第八十三回 劉聰は邯鄲を下す

 劉聰りゅうそうの軍師を務める張賓ちょうひんは、諸将を指揮して龐鷹ほうよう紫石山しせきさんの山路に包囲した。それをおとりに弟の龐鷂ほうようが救援に来ると、邯鄲かんたんの城を囲む諸将に帰路を断つよう命じる。

 それより勝敗の行方も明かならず、劉聰とともに心配していたところ、一将が漢の軍営に馬を乗り入れて轅門えんもんまで進み、手に龐鷹の首級を掲げて衆に示した。誰かと見れば、左副先鋒を務める関防かんぼうであった。

 劉聰は戦勝の報に喜び、報告を聞き終えると、軍功を記録するの官吏に命じて邯鄲戦の第一の功として記録させる。

 そこに鈴鑾れいらんの音を響かせて轅門に馬を下りる者がもう一人現れた。

 肩に青龍刀せいりゅうとうをかけて手には鮮血に染まった首級を提げ、軍営中央の幕舎に進んだのは、右翼将軍を務める関謹かんきんであった。

 首級を献じて劉聰に報告する。

「元帥と軍師のご命令により龐鷂を追い詰めたものの、小将の無能により生きながら捕らえることができませんでした。首級を挙げてただ軍令違反の罪を免れるのみです」

継武けいぶ(関謹、継武は字)は不世出の功績を立てて奸賊の首級を挙げたのであるから、上賞を受けるにあたる。どうして罪を免れるだけに止まろうか」

 劉聰と張賓はそう言うと、関謹を邯鄲での第二の功績として記録させる。

 関防と関謹は左右の先鋒である劉霊りゅうれい王彌おうびが恥じ入った様子であるのを見ると、功績を譲って言う。

「軍功は先後より軽重を問うものです。ここまで軍を進められたのは、二先鋒が紫石山の峡谷に路を通じて馬服山ばふくさんを破ったがゆえ、敵将の首級を挙げられたのは、諸将が協力して包囲を固めたがゆえです。どうして妄りに吾ら兄弟の功績などと言えましょうか」

 王彌と劉霊はその言葉を聞くと恥じながらも心に喜んで言う。

「関将軍の兄弟は奇功を立てながらも謙譲の徳を忘れない。孟之反もうしはんも遠く及ぶまい」

▼孟之反は春秋時代の大夫たいふ、『論語ろんご雍也篇ようやへんによると、せいとの戦で魯が敗れて殿軍でんぐんを務めた際、城に戻ると「馬が進まなかっただけだ」といって功を誇らなかったと伝わる。

 諸将がたがいに謙譲して相和あいわする様子を見ると、劉聰は喜んで言う。

「まずは関兄弟と両先鋒に綾絹あやぎぬを下賜し、論功は邯鄲を下した後に行うこととしよう」


 ※


 張賓は軍士に命じて宴席を張らせ、戦勝を慶賀して労った後に言う。

「すでに龐兄弟の首級を挙げ、残るは張翮ちょうかいだけとなった。二将を討ち取られては、張翮とて肝を奪われているだろう。まずは力で押して強弱を測るのがよかろう」

 王彌と劉霊が声を揃えて言う。

「明日は吾らが門を分けて攻めましょう。察するところ、それほどの兵糧は残っておりますまい。門を分けて攻めれば必ずや城を陥れられます」

 翌日早朝より諸将は三万の軍勢を率いて六門に攻めかかった。しかし、城内からは矢石が降り注いで士卒の死傷する者が跡を絶たない。結局、城門の一つも破れぬままに日暮れとなり、空しく兵を収めた。

 諸将は軍営に戻って再び軍議の席に着く。

「敵は守城の法を知り尽くしている」

 諸将の嘆声を聞いた劉聰も苦々しげに言う。

「張翮は実に多能だ。どのようにして邯鄲の城を破ったものであろうか」

 張賓が進み出て言う。

「明日は邯鄲の城郭を仔細に観察し、その虚実を測って城を落とす方策を定めましょう」

 二日目、張賓は諸将とともに邯鄲の城下に到り、周囲を巡って城壁の様子を探り、軍営に戻った。

 劉聰に報じて言う。

「邯鄲の城は力攻めでは落とせません。戦国の趙が都としただけのことはあり、地勢は高く守るに利があり、城壁は堅く容易に破れません。李信りしん蒙驁もうごうらが抜けなかったのも怪しむにあたらず、尋常の城ではありません。奇計を用いねば死傷者を増すばかりでしょう」

▼李信、蒙驁はともに戦国時代の秦の将軍、李信は漢代の名将として知られる李広りこうの祖先と伝わり、蒙驁は蒙恬もうてんの祖父にあたる。

 劉聰が問う。

「ならば、どのような計略を用いるべきであろうか」

「臨機応変としか言いようがありません。戦の推移から勢を読むほかになく、一言に尽くせません。まずは軍勢を六つに分けて城攻めの時刻を二刻(四時間)ごとに定めます。六軍は昼夜を分かたず城を囲んで鬨の声を挙げ、あるいは雲梯うんていを城壁にかけて今にも攻めかかるように見せかけます。これにより城内の軍勢は休息できません。十日も過ぎれば疲れ果て、また吾らが城攻めの被害を怖れて攻め寄せないだろうと懈怠けたいの心も生じましょう。その時、邯鄲の城を下す隙が生じるのです」


 ※


 劉聰はその言に従って諸将を集め、六軍を編成して次のように分担を定めた。


  子丑の二刻(零時から四時)王彌、王如おうじょ

  寅卯の二刻(四時から八時)劉霊、桃虎とうこ

  辰巳の二刻(八時から正午)関防、関謹

  午未の二刻(正午から十六時)張實ちょうじつ関河かんか

  申酉の二刻(十六時から二十時)胡延晏こえんあん胡延攸こえんゆう

  戌亥の二刻(二十時から零時)黄臣こうしん趙染ちょうせん


さらに、城の四門に対する軍営を四箇所に置いた。

 そこでは歩戦に慣れた楊興寶ようこうほう夔安きあん曹嶷そうぎょく桃豹とうひょうの四将に四百の工兵を与え、百人ずつを各軍営に置いて城壁を越える地道を掘り進めさせる。また、歩兵の精鋭を二千人ほど選抜し、同じく四つの軍営に配置した。

 張賓は六軍を堅く戒めて言う。

「軍令に従って懈怠するな。軍功は重賞にて酬い、違反は軍法にてちゅうする」

 諸将は命令を受けて退き、門ごとに雲梯十乗と砲架四座をしかけ、車四乗を巡行させて諸軍に時刻を告げ報せる。

 城攻めが再開すると漢軍は空砲を響かせ、城内の軍勢は攻め寄せてきたかと礫石を降らせて厳しく守り、それを見た漢軍は兵を退ける。城内の晋軍が安心して休息をとろうとすれば、また漢軍が城下に攻め寄せる。

 攻め手は大軍が入れ替わり立ち代わり攻め寄せて労少なく、守り手は人が少なく休む暇もない。日を追って城内の兵士は疲労し、立ったまま眠る者が出るに至った。

 城内の兵の半ばは民から徴発された者であり、軍役についているわけではない。俸禄も受けておらず、必死の覚悟もない。漢軍が攻めてこないと懈怠し、白昼堂々と横臥おうがする者まで出た。

 張翮がこれらの者たちを自ら鞭打って処罰すると、百姓は口々に不満を言う。

「朝廷の旧法によれば、民は銭糧を納めて軍兵を養い、軍兵は城にたむろして民を守ることとなっている。賊が攻め寄せて退けられないにも関わらず、吾らを無用に打ち叩くとは」

 それを聞いた張翮は叱りつけて言う。

「お前たちには城壁から礫石を投げる任がある。それにも関わらず城壁に上がって敵に対峙しないとは、それだけで官命に違反していると知れ。抗言する者は厳罰に処する」

 諸将が張翮に進言して言った。

「漢賊は強盛、しかも交替で攻め寄せてきます。吾らは昼夜を分かたず防戦を強いられ、疲労が極まって居眠りする者が続出しております。これを罪として処罰しては道理がないと見られてもやむを得ません。罪は漢賊にあって民にあるわけではないのです。思うに、北海ほっかいに救援を求めてこの急場を救い、今一度、洛陽らくように使いを出して救援を仰ぎ、この賊を破ってこそ参軍さんぐんの功績となりましょう。城を死守しようと勉めるだけでは、守り切れるものではありません。事が破れるおそれさえありましょう」

 張翮はその言葉を聞いて言う。

「昔、齊の田単でんたん即墨そくぼくの一城を一年以上に渡って守り抜き、畏れる色もなかったという。その後にはえんの軍勢を破って奪われた七十もの城を取り返した。城を囲まれて十日にもならぬというのに、援軍を求めるには及ばぬ」

 そう言って軍将たちを励ます一方、府庫を開いて銭糧を分け与え、兵民の心をなだめさせた。

 それでも、副将たちは不満に思って口々に言う。

「張参軍はただ己の見にのみ固執し、救援を求めないのは邯鄲城の堅固に頼ってのことだ。漢賊たちが地道を掘って城壁を抜け、城内に忍び込んでくればすぐさま落城してしまう。孤城で救援も求めず漢の大軍を支えようとするとは、納得できぬ」


 ※


 張賓は城内の兵民が疲労の極みに達して怨嗟えんさの声が挙がり、懈怠する者が出はじめたと探り出していた。

 自ら城門に対する四つの軍営に足を運び、地道を掘る工兵を入れ替えて人数を増し、諸将に下知して休む間もなく掘りつづけさせる。

 しばらくすると、四面の地道を掘り通したとの報告があり、張賓は楊興寶、夔安、曹嶷、桃豹の四将に地道から城内に向かうよう命じる。

 諸将が地道に入るにあたり、次のように言い含めた。

「砲声を合図に地道から城内に攻めかかれ。城内の兵が驚いて乱れたと見れば、城外からも攻め寄せて突入を図る。内外から攻められてはさすがの張翮とて支え切れまい」

 諸将は軍令を受け、四方の城門に雲梯をかけて軍営の架台に大砲を押し上げる。

 十餘万の軍勢が城下に攻め寄せ、数十里に渡って連珠のように城を囲んだ。その発する鬨の声は地を震わせるほどであった。城内の晋兵にはこれを聞いて戦慄しない者がない。

 張翮が下知して言う。

「弟の張融ちょうゆうに東北の二門を任せ、吾は西南の二門の守備につく。兵の強壮な者は城壁に上がって守戦に勉め、嬰弱えいじゃくな者は礫瓦を運んで戦を支えよ。今日の一戦で漢賊を退ければ、再び攻め寄せてくることはない。五日のうちには救援が来て漢賊どもを追い散らすであろう。しばらくの間、力を振り絞って防戦に勉めよ」

 漢軍は大小の大砲でつるべ撃ちの連射をおこない、城壁に打ちあたって天が崩れたかの如き轟音が百里四方に響き渡った。張翮が自ら城壁を巡り、城壁の破られた箇所に兵を増して守りを固めていたところ、東門の地道から曹嶷が歩兵を率いて斬り込んできた。

 張翮は急ぎ東門に向かって防ごうとするも、その前に北門から斬り込んできた楊興寶が曹嶷と合流した。

 曹嶷は東北の門を守る張融と鎗を合わせ、楊興寶は大鎚を振るって風のように打ちかかる。張融は敵わないと見て逃れようとしたが、曹嶷の一刀を左腿に受けて馬から落ちる。そこを漢の軍士たちが乱れ刺して首級を挙げた。

 晋兵たちは急いで西南の門を守る張翮に告げ報せる。

 張翮はすぐさま城壁を下りて楊興寶、曹嶷を退けたものの、ついで夔安、桃豹の二将が地道から斬り込んで西門に攻め寄せる。夔安が大斧を手に勇を奮ってみだし、晋兵の断ち割られて死ぬ者は百を超えた。

 晋兵はその勢いを阻み得ずにことごとく逃げ散り、夔安は大斧を振り下ろして城門の関鎖を切り落とす。

 張翮が駆けつけ、桃豹と夔安を相手に西門の基礎の内側で奮闘する。

 その最中に軍士が呼びかけた。

「東門より漢兵たちが突入してきました。味方の半ばはすでに討ち取られています」

 張翮は漢兵たちを斬り退けようと、遮二無二しゃにむにに漢兵を打ち払ってついに夔安と桃豹を城門の外に押し返した。入れ替わりに軍勢を率いて黄臣と趙染が斬り込み、東門からも漢兵が突入してくる。


 ※


 いよいよ追い詰められた張翮は乱戦に乗じ、家族さえも打ち棄てて軽騎とともに逃げ奔る。

 張實は北門から城に入ろうとしていたところ、敵の一将が百人ばかりの騎兵を率いて東に奔るのを目にした。張翮が城を捨てて奔ったと見て取り、馬頭を返してそのあとに追いすがる。

 城を出た張翮が五、六里(2.8~3.3km)も行った時、後ろから長鎗を手に高馬たかうまに打ち乗った熊虎のごとき猛将が、馬を蹴立てて追いかけてきた。すでに戦う気力もなく、馬を鞭打って後も顧みずに逃げ奔る。

 張實が大喝して言う。

「逃げるな、賊将めが。張将軍がお前を擒えに来たぞ。城を破られたにも関わらず逃げるとは恥を知れ。家眷かけんも城内に残っておろうに、棄てて顧みぬつもりか。早く馬を下りて投降せよ。吾が主の仁徳は遠方まで恩恵を施されておる。お前の命を許して殺すまい。命を永らえて余生を楽しむがよい」

 張翮は背後を顧みて言う。

「吾は大国の命臣、城池を守り抜けなければ、洛陽に帰って報復の兵を起こし、失地の挽回を図るのみ。無用の言を費やすな」

「吾が善言を与えたにも関わらず逆らうとは、覚悟はよいか。翼を生やして雲上に揚がる能があったとて、この張将軍の手から逃れられるはずもない」

 張實が馬を鞭打ってその背に迫れば、張翮は怒って双刀を抜き放つ。

「賊胡めが、進退を知らず妄りに吾に近づくな」

 馬を返して張實を迎え、双刀を舞わせて斬りかかる。

 張翮は張實をおどして追跡を諦めさせようとしたが、張實は張翮を物の数にも入れていない。鎗を捻って横ざまに穂先を甲冑の隙間に突き入れる。張翮はそれを防ぎ切れず、馬を返して逃げ奔る。

 張實は逃げるを許さず跟を追い、百歩を過ぎずしてその背に鎗先が届きそうになった。張翮は大いに愕いて身を廻らせ、死力を尽くして防ごうとしたところ、十合もせぬうちに双刀をともに打ち落とされ、また背を見せて逃げ奔る。

 張實は無言で追いすがるとその頸を引っつかんで擒とし、乗馬の鞍に押し付けたまま馬を走らせる。

 そこに龐鷂の子の龐洪ほうこうを追って趙染が現れた。

 龐洪は命の限りに逃げつづけるも、命数が尽きたか張實の鼻先を通りすぎ、張實は張翮をひっとらえたままで大喝する。その声に愕いた龐洪は、馬を返して傍らの間道かんどうより落ち延びようと図る。その前に趙染が馬を立て、走り過ぎる龐洪の襟を引っつかみ、馬から落として擒にした。

 二人が馬を並べて邯鄲に入れば、劉聰と張賓は高札こうさつを掲げて殺戮を止め、民を安んじて城を定めようとしている。

 そこに張、趙の二将が張翮と龐洪を手に提げて現れ、漢兵たちは二人の武勇を讃える歓呼で迎えたことであった。

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