第八十四回 劉聰は議して瀛州郡を攻む
漢の元帥を務める太子の
その後、
「今や邯鄲より西北の地の十中八九は吾らの有に帰した。ただ
▼「武垣は『後傳』『通俗』ともに「武恒」としているが、誤りと見て改めた。『
▼「五壘の郷」の意味は不詳。『
「瀛州に間諜を送って探ったところ、防備の厳しさは他所の比ではありません。太守の
▼「李眷」は『通俗』では「李椿」とされる。『後傳』に従って改めた。
▼郭嘉の子は郭奕、孫は郭深の名が伝わる。
▼呂虔の子は呂翻、孫は呂桂の名が伝わる。
▼李典の子は李禎、孫の名は伝わらない。
▼馮紀については調査したが不詳。
劉聰は
「軍師の識見は高く度量は広く、これまで敵を前に怖気づいたこともない。ここまで数郡を攻め、苦もなく
「怖気づいたわけではありません。『己を知り、敵を知れば百戦して百勝する』と言います。それによって測れば、瀛州を攻めて確実に破れるとは思えず、ここで
張賓が言うと、
「吾ら大漢の軍勢は
「お前たちの言は間違っている。恐ろしいのは戦勝を恃んで心驕り、事に臨んで軽率におこなうことなのだ。それゆえに吾は瀛州攻めには躊躇せざるを得ぬ」
二人は食い下がる。
「お考えが過ぎましょう。吾ら二人の先鋒がまずは呂苔と李眷を
劉聰は二人の壮語を聞いて大いに喜び、諸将に軍令を発して言う。
「吾は妄りに戦をしたいわけではない。しかし、瀛州は吾らにとって北境の要衝、取らずに済ますわけにいかぬ。お前たちが封侯の賞を得たいなら、その機会はここにある。古より『虎穴を探らねば虎子を得ず』と言う。一致協力して不世出の
諸将は応諾して退出していく。二万の精鋭を劉霊、王彌に与えて先鋒としたほか、瀛州攻めの陣容は次のようなものであった。
先鋒 劉霊、王彌
左軍
右軍
護軍
遊軍
また、
軍勢が進発しようとした時、
「
張賓はその報告を聞いて言う。
「楊龍、廖全、黄命、関山の四将が加われば、吾らは有利に戦を進められます。この郡は必ずや陥れられましょう」
関山と楊龍に兵站の監を命じると、十五万の大軍が邯鄲より瀛州を目指して動き出した。
風に翻る
※
郡界まで到った頃、漢軍の進攻を覚った瀛州の哨戒兵が駆け戻って太守の郭京に告げ報せる。郭京は
▼「総兵主帥」という官は晋代にはない。州兵の総指揮官と考えるのがよい。
その席で李眷が言う。
「胡賊どもは怖れも知らず州境を侵しました。一兵たりとも生かして返してはなりません」
馮具が進み出て言う。
「聞くところ、漢の将兵には驍勇の者が多いとのこと、軽視してはなりません。計略を定めて対処すべきかと愚考いたします」
郭京がそれを聞いて言う。
「馮具の言が正しい。漢賊は戦勝を重ねて士気が高く、その鋭鋒は生易しいものではあるまい。
▼瀛州の近隣に恒河と呼ばれる河川はない。ここでは、邯鄲から瀛州に向かう間に河川があり、そこを越えなくては瀛州の城下に到れない位置関係にあり、盤古溝はその河幅が狭まって渡し場ではないものの渡渉できる地点と考えればよい。
呂苔はその策に従うこととし、曹勤と楊留に一万の兵を与えて盤古溝の守りに就かせ、自身は馮具とともに二万の精鋭を率いて恒河の渡しに向かった。また、郭京、李眷に加えて弟の
恒河の渡しに到るや、崖口に陣を布いて河中を通る船の通行さえ許さない。渡し船はすべて北岸に集め、陣前に鎖で繋がれた。
※
漢軍の先鋒である劉霊と王彌が渡しに着いた時には、すでに船の一隻も見当たらず、恒河を渡る手立てがない。漢将たちが
柵の内側には刀鎗、旌旗が隙なく並んでその下を往来する軍士の甲冑が光り、弓兵はいつでも矢を
飛鳥であってもこの河を容易く飛び越えられそうもない。
劉霊と王彌は対岸の様子を見てにわかに渡河はできぬと覚り、陣を布いて人馬を休め、後続する大軍の到来を待つこととした。また、使者を遣わしてこの様子を劉聰と張賓がいる中軍に告げ報せる。
翌日、左右の二軍も到着し、王彌が軍議の席で言う。
「対岸に渡ろうにも渡船はなく、筏を組もうにも樹木を獲る山がない。村里の林の樹木を伐って家屋を
関防と張實が答えて言う。
「後軍の到着を待って策を定めるのがよいでしょう」
この日の昼時、劉聰を含む諸将が到着して軍営を置いた。王彌と劉霊が幕舎に入って張賓に対岸の様子を報告する。
「河に船がなければ、
関防が張賓の言葉を受けて言う。
「
張賓は言う。
「小節に
王彌と劉霊は下知を受け、翌日には楊興寶、夔安とともに二千の軍勢を率い、村郷の林に入って樹木を伐採した。それを上流の河幅の広い場所に運び、千餘の大筏を造り上げる。
筏の下面には民家から奪った柱梁を使った。これらは長い年月を経て乾燥しており、筏は水面に軽々と浮く。筏の上面には新たに伐採した樹木を用いた。
準備を終えると筏を恒河の上流に浮かべ、流れに乗って下流に向かう。狭いところに到れば、筏は両岸に食い込んで動かなくなる。漢兵たちは夜陰に乗じて縄で筏を結び付け、ちょっとやそっとでは動かなくしたため、筏の上でも平地の上にいるかと錯覚するほどであった。
筏は二、三里(1~1.5km)ほどもつづき、その上では楊興寶、夔安の二人が弓兵を率いて晋兵に筏を
劉霊は軍士に命じて筏の上に葦草と砂を敷き、騎兵も通過できるように準備した。
※
翌日、呂苔はこれを見るや愕いて言う。
「恒河の渡しは水流が烈しく、漢賊どもは狭隘な盤古溝を筏で埋めて渡ろうとしておる。漢賊には亡命者が多く命を軽んじるゆえ、このように不敵なことを企てたのであろう。実に手強い相手である。吾が自ら盤古溝の指麾を取らねばなるまい」
そう言うと呂苔は盤古溝に向かい、形勢を観て軍士に下知する。
「河幅は狭く渡りやすいところだが、岸が高くて登るのに手間取る。敵が渡ってきても抑えて矢を発するな。漢賊どもが岸に迫り近づいた頃、一斉に礫石を飛ばして打ち払え。慌てて引き付ける前に礫石を放つでないぞ」
下知を受けた晋の将兵は筏に斬り込みもせず、柵内で静まり返って漢軍の到来を待った。
劉聰は、自ら恒河の河辺に出て形勢を眺め、諸将に言う。
「吾の観るところ、瀛州の兵馬はすでに心胆を失っておる。力戦して進めば柵を奪い取るに何の差し障りもあるまい」
張賓がそれを諌める。
「元帥のご意見は正しくありません。これは敵兵が逸を以って吾らの労を待っているのです。その謀は士馬を損なわず、弓箭を射外さないことを狙っております。先を争って対岸に攻め込めば、矢石を放って吾らを阻むでしょう。呂苔と郭京はともに
王彌と劉霊は張賓の言葉を聞くと、席から立ち上がって言う。
「この程度のことで何の妨げとなりましょうや。吾らが率先して柵にあたりましょう」
言うや、胸だけを覆う短甲を着込んで大刀を手に、楯を与えた五百の兵に加えて楊興寶と夔安の歩兵に両翼を務めさせ、
劉霊と王彌が先頭を駆けて対岸に近づいたその時、たちまち砲声が挙がって空を覆う
矢が静まるとまた駆けて岸に近づき、下から崖上を見上げた。
晋の軍中では鉄甲を着込んだ歩将が、恒河に沿って並ぶ五千人ほどの部隊に下知を発し、筏に
その最中、胡宓は顔面に礫石の直撃を受けて鼻梁と額を破られ、仰向けに倒れて戦場の露と消えた。王彌と劉霊もこれにはいささか士気を減じ、ついに兵を収めて休ませることとした。
呂苔は自ら陣頭に出て斬り進み、率いる百余人の砲兵に命じて一斉に撃ち放たせれば、漢兵たちは風を受けた草のように倒れ伏す。李瓚も左掌を撃たれてそれ以上は指揮をとれなくなった。
王彌と劉霊も呂苔の追撃を怖れて軍営がある西岸に引き返し、晋軍の様子を窺うこととしたことであった。
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