第三十回 趙王司馬倫は再戦して馬蘭と盧水を殺す

 晋の元康げんこう六年(二九六)二月の朔日さくじつ(月の初日)、洛陽らくようの朝会が終わろうとする折から馬を馳せて使者が駆け込み、趙王ちょうおう司馬倫しばりん郝元度かくげんどを討ち取ったとの捷報しょうほうが呈される。

 晋帝の司馬衷しばちゅうが論功を群臣に命じて結論が出ないうち、扶風ふふうより副太守の劉學りゅうがく夏侯駿かこうしゅんの上奏を携えて入朝する。

 晋帝がその述べるところを問えば、劉學が答える。

羌賊きょうぞく齊萬年せいばんねんは、趙王が埋伏まいふくの計により郝元度を斬ったことを怨み、復仇のために兵を扶風に向けて城を襲わんとしております。その軍勢は羌賊にあって最も強うございます。夏侯駿は齊萬年の驍勇をかんがみて扶風の寡兵ではその跳梁ちょうりょうを阻みがたいと考え、援軍を願うために臣を遣わしたものであります」

 居並ぶ群臣は愕き、一言を発する者もない。

「聞いてのとおり、馬邑ばゆうから兵を引いた馬蘭ばらん盧水ろすいは齊萬年に合流し、意趣返しに扶風を襲おうとしておる。卿らはこの事態にどのように対処するか」

 晋帝が群臣に問うと、張華ちょうか裴頠はいきが進み出て上奏する。

「齊萬年はすでに秦州しんしゅうにて吾が将帥を斬って城を奪いました。これは小事ではございません。大将を選んで討伐の兵を遣わし、すみやかに平定することが肝要です」

 侍中じちゅう賈模かぼもそれに続く。

征西大元帥せいせいだいげんすいに任じられた趙王は郝元度を誅殺ちゅうさつし、兵威は大いに振るっております。この軍勢を扶風に遣わすのがよろしいでしょう。郝元度を破った軍勢を齊萬年に差し向ければ、勝勢に乗じて扶風の地を救うことは必定、異論の余地はないかと存じます」

 賈模の言を納れて詔勅が発せられ、勅使と劉學が山西の馬邑に駐屯する趙王司馬倫の許に遣わされる。

 軍営にある趙王司馬倫は馬蘭、盧水を追撃して斬るか、それとも他に兵を回すかと評議していた。そこに勅使が到って慰労の品々と詔勅をもたらし、劉學を先導として扶風への救援を命じる勅命が宣せられた。趙王は軍勢を整えると関中を指して軍を発する。


 ※


 涇陽けいようの齊萬年は兵馬を練って進取の策を講じ、劉淵りゅうえんに次のような書状を送った。

「聞くところ、晋主は惰弱にして決断を欠き、辺防へんぼうを軽んじているとのことです。そうであるならば、吾らは勝勢に乗じて扶風に進出するのが良策と存じます。扶風の地は函谷関かんこくかん外では第一の重鎮、銭糧を多く蓄えています。支配する地は広く、軍資の調達に不足ありません。まずはこの地を奪うことが肝腎です」

 劉淵はその意見に賛同し、一万の精兵を齊萬年に与えて前駆とし、劉霊りゅうれいに五千の兵を与えて後詰とし、馬蘭、盧水の軍勢を輔佐にあてることとした。齊萬年の軍を阻む者はなく、日ならず扶風の城から六十里(約33.6km)離れたところに軍営を置く。

 四方に放った斥候の報告によると、夏侯駿は寡兵の上に援軍が到着しないことから出戦の意志なく、城を堅守して援軍の到着まで時を稼ぐ構えであるという。

 齊萬年は城下を囲んで城に攻めかかる。しかし、夏侯駿は厳しく守って軍士の妄動を許さず、付け入る隙がない。さらに、使者を趙王の軍に発してすみやかな救援を促した。

 城を囲んで半月の間に小競り合いは千を越えたものの、落ちる気配はない。齊萬年の心中に焦りが生じつつあった。

「夏侯駿は知勇ともに優れ、無闇に攻めても城が落ちることはない。ここは、使者を遣わして張孟孫ちょうもうそん張賓ちょうひん)を呼び寄せ、計略により落とすことを図るべきであろう」

 劉霊の勧めも齊萬年は聞き入れない。

「扶風の小城に軍師を煩わせるにも及びませぬ。しばらく吾が策の成否をお待ち下さい」

 劉霊が反駁しようとすると、哨戒の兵が駆け戻って報告する。

「晋の趙王司馬倫が山西より救援に現れました」

 それを聞いた齊萬年が劉霊に言う。

「司馬倫が近づいています。先に扶風を落とした後に対するべきでしょう」

「夏侯駿は援軍の到着を待って出戦を避けるであろう。攻める搦めからめてが見当たらぬ」

 それでも、齊萬年は兵を分けて城に攻めかかる。


 ※


 夏侯駿は城壁に上がって督戦し、堅く守って城への侵入を許さない。午の刻(正午)になり、西南の空におびただしい塵が揚がって天を遮り、司馬倫の軍勢が扶風の境界に到着した。

 劉霊は前後に敵を受ける前に軍営に戻ることを主張し、さすがの齊萬年も折れて兵を撤する。夏侯駿はそれでも城から兵を出さず、趙王の軍勢が城下に到ってはじめて城門を叩き、軍勢を迎え入れた。

 久闊きゅうかつじょした後、夏侯駿が趙王とその幕僚に言う。

「齊萬年の驍勇に加え、配下には剽悍ひょうかんな羌兵が羽翼となっています。両者を一時に敵に回して利を得ることは難しいでしょう。計略を用いて別々に対処すべきかと愚考いたします」

「それは容易いことです。明日、先鋒の張泓ちょうおうは兵を率いて正面から当たり、許超きょちょう士猗しいの二将は中路に伏兵となって羌兵を食い止め、司馬雅しばが駱休らくきゅうは別に五千の精兵を率いて敵の軍営を攻め、孫輔そんほ閭和りょわの二将は二千の兵を率いて齊萬年が救援に向かう道を阻むのです。万一、齊萬年が軍営に引き返さないようであれば、夏侯将軍に城より打って出て頂きます。挟撃がなれば、齊萬年といえどもとりことするのは容易いことです」

 孫秀が掌を指すように計略を立てると、司馬倫はそれに従って諸軍を部署した。


 ※


 齊萬年は兵を撤して軍営に戻り、方策を協議していた。

「夏侯駿は凡庸な将ではなく、軽々しい出戦はせぬ。さらに、趙王みずからの出征であれば、策略に秀でた謀臣を伴っているであろう。このままでは敵の計略に陥るおそれがある。涇陽に使者を遣って救援を求め、軍師に諮って敵を退けるよりあるまい」

 劉霊の言葉に齊萬年が言う。

「一戦も交えずに救援を乞うとは敵に怯懦を示すようなものです。明日、将軍は軍営の守備にあたって下さい。吾が出戦して敵の強弱を測った後、改めて議論いたしましょう」

「軍営は盧氷ろひょうに委ね、吾は兵を率いて後詰にあたる。馬蘭と盧水も出兵させよう」

 劉霊はそう言って出戦の陣容を定めた。


 ※


 翌日の四更しこう(午前二時)、孫秀の策略に従って晋将たちはすでに持ち場に着いていた。

「諸将はこれから言うことをお忘れなきよう。敵の軍営に到れば、一斉に火矢を射かけて兵糧を焼いて下さい。齊萬年がそれを見れば、かならず兵を返して救援に向かおうとし、戦どころではなくなるでしょう。吾らは後から追い、許超、士猗、閭和、孫輔の四将は前を迎え撃つ。八面からの包囲がなれば、たとえ齊萬年に九頭八臂双身四翼があろうと逃れられません」

 孫秀はあらかじめ諸将にそう訓戒した。夜が明けると、先鋒の張泓は大道に出て人を遣わし、齊萬年を挑発する。齊萬年もまた軍勢を率いて軍営より打って出る。

 両軍は対峙して陣を開き、両辺より鼓を鳴らして鉄砲を放つ。その後、騎兵が一斉に陣頭に出た。

「羌族の小悪党ども、貴様らは無知も甚だしい。いささかの利を得て満足すべきところ、蟻のように取るに足りぬ命でこの扶風に攻め寄せるとは。今、趙王が御自おんみずから出馬されているにも関わらず、まだ抵抗するというのか。郝元度がどこにいるかを知らぬわけでもあるまい」

 陣頭に出た張泓は齊萬年を鞭で指して罵り、齊萬年も応酬する。

「郝元度は勝ちに驕ったがゆえに計略に陥った。貴様こそ夏侯騄かこうろく狄猛てきもう邊雄へんゆう馮貞ふうていの末路を知らんのか」

 張泓は大いに怒り、長鎗を挙げて突きかかる。齊萬年は大刀を抜きつれて迎え撃ち、二人の戦いは四十合を過ぎて勝敗を見ない。

 この時、夏侯駿は砲声を聞いて張泓と齊萬年が戦いはじめたと察し、城門を開いて打って出た。齊萬年は張泓と夏侯駿を迎え撃って威を奮い、輪を廻らすように目まぐるしく戦って怯む様子もない。


 ※


 その時、背後の軍営から忽然と煙が上がり、すぐさま猛然たる炎が天を衝いた。軍営の攻略に向かった司馬雅と閭和の二人が、盧氷を破って軍営に火矢を射かけ、兵糧を焼き払ったのである。

 さらに兵を返して張泓と戦う齊萬年の包囲にかかる。その一方で士猗は劉霊を釘付けにしている。齊萬年と劉霊の二人は両辺に分断されて包囲を受け、忿怒したところで晋兵の包囲を破れそうもない。劉霊は勇を奮って包囲を破り、退路を確保した。そのあとを追った晋将の阮科げんか華玉かぎょくを突き殺し、馬を駆って逃れ出る。

 閭和、孫輔、駱休、司馬雅に包囲された齊萬年は包囲を破ることさえできない。北に上がった煙より軍営の急を察して救援に向かおうとするも、張泓と夏侯駿が追いすがる。それを押し返して退こうとすれば、砲声を合図に許超の伏兵が起って前を阻む。

 齊萬年が怒って伏兵を蹴散らすべく馬を駆れば、許超は軍を引いて戦を避け、そこに司馬雅が追いついて包囲に加わる。

 齊萬年は前後を顧みる暇もなく、決死の形相で悪虎のように咆哮し、血眼で大刀を奮って刃鋒はみねに風を生じる。その勇猛を怖れて晋兵は退き、それでも遠巻きに包囲して逃さない。

 齊萬年の心中は火にあぶられたような焦燥に駆られるばかりであった。

 その時、一将が飛ぶように包囲を破って駆け込む。誰かと見れば、先に包囲を脱した劉霊であった。齊萬年が晋兵に囲まれたと見るや、救い出すべく取って返して包囲を破ったのである。二人が包囲より逃れ出ようとすると、孫輔、士猗、孫秀が新たに包囲を組み直す。

 それを構わず齊萬年と劉霊の二将は、力の限りに包囲を衝き、大刀長鎗で晋兵を蹴散らして血路を拓き、西北を指して逃れていく。許超が単騎でその跟に追いすがる。

 齊萬年は振り向きざまに一矢を放ち、許超の馬の胸を射る。馬はたまらず跳ね上がり、許超を馬下に振り落とす。齊萬年にも許超を討ち取る暇はなく、後も見ずに駆け去っていった。


 ※


 齊萬年と劉霊の二人は敗兵を率いて包囲を抜け、ようやく人心地をついたところ、前方よりさらに一群の人馬が向かってくる。敵の新手かと身構えれば、救援に駆けつけた馬蘭と盧水の二人であった。

 二人は晋兵との交戦が始まったと察して軍営より扶風の城に向かう途上にあった。

「このような場所で行き会うとは、如何なされたか」

 馬蘭の問いに劉霊が答える。

「晋兵の重囲を受け、閭和の左肘を突いて駱休の右膝を破り、隙を突いて逃れたところだ」

「吾は挙兵より二年の間、敵の策に陥らなかった。晋兵の詭計に陥るとは無念極まりない」

 齊萬年がそう悔しがったところで、晋兵が追いついてきた。

「晋兵が迫っておる。お前たちは先に行け。吾らは敵を退けてから後を追う」

 馬蘭と盧水はそう言うと軍列を整えて晋兵に備える。齊萬年と劉霊は敗兵を率いて退いた。

 そこに、司馬雅と士猗が追いつき、剛勇を自負する馬蘭が士猗の行く手を阻む。両軍が交戦をはじめたところ、司馬雅が士猗を助けようと攻めかかり、その前に盧水が立ちはだかる。四将は陣頭に立って刀鎗を振るい、連戦すること四十合以上、にわかに勝負は決さない。

 齊萬年に馬を射られた許超も副馬そえうまに乗り換えて駆けつけ、士猗と並んで馬蘭に攻めかかる。馬蘭は前後から攻められて防ぎようもなく、ついに許超の一鎗に馬から突き落とされる。

 盧水がそれを見て退こうとするも、追いすがる士猗の鎗を背に受け、もんどり打って地上に落ちる。士猗は馬上からの一突きで止めを刺した。


 ※


 主帥を失った羌兵たちは大いに破れ、齊萬年と同じく北に向かって逃げ奔る。

 張泓、孫輔たちは馬蘭と盧水の二将を討ち取ったと聞くと、勝勢に乗じて追撃し、齊萬年を擒として後患を断つべしと主張した。

 諸将に異論なく、鬨の声を挙げて追撃に向かう。齊萬年はすでに三十里(約16.8km)ほど走っていたが、背後の鬨の声より晋兵の追撃を知り、軍士たちを先に行かせて自らは殿軍でんぐんを務めることとした。

 行くことしばらく、馬蹄が揚げる塵埃じんあい滾々こんこんと天に湧き、ついに晋兵が現れる。顧みれば、張泓と司馬雅の二将が先陣切って攻め寄せてきた。

「いずれかを斬らねば、追兵は怯まぬ」

 そう考えた齊萬年は、大刀を納めて弓矢を執り、その到来を待ち受ける。百歩(約155m)の距離に近づくや矢をつがえて引き絞り、狙いを定めて射放せば、矢は狙いを違えず張泓の左臂ひだりひじに突き刺さる。矢を受けた張泓はたまらず落馬するも、士猗が張泓を追い抜いて攻めかかる。

 齊萬年は二の矢を放ち、弓弦の音を聞いた士猗は馬の背に伏せて矢を交わした。その時、劉霊が傍らより一矢を放ってその肩を射抜き、さすがの士猗も馬から落ちて倒れ伏す。司馬雅と孫輔はそれを見るや兵を収めて引き退いた。

 趙王の司馬倫はそれでも齊萬年に戦勝したと大いに喜び、諸将とともに扶風の城に入ると、将士を慰労して涇陽を破る策を練る。

 戦に破れた齊萬年は、敗兵をまとめて涇陽に戻り、点呼を取れば馬蘭、盧水の兵も含めて一万人以上を喪っていた。

 敗報に接した劉淵は人を遣わして慰労し、齊萬年は衣服を改めて城に入り、合戦の次第を仔細に報告して罪を請う。

「勝敗の道は移り変わって定まらない。一敗したとて意に介するには及ぶまい」

 劉淵と張賓はそう慰めて次の局面に考えを移したことであった。

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