第三十一回 劉淵は趙王司馬倫を大いに破る
「十万の晋軍が涇陽を目指して進んでおり、明日には城下に到ると思われます」
張賓は報に接して城門の出入りを厳しくし、城楼に兵を上げて晋軍の到来を見張らせる。その間に
「司馬倫は無能、晋兵は懦弱であるがゆえ、怖れるに足りぬ」
その言葉を聞いた
翌日、
大晋の
今、勅命を奉じ、先鋒将軍の
先ごろ
お前たち城中の百姓は良民であって叛賊ではない。大国の恩威を知るのであれば、すみやかに
万一、軽々しく賊に
よくよく
さらに、孫秀は軍士に命じて次のように呼ばわらせる。
「お前たち城内の兵士は吾が言を聞け。大王の御命令によれば、早々に城を逃げ去って城池を還すのであれば、命ばかりは助けてやるとの仰せである」
城壁を守る軍士の報告を聞いた齊萬年は劉淵の許に進み、出戦の許しを乞う。
「軽々しく出戦してはなりません。ともに城壁に上がり、敵の
張賓の諌めには齊萬年も従わざるを得ない。劉淵をはじめとする一同は、城楼に上がって晋軍の陣容を観望することとした。
※
晋兵を見下ろして齊萬年が言う。
「この兵は七、八万ほどのものでしょう。二十万には程遠い」
「兵数を多く言うのは威嚇の常道、この期に及んで多寡は問題ではない。勝勢により晋兵の士気は旺盛に見える。ただちに戦うというわけにはいかぬ」
劉淵がそう観ると、諸葛宣于が
「
「晋軍のどこを観てそう断じられるのか」
齊萬年の問いに諸葛宣于が所見を述べる。
「軍とは突き詰めれば同心とならねばなりません。すなわち、目的を一にしてそれに応じた役割を果たすことです。司馬倫はその基本を知らず、斉一に整えることを怠っています。将帥たちは各々の勇を誇って軍令に従わず、兵も将帥も数だけは多い。さらに、扶風での勝勢を恃んで気が驕っており、功名を争って協調とは程遠い。詭計を仕掛けたところで、見破ることもできますまい。ただの一戦で鋭鋒を挫くことができましょう」
宣于の所見を受けて張賓が言う。
「それなら、
「智者の観るところはおおむね変わらないものです。明日、齊先鋒は敵が城を囲む前に一軍を出して戦われるとよい。勇を奮って戦えば、規律のない晋兵は混乱して無闇に進もうとし、包囲して扶風の戦を再現せんと図るでしょう。晋兵を十分に引き付けた後、敗れたふりをして敵を誘うのです。城下まで敵を引き込めば、そこで城を背にもう一度戦って下さい。晋将はかならず食いついてきます。晋兵も多くが有利と見て攻め寄せてくるでしょう。頃合を見計らって戦意を失った風を装い、城に逃げ戻って城門を閉じようとしても防ぎきれないように見せれば、晋兵は城門に殺到します。城門のうちでは
▼「甕城」とは城門の外側を半円形の城壁で囲んで防禦を二重にした構造を呼び、掖道は甕城の門から城門に向かう道を指す。正史には唐末から五代の頃から現れる。
諸葛宣于がそう言うと、張賓が首を傾げる。
「欠けるところのない策だが、晋兵が自重して城に入らぬことは考えられないか」
「
諸葛宣于の言葉を聞き、張賓をはじめとする諸将は得心してそれぞれに部署をおこなった。諸葛宣于と張賓は、
張賓と諸葛宣于は
「今日ついに大敵に臨むこととなった。軍令を堅く守り、紅旗が上がれば協力して事に当たり、砲声を聞けば
その言葉を諸将は応諾し、それぞれの配置についた。
※
一方、晋の軍営においては、涇陽城内で緻密な計略が練られているとは露知らず、いつも通りの軍議が開かれていた。
「先に
趙王がそう言うと、
「賊将の齊萬年は勇猛果敢、このまま大人しくしているとは思えません。必ず一矢を報いようと図るでしょう。吾らはそれに備えればよいのです。一戦して敵わぬと見れば、齊萬年はふたたび逃走しましょう。その時が討ち取る好機となります」
孫秀もその意見に賛同して言う。
「将軍の申されるとおりです。明日から城を厳しく囲んで攻め立て、休息を与えなければ陥落すること疑いありませぬ。羌賊は籠の中の鳥も同然、一月すれば
▼衛青、霍去病はともに前漢の武帝に仕えて
※
翌日、晋兵が涇陽の城を囲むべく軍営を出ると、齊萬年が兵を率いて挑戦してきた。
「城を囲んで数日の間は出戦せず今日になって城を出てくるとは、詭計があると見えます。挑発に応じてはなりません」
孫秀が自重を求めるも、
「詭計などありますまい。数日に渡って城を囲まれれば、城民が投降せぬか恐ろしくなるものです。百姓に虚勢を張らんがために出戦しただけのこと、明日からはまた城に引き籠りましょう。吾が迎え撃つ間に、四面より囲んで擒にされればよい」
諸将がその意見に賛同すると、晋軍の軍門が開いて張泓が一軍とともに陣営から飛び出す。金色の軍装に身を固めて銀のたてがみの白馬に乗り、手に鋼の長鎗を引っ提げて大音声に呼ばわる。
「扶風の
「先には詭計で吾が陣営がいささか乱れたがゆえ、命ばかりは見逃してやっただけのこと、今日は吾も一軍の将の役回り、決して見逃しはせぬ。お前は晋でも屈指の腕利き、殺すに惜しい男だが、妄りに大言した以上はこの大刀の錆となれ」
齊萬年が罵ると、張泓は鎗を挙げて突きかかる。
「死に損ないの賊徒めが、
二将は長鎗と大刀で打ち合い、一進一退の攻防を繰り返す。その勢いは
張泓が齊萬年の大刀に打ち籠められて劣勢に陥ったかと見るや、晋の軍営より
※
齊萬年は諸葛宣于の言葉を思い返し、二将を相手に勇を奮って戦い、一刀で二鎗を相手取って付け入る隙を与えない。その様子を見た趙王の司馬倫は
晋軍が近づくのに合わせて齊萬年は馬を返し、城濠を目指して軍を退く。
晋の四将は追いすがり、その後に趙王がつづく。城門の前で齊萬年は反転し、馬を立てて迎え撃つ。後を追う晋軍も追いつくや四将こぞって攻めかかり、ここを
幾ばくもせぬうちに、夏侯駿が鞍上で叫んだ。
「諸将軍よ、この賊は逃がさずに生きながら擒とし、吾が弟に報いるのを許されよ」
齊萬年は劣勢に見せかけると馬を返し、城を廻って北門に走る。晋の四将も一斉にそれを追う。城内の兵は慌しく北門を開き、齊萬年を先頭に一軍が駆け込んだ。
「齊萬年が戦に敗れて軍士は戦意を失っている。早く城内に攻め込んで
張泓はそう叫ぶとみずから城門に駆け込み、城兵たちを斬り散らす。晋兵は勢いに乗じて潮のように門に入り、甕城を奪い取ったかのように見えた。
※
城上の諸葛宣于は齊萬年の軍旗が濠を越え、晋軍が城門を抜けたと見るや、馬寧に砲声を挙げるように命じる。
その響きに応じて胡延晏兄弟の
張泓と夏侯駿は詭計に陥ったと憤ったものの矢雨の中では進むに進めず、引き返して城を出るよう兵に命じる。晋兵が城門に殺到するも狭くて一時には通れず、先を争って同士討ちをはじめる有様、それでもいくらかの晋兵たちは城門から逃れ出た。
それを見た諸葛宣于が紅旗を掲げるよう命じる。
紅旗が揚がるや、四門に伏せる精兵が一斉に発して城外に飛び出していく。城より逃れた張泓の背後に齊萬年、黄臣、胡延晏、胡延顥、劉霊の五将が軍勢を率いて襲いかかる。背後を襲われた晋兵は軍列もなく、菜か瓜のように断ち割られた。
晋兵の屍はすでに濠を埋め尽くさんばかりの惨状を呈している。
「はやく城に向き直って軍列を固めろ。軍営まで攻め破られるぞ」
夏侯駿が叫ぶと、諸将は敗兵をまとめて軍列を整えようと図る。そこに西門から趙染、南門から黄命、東門から楊興寶が攻めかかり、
晋将たちは支え切れずに軍営目指して逃げ奔り、攻める六将がその
晋将の
閭和は扶風で受けた
劉霊と張敬は趙王の所在を求めて中軍の中央に攻め入った。前方に黄色い薄絹を張った
※
趙王は一人の護衛もなく床几に坐していたが、劉霊が面前に駆け込んで来ると、陣を捨てて逃げ去ろうとした。そうはさせじと劉霊は、矛を引っ提げ馬を馳せ、胸板狙って突きかかる。
趙王は床几を掲げて矛先を食い止めるも、劉霊の剛力が加わっては堪えようもない。床几を捨てて身を返し、背後に控える馬に打ち乗って逃げ奔る。
劉霊が跟を追うも、趙王の馬脚は抜けて
そこへ遅れて孫秀、駱休の軍勢が救いに到り、
危地を脱した趙王は一息を入れたものの、背後より大音声で呼ばわる声を聞く。
「司馬倫よ、どこに逃げるつもりか。取って返して吾が鎗を受けよ」
声の主は劉霊と分かれて趙王を追った張敬であった。
孫秀と駱休が顧みれば、豹の頭に虎の
この時、司馬雅、許超、張泓、士猗、夏侯駿らの晋将は、敗兵を軍営を離れて収拾していた。その晋将たちも報を受けて駆け戻り、劉霊、張敬を食い止めて混戦となる。そこに齊萬年、胡延攸、趙概たちが晋軍の跟を追って攻めかかり、晋将たちもついに敵わず逃れ去っていく。
※
趙王たちは扶風に戻ろうとしたが、張賓は涇陽と扶風を結ぶ大道に張實、胡延顥、黄臣を遣わして道を断っていた。晋将が虎口を逃れて趙王とともに扶風に逃れようとしたところ、たちまち砲声が鳴り響いて鬨の声が挙がる。
紫面に長い髯を垂らし、虎の頭に獅子の鼻の一将が現れて
「司馬倫に張泓よ、はやく馬から下りて降伏し、落命するを免れよ。
趙王が討ち果たすよう命じたものの、度重なる敗戦に意気沮喪した晋将に張實と戦おうとする者はなく、算を乱して逃げ奔る。
扶風への道を断たれた晋将は、ひとまず北に向かって包囲を逃れ、南に転じて
十万と号する趙王の軍勢のうち、逃げおおせた者は二万に届かず、晋兵の
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