第九十二回 羅尚は兵を会して李特を征す

 成都せいとの刺史の羅尚らしょう辛冉しんぜんが軍勢を発して李特りとくを討つと聞き、部下の田佐でんさを加勢に遣わした。間諜を放って勝敗を探らせていたところ、敗兵たちが逃げ戻って言う。

「田佐、曹元そうげん張顕ちょうけんは殺され、三万の軍勢の大半が喪われました。この敗戦により各郡の太守は任地に逃げ戻り、李特の軍勢は勝勢を駆ってこの成都を襲おうとしております。すみやかに防備を固めて下さい」

 羅尚は聞くと怒って言う。

「厚遇したにも関わらず、吾が部下を害するとは。歯向かう賊を討たぬ理由はない」

 そう言うと軍勢を発して李特を討とうとした。

 その時、府門に来客があり、書状を奉じて面会を求めているという。羅尚が入るよう命じると、その人は進み出て夜光珠やこうしゅ二粒、延壽珠えんじゅしゅ一粒、祖母珠そぼしゅ一塊、空青くうせい一丸を献上した。

▼夜光珠、延壽珠、祖母珠は宝石、輝石と考えておけばよい。「空青」は、『漢書かんじょ司馬相如しばしょうじょ傳の注に「丹沙たんさは今の朱沙しゅさなり。青雘せいわくは今の空青なり。しゃは今の赤土なり。は今の白土なり」とあり、鉱物性の染料と考えられる。また、『宋史そうし地理志ちりし潼川府どうせんふの條に特産物として空青がある。潼川府は旧の梓潼郡しどうぐんにあたり、この地の特産であったと分かる。

 羅尚が来意を問えば、胸に掛けた文箱ふばこを呈上した。見れば、李特が哀訴する書状であった。左右を退けて問えば語って言う。

「明公にお伝えするように命じられたところによれば、李甸長りでんちょう(李特)はかたじけなくも聖上より宣威せんい将軍、長樂侯ちょうらくこうを授けられる恩恵を受け、かつ大晋の吏僚でもあります。それにも関わらず、寓居ぐうきょに亡命者をかくまい、財をかすめて富を致したと辛公(辛冉)の誣告ぶこくを受けたのです。その経緯をお話すれば、かつて辛公が吾らに金子五千両を出すよう命じられ、『この金を出せば、蜀から離れる期限を八月より先に送ってやろう』と仰せられました。『それならば、せめて歳を越すことを御許し下さい。何とかして二千両を献上いたします』と願い出ても相手にしてもらえません。この時、李犍爲りけんい李苾りひつ、犍爲は官名)が辛公に勧めて、『一鼓に流民どもを斬り殺せば、金銀十万両は手に入りましょう。わずかな金を得たところで何の役にも立ちますまい。誅殺ちゅうさつしてすべて奪うべきです』とそそのかしました。辛公もこの言葉に同じて三万の軍勢を整え、緜竹めんちくに攻め寄せられたのです。流民たちは死を怖れて山間の地に隠れ、せめて難を逃れようと斬って出れば、図らずも官兵が逃げ奔るのに出遭いました。これにより流民たちは一時の死を逃れることができたのです。田督護でんとくご(田佐、督護は官名)はこのみぎりに流れ矢を受けられ、戦の後に明公の将官であると知って救おうとするも時すでに遅く、みな愕き畏れました。そのため、李甸長は吾らを遣わして明公に罪を請い、あわせて何とか朝廷との間を取り持って頂けるよう、お願いに参りました」

 羅尚はそれを聞いて言う。

「李将軍に吾が言葉を伝えよ。辛冉の軍勢を防ぐにも、将兵を殺さなければ、何とでも申し開きができた。しかし、今となっては叛乱とするよりなく、ふたたびお前たちを弁護すれば、吾も叛乱に加担していると看做みなされよう。叛乱にくみしたと看做されれば、罪せられて弁明の仕様がない。事はすでに詮方せんかたなきところに至っておる。唯一できることがあるとすれば、急いで流民たちを解散させることだ。吾は流民たちをとらえざるを得ぬが、それでも殺しはせぬ。それ以外の方策はない。お前は早く戻ってこのことを李将軍に伝えよ。しばらくすれば、別郡より命令書が到ろう。そうなれば吾はお前たちの罪を問わねばならん。お前たちのために計らえるのはここまでだ」 

 使者は営塁に戻ってその言葉を李特に伝えた。李特は閻式えんしきを顧みて言う。

「羅公は徳人、理においてはその言葉に従うべきであろう。しかし、流民たちは朝廷に従うことを欲しておらん。問うたところで是非にも及ぶまい。流民たちが散じなければ、羅公はすぐさま軍勢を率いてここに攻め寄せる。急ぎ兵たちに命じて険要の地に拠って官兵を防がせるべきであろう。勝敗はこの一戦にあり、生死も定まる。みな力を尽くして官兵を防げ」

 諸人はその言葉に従い、それぞれに険要の地を固めて官兵の到来を待った。


 ※


 羅尚はそれより日々軍勢を点検して軍威を張り、出陣の日を睨んでいた。

「李特が罪を懼れて逃げ出すのであれば、逃がしてやって軍勢を進めて追うふりをすればよい。それならば李特との情義を全うし、朝廷には軍功として報告できよう」

 そう考えると、間諜を緜竹に遣わして李特の様子を探らせた。間諜が戻って報告する。

「李特は兵を分けて要害を守り、逃げ出す様子はありません」

 羅尚はそれを聞くと、近隣の郡縣に加えて蛮夷の酋長にまで檄文を発し、軍勢を会して流民たちを攻め滅ぼすと肚を決めた。蜀の者たちは日ごろから流民の跋扈ばっこを憎んでおり、檄文に応じて軍勢を出した。

 さらに、檄文は東の荊州けいしゅうと北の長安ちょうあんにまで到った。

 長安に拠る河間王かかんおう司馬顒しばぎょうは檄文に接して命を下し、雍州ようしゅう都護とご衙博がはくに一万の軍勢を与え、徳陽とくよう太守の張徴ちょうちょう牙将がしょう王宛おうえん孫奇そんきを副将に任じて流民の平定に加勢すべく成都に遣わした。

 また、上庸じょうよう太守、南夷校尉なんいこうい義歆ぎきん督護とくご張龜ちょうきに五千の軍勢を与え、援軍として成都せいとに遣わした。巴州はしゅう徐健じょけんと梓橦の張演ちょうえんもそれぞれ五千の軍勢を率いて加勢に向かう。

▼晋代の「南夷校尉」は寧州ねいしゅうに置かれ、南蠻を治めた。寧州は益州えきしゅう建寧けんねい興古こうこ雲南うんなん交州こうしゅう永昌えいしょうの四郡を割いて置かれ、漢中かんちゅうの東にあたる上庸の太守が兼ねたという記録はない。

 羅尚は緑水りょくすいから犍爲まで数百里に渡る長大な陣で流民を遠巻きにし、犍爲太守の李苾に兵站を委ねる。全軍の配置を定めた後、李特に逃亡を勧め、兼ねてその軍勢の虚実を計るべく単騎で緜竹に赴いた。


 ※


 李特は単騎で姿を現した羅尚を見ると、己も上官晶じょうかんしょう王角おうかくの二人を連れて出迎えた。

「願わくば、営塁にお入り下さい」

 羅尚は拒み、李特は問う。

「明公がここに来られたということは、吾らに諭される旨がおありと拝察いたします」

「先にはすみやかに故郷に還れば跡は追わぬと伝えた。もはや成都だけでなく、長安、上庸、梓橦、犍爲の軍勢も集まり、総勢二十万となった。しかし、すぐさま攻めるに忍びず諸軍を留めておる。お前は吾が来たのを見て会いに来た。それゆえ、流民たちとともに関を出ることを、重ねて勧める。さすれば、諸将の怒りを免れることができよう。お前たちでは二十万の官兵を防ぎ切れぬ。自ら禍を取らぬよう熟慮せよ」

「公の大恩を蒙ったこと、骨身に刻んで忘れておりません。しかし、吾らの哀訴は先に使者より申し上げたとおり、今や時勢はここまで到り、流民を関から出すこともままなりません」

 羅尚はそれを聞くと、馬を返して去っていく。李特は五、六里(2.8~3.3km)もともにくつわを並べて送り、涙を流して辞去した。

 営塁に戻った李特は閻式に言う。

「今日、羅公がここまで来た理由は、空しく情を尽くしたように見せてその実は吾が軍勢の多寡と虚実を計るためであろう。明日は先手を打って兵を出す。隣郡の軍勢が到着しては、勝ち目はまったくなくなるだろう」

 閻式が献策する。

甸長でんちょう、懼れるには及びません。吾に一計があり、それにて官兵どもを打ち破れましょう。隣郡の官兵が集まったとはいえ、諸将の心が一つでなければ烏合の衆です。軍勢を分けて防ぎ、妄りに戦ってはなりません。敵を防ぎさえすれば、勢いに乗じて多勢を破ることも難しくはありません。羅尚の軍勢を退ければ、長安の軍勢は自ずから退きましょう」

「長安の軍勢を戦に巻き込むべきではない。吾が軍勢の強弱を測り、その後に戦うか否かを定める。長安からの援軍がまだ来ていなければ、すぐさま軍勢を遣わして葭萌関かぼうかんを奪い取り、蜀に入るのを阻めば憂えるにも及ぶまい」

 李特はそう言うと、上官晶、蹇順けんじゅん任回じんかい李超りちょう李攀りはんとともに七千の軍勢を率いて長安の軍勢を阻むべく陣を発った。


 ※


 李特が軍勢を率いて葭萌関に向かったと知り、羅尚は上庸の張龜と部将の張興ちょうこう徐輦じょれんに命じて三路より流民の営塁に攻めかからせた。

 三人に命じて言う。

「吾が先に李特の営塁を観るかぎり、廣漢の軍勢が敗北したのも道理というものだ。流民と思って慢心し、警戒を怠って山中の隘路に軍勢を進めた。賊は不備を見計らって前後より挟撃したのであろう。ゆえに容易く打ち破られた。その上、賊兵はおおよそ三万ほどもあった。李特が自ら長安の兵にあたって軍を分ければ、営塁に残る兵は二万に過ぎまい。怖れるに足りぬ」

 三将は命を受けて軍を発する。流兵の間諜はそれを知ると馬を飛ばして駆け戻り、李特の留守を預かる李流りりゅうと閻式に告げ報せた。

 閻式は落ち着いて言う。

「諸君、敵が進んできたとて愕き慌てる必要はない。ただ攻めるに任せて兵を動揺させるな。午の刻(十二時)を過ぎれば官兵も疲れはじめる。その時、合図の砲声を挙げる。それを機に攻撃に転じよ。機会を誤らぬように注意せよ」

 諸人はその言葉を聞いてそれぞれの持ち場に就く。

 官兵たちは羅尚の命により三路より一斉に攻め寄せた。営塁を攻め落とすべく猛烈に攻めるものの、流民たちはただ営塁を守って動じない。

 張龜たちが火のように攻め立てても営塁は小揺るぎさえ見せず、午の刻を過ぎた頃には官兵たちは疲労もあって懈怠けたいしはじめた。雑談する者もあれば、武器を置いて汗を拭う者もあり、将帥はんで兵卒は疲れ、隊伍が乱れて統率は失われる。

 閻式はふくわらい、兵士に命じて砲声を挙げさせた。

 それを合図に李流、任道じんどう李譲りじょう羅准らわい李蕩りとう蹇碩けんせきたちが一斉に攻めかかり、張龜、張興、徐輦はそれぞれに敵を迎え撃つ。両軍は入り乱れて捲き上がる塵埃が日を覆い、鬨の声が天を震わせる。

 統率が乱れた官兵はたちまち劣勢になり、鎧を捨て兜を失い、箭を受けて目を失い、鎗に刺されて耳を破る。哭声こくせいは数里に満ち溢れ、血水は地に流れて川となった。流民たちが死力をふるって攻め寄せるのに対し、官兵たちには三将の制止も及ばず、ついに総崩れとなった。

 李流、閻式たちは勝勢に乗じて追撃し、二十余里も追い討って官兵の軍営が見えるまで迫り、兵を返した。

 李流と閻式は相談して言う。

「官兵の軍営を見るに、数百里にも連なって兵将も甚だ多い。今日の一戦に勝ったとはいえ、将の一人も殺しておらん。明日攻め寄せてくる時には、軍勢を分けて厳しく整え、容易く打ち破れまい。ここで労をいとってはならぬ。今や官兵は新たに敗れ、官将は軍議を開いて方策を決めかねていよう。また、多勢を恃んで吾らが攻め寄せてくるとは夢にも思うまい。この混乱に乗じ、次の計略で官兵をさらに打ち破るべきであろう」

 諸人ともに密かに頷き、人知れず計略を定めたことであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る