は生きながらとりことされた。

 李譲は思わぬ勝ちを拾った勢いに乗じて毗橋から攻め進み、羅尚の軍営にまで攻め込んだ。張興と張龜が援護に駆け戻ったものの、羅尚は一戦にも及ばず馬を返して逃げ奔る。

 官兵は浮き足立って隊伍を乱し、そこに趙誠、李攀らが力を奮って斬り込んでいく。糧秣、武器を放り捨てて官兵は潰走し、李譲はそれらを奪い取るとさらにつづけて後を追う。

 羅尚は成都に近づくや柵を閉ざして追撃を阻む。李譲は火を放って柵を焼き払い、進んで成都の北境に陣を布いた。


 ※


 羅尚は大いに怖れて一計を案じ、偽って李譲に投降して内応するよう張興に命じた。命を受けた張興は李譲に降り、李譲はこれが奇策とも思わず投降を受け入れる。

 張興が陣の虚実を測って将の強弱を察するところ、軍勢は二万を過ぎず将はただ任回、李文、趙誠がいるばかり。機会を見澄まして腹心の部下を密かに逃がし、成都の羅尚と約を定めた。

 羅尚は張興からの約を受けると張龜、徐輦じょれんに一万の兵を与え、ばいを含んで進ませる。

 二人は李譲の陣営に馳せ向かい、夜陰に乗じて攻めかけた。備えを欠く陣営に官兵が鬨の声を挙げて斬り込む。李譲が跳ね起きて応戦するも、人は甲冑を着込むに及ばず、馬に鞍を置く暇もなければ徒に騒いで動揺するばかりであった。

 官兵は混乱に乗じて斬りたて、流民は縦横に四散して逃げ惑う。

 李文が命を惜しまず突出して官兵を防いだものの、傍らより張興の一刀を受けて馬下に斬り落とされる。李譲は討たれる味方を救う暇もなく走り去って毗橋に退き、李流の軍営に逃げ込んだ。

▼『後傳』の原文では「李文等は內より死をはいして殺り出し、降將張興の一刀を被りて馬下に砍らる」と記され、死んだとは明記されていない。また、後の「第五十二回 羅尚は敗に因りて李特を擒う」では「上官惇じょうかんじゅん王達おうたつ麴歆きくきん、李文を糧料使りょうりょうしす」という一文があり、この後も李文は生存していたと分かる。よって、ここでの李文は張興の一刀で負傷したものと考えるのがよい。

 張龜は夜を徹して後を追い、毗橋に攻め寄せると李流が軍勢を率いて迎え撃つ。官兵もついに追撃を諦めると、兵を返して軍営に戻って行った。


 ※


 それから三日もせずに李特と上官晶じょうかんしょうが本営に戻れば、羅尚と李譲が戦い、李文が張興の一刀を受けて傷を負ったとの報告を受けた。聞いた李特は怒って言う。

「即刻に軍勢を毗橋に向け、仇に報いねばならん」

 その動向を探り出した間諜は羅尚の軍営に戻って告げ報せる。

 羅尚は報告を受けて言う。

「この度の戦勝は僥倖ぎょうこうに過ぎん。軽々しく軍を出して戦うわけにはいかん。ましてや李特が自ら攻め寄せるとあれば、その勢いは敵しがたいものがあろう。ここは成都に戻って隣郡の軍勢と会した後に再戦するのがよいだろう」

 張興と費深が進み出て言う。

「将軍は大晋の方伯ほうはくの身でありながら、流民ごときを恐れて一戦もせずに退くのですか」

▼「方伯」は一地方の支配を委ねられた大官を意味する。

 その言葉を聞いて羅尚は恥ずかしく思ったか、李特を迎え撃つと決めた。

 李特もまた軍勢を率いて陣を布き、両陣営が鼓を鳴らして鬨の声を挙げると、李蕩が大刀を車輪に回して馬を出す。そこに官将の張興が刀を抜いて馬を馳せ、両者の刀は雪をくように互いの身を狙い、悪戦すること三十余合、それでも勝負を決さない。

 張興が李蕩に勝てないと見定めると、費深は馬に鞭して加勢に出た。

 李特の陣の任回もそれを見るや馬を出し、斬り込む費深を迎え撃つ。四将が馬を蹴立てて交わり戦うこと二時ばかり、戦がつづく間に李譲、李攀は鉄騎てっきを率いて下流に向かい、浅瀬を選んで対岸に渡った。岸を廻って官兵の背後に出ると、馬頭を揃えて突きかかる。

 背後を襲われた官兵は乱れたち、羅尚は張龜に命じて防がせた。

 李攀は己の武勇を恃み、単騎で駆けて張龜、張興、費深を相手に戦を挑む。三騎の官将たちは李攀一人に斬りたてられ、馬を返して逃げ奔る。李攀は勇を奮って後に追いすがる。

 そこに張龜が身を廻らせて鎗を突き、鎗先を受けた李攀は馬より落ちて息絶えた。

 これには流民も士気を殺がれ、ついに兵を収めて引き返す。羅尚は逃げ延びて郫水びすいに到って軍を止めた。


 ※


 ある人が羅尚に策を勧めて言う。

「今日、劇賊げきぞくの李攀を除いたとはいえ、吾らは多くの糧秣と武器を失い、一夜に四十里(約22.4km)も追い討ちを受けて六千ほどの兵を喪いました。兵将ともに疲れ果てております。しばらく成都に帰って兵卒を休ませねばなりません」

 費深が駁して言う。

「いけません。成都に戻れば、賊兵たちはその機に乗じて包囲しましょう。しばらくはここに軍営を置き、人を梁州りょうしゅう犍爲けんい廣漢こうかんに遣わして救援を求め、援軍の到来を待って戦えば賊を退けられます」

 羅尚は費深の言に従って使者を四所に遣わし、救援を求めた。

 数日を過ぎず、梁州刺史の許雄きょゆう裨将ひしょう孔志こうし張世ちょうせいに一万の兵を与えて遣わし、廣漢太守の辛冉しんぜんは部将の李統りとうと三千の兵を、また犍爲太守の李苾りひつ牙将がしょう傅欽ふきん賀仁がじんに五千の兵を遣わして郫水に向かわせ、羅尚の指揮下に入るよう命じた。

 羅尚はこれらの援軍を迎え入れると、慰撫して軍勢を休ませる。さらに南蠻校尉なんばんこうい樵登しょうとうが副将の秦敬しんけい左明さめいに七千の兵を遣わし、羅尚の兵威はふたたび大いに振るった。

 李特は官兵が各地より集まったと知り、憂え懼れて諸人を集め、これを平らげる策を問うた。閻式が進み出て言う。

「一計がございます。各地の官兵が集まったとはいえ、それぞれの心は異なって互いに強を誇っておりましょう。それが人情というものです。吾らは彼らに弱を示して欺き、その後に奇策を用いれば一戦に羅尚の軍勢を破るのも難しくはございません。怖れるに足りません」

 閻式が官兵たちを意に介していないと知り、李特は心を安んじると李超、任回たちに命じて毎日出戦させ、常に弱を示して官兵たちの心を驕らせることにした。

 その後は官兵たちが出なければ戦わず、戦ってもただ陣を守るに徹する。

 官兵たちはわらって言う。

「李特の軍勢は吾ら強兵が新たに集まったのを怖れ、このようにしているのであろう」

 それより懈怠けたいして用心を怠るようになったことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る