第九十一回 李特は辛冉の兵と戦う

 流民たちの心が定まって口々に叛乱を勧めるのを聞き、李特りとくは流民たちに言う。

「吾らは関外より蜀に入った。この数年ともに暮らして義気は家族に等しく、情意もまた相通じている。吾はわずかであってもお前たちに背いたことはない。今や事は急迫しており、お前たちを捨てるに忍びない。ここで生死を共にするよりあるまい」

 流民たちは口々に言う。

「吾らもまた公の命に従わない者があれば、捕らえて斬り捨てましょう」

 ついに流民たちから三万の者を選び出して三つの軍勢とし、次のように分けた。

  左屯さとん

   主将 李流りりゅう(大将軍、武陽侯ぶようこう

   副将 上官晶じょうかんしょう任回じんかい任道じんどう李攀りはん

  右屯ゆうとん

   主将 李譲りじょう振威しんい将軍、西陽侯せいようこう

   副将 蹇碩けんせき蹇順けんじゅん羅准らわい李文りぶん

  中屯ちゅうとん

   主将 李特(宣威せんい将軍、長樂侯ちょうらくこう

また、閻式えんしき楊褒ようほうの二人が参謀となり、それぞれの軍に混じって隊伍を整える。王辛おうしん王角おうかく李棋りき李超りちょう李輔りほ李恭りきょう趙粛ちょうしゅくといった者たちは中屯にあって下知に従うことと定められた。


 ※


 辛冉しんぜんは再び李特の許に人を遣わして流民たちをうよう催促させるも、李特はすでに営塁を構えて旌旗せいきを翻していた。

 使者は馳せ帰ってその旨を告げ報せ、辛冉は張演ちょうえんを呼んで相談する。

「李特がついに叛乱を起こした。先に冬になれば蜀を離れると願い出たのは、時間を稼いで叛乱の準備を進めるためであったのだ。そもそも李特に蜀を離れるつもりはない。羅公が流民どものまいないを貪って決断できず、叛賊を義民として養って無為に日を送ったがゆえ、この事態に及んだ。そのうえ、李特の兄弟には雄才ある者が多い。万一、吾らがあの匹夫どもに敗れれば、後世の者たちにわらわれよう。羅公とは議論せず、自ら決断して事をおこなわねばならん」

 辛冉の言葉を聞き、李苾りひつ、張演はともに頷いた。

 辛冉は廣漢こうかん都尉とい曹元そうげん牙門がもん将軍の張顕ちょうけん劉并りゅうへいに命を下し、歩騎三万の精兵を率いて李特の営塁を急襲すべく遣わした。

 羅尚はそれを聞いて嘆く。

「李特は変事を起こすつもりはなかったが、辛冉たちが激発させて叛乱を起こさせたのだ。この事態にあたって吾はどうするべきか」

 徐輦じょれんを呼び寄せて相談することとした。徐輦は言う。

「今や辛公は李特と兵を構えており、必ずや戦となりましょう。将軍も傍観してはいられません。辛公たちが戦に破れれば、将軍とてその責を免れることはできますまい」

 徐輦の進言により羅尚は督護とくご田佐でんさに五千の兵を与え、辛冉を援けさせることとした。


 ※


 李特は辛冉の軍勢が到着したと聞き、衆を集めて言う。

「今や辛冉は吾らと深く仇讐きゅうしゅうを結ぶ間柄となった。吾らは義によってお前たちを救おうとし、彼奴かやつが心に嫌疑を生じて事はここに至った。禍は吾らの身に迫っておる。空しく手を束ねて縛を受け、俎上そじょうの肉となるつもりはない。みなは心を等しくして助け合い、仇敵を退けよ。吾の命に従うという先の言葉に相違はないか」

 流民たちは躍り上がり、同じく叫ぶ。

「死力を尽くして大徳に報いて御覧に入れる」

 李特は流民たちが覚悟を定めたと知り、閻式に言う。

「奇兵を設け、険隘の地に伏せて辛冉の軍勢を待ち、不意を討てば自ずから勝ちを得られよう」

「将軍が気にかけられるには及びません。吾らが戦に出て首功を挙げて御覧に入れます」

 三軍を会すると上官晶、蹇順、王角、李超の四人に四千の兵を与え、左屯の山の後ろよりつづく隘路に伏せさせた。さらに、任回、王辛、趙誠ちょうせい、李棋の四人にも四千の兵を与え、右屯の後ろに伸びる隘路に伏せさせる。この二箇所は廣漢に繋がる要道にあたる。

 閻式は伏兵を率いる諸将に言う。

「敵兵が来れば隘路を通り過ぎさせよ。前を阻んではならぬ。連珠れんしゅ砲が三度鳴るのを聞けば、一斉に斬り込んで退路を絶て。後ろから襲えば万に一つも破れるおそれはない」

 八将は頷いてそれぞれの伏処に向かった。

 さらに李流、任道、李文、李恭の四人は八千の兵を率いて右屯の後ろに伏せ、李蕩、李輔、楊褒、閻式、李特は七千の精兵を率いて中屯の後ろに伏せ、李雄、李國たちは一千の兵を率いて遊軍となった。

 李特の間諜が告げ報せる。

「官兵が現れました。ここから五十里(約28km)ほど離れたところに止まっております」

 その時にはすべての軍勢はそれぞれに伏所に埋伏していた。

 午から未の刻(正午から午後一時頃)になって曹元の軍勢が隘路に到り着く。周りを見回しても李特の兵が前を阻む様子はなく、官兵は口々に言う。

「流賊どもは戦に慣れておらん。計略を立てる者がいれば、ここで吾らを迎え撃つであろうに、そのことにも気づいていないと見える。李特の分際などこんなものであろう」

 侮って軍を進め、李特の営塁に近づくと一斉に鬨の声を挙げて中屯に攻めかかった。


 ※


 砲声がつづけて挙がり、中屯の背後に伏せていた李蕩、李輔たち四将が兵を発して襲いかかった。左屯の背後に伏せる李流、任道たち四将もそれにあわせて伏兵を起こし、右屯の李譲、蹇碩たちがそれにつづく。

 官軍の将たちが分かれて迎え撃つも、流民たちは命を捨てて官兵と戦い、一人で千人にあたる勢い、斬り殺された官兵たちの屍が道に横たわって累々と重なり、血は流れて溝から溢れ出すほどであった。

 官兵たちは勢いに押されて一里(約560m)ほども退き、休もうとすると背後からの鬨の声が天を震わせる。顧みれば、上官晶、任回、蹇順、王角の四将が風のように襲いかかってくる。

 官将の張顕は勇を恃んで馬頭を返し、防ぎ止めようとするも流兵の四将が一斉に斬りかかり、張顕は支えきれず上官晶の一刀により馬下に斬り落とされた。

 流兵たちは勝勢に乗じて斬りこみ、官兵たちは踏み止まれずに下がっていく。

 李流が田佐と刃を交えている間に、官将の劉并が斬り込んできた。李流がそれに眼を奪われた瞬間、田佐の鎗が左臂ひだりひじに突き立って刀を取り落とす。傷を負って奔るところ、曹元が逃がすまいと跡を追う。そこに任回と李蕩が馬を出して前を阻む。

 曹元が李蕩と戦えば、田佐は任回を相手取る。

 勝敗が定まる前に李雄も馬を馳せて救いに現れ、横合いから刀を振るって斬り進む。一刀の下に曹元を斬り殺すや、李蕩、任回とともに田佐を取り囲んだ。

 田佐は包囲も意にかけず、力を尽くして囲みを破ると鎗先で任回を馬から突き落とす。任道が救い出そうとするも、左腿に鎗を受けて逃げ奔る。

 上官晶、李蕩たちが取り囲んで戦うものの、田佐は前後左右に敵を迎えて色も変えない。

 そこに蹇順も駆けつける。田佐は流軍の四、五将を相手に取って一歩も譲らず、戦意はいよいよ高まるばかり。武勇絶倫の田佐を力では制し難いと見て、李超は大弩だいどに弦を張って狙いを定め、一矢を放った。

 矢は狙いを違えず小腹に突き刺さり、田佐は身を翻して落馬する。

 劉并は敗色濃厚と察して一條の血路を切り拓き、廣漢を指して逃げ奔った。その前方を王辛、李棋たち四将が阻むも、陣を斬り破って駆け抜ける。身に四鎗の傷を受けながらもついに漢中かんちゅうに逃げ戻った。

 劉并は辛冉に見えて曹元の戦死を含む始末を語り、ただ一身のみ難を逃れて戻ってきたと報告する。それを聞いた官吏たちは驚いて言う。

「賊兵たちの兇悪なことよ。一時に平定することは難しかろう。蜀の民は苦しみに耐えられるであろうか」

 一方の李特は大勝を博して営塁に還り、緒戦の勝利を慶賀した。

「辛冉の軍勢を退けたとはいえ、吾らの叛乱はすでに周知のところとなりました。羅尚、馮該はまだ成都城におり、必ずや軍勢を進めて吾らの罪を問いましょう。油断してはなりません」

 閻式はそう流民たちを戒めたことであった。

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