第二十七回 齊萬年は涇陽にて大いに戦う

 涇陽けいようを発する頃、夏侯駿かこうしゅん齊萬年せいばんねんを容易くとりこにして失陥した州郡を奪還し、弟の仇に報いようと手に唾していた。

 それが半日戦うも勝負がつかず、さらに馮貞ふうていまで討ち取られた。戦況を思うと懊悩して眠れず、夜半に諸将を招集して言う。

「賊将の齊萬年は聞きしに違わぬ驍勇ぎょうゆう、吾が刀は幾度かその頸に届こうとしたものの、わずかに及ばなかった。明日の戦いでは、お前たちは羌兵きょうへいを釘付けにすることに専心せよ。その間に吾が齊萬年の首級を挙げる」

 諸将は応諾して引き下がると、夜更けに起き出して腹ごしらえを終え、払暁には馬を揃えて羌賊の陣営に迫った。齊萬年もすでに兵を繰り出しており、両軍が平原で相対する。


 ※


 夏侯駿が陣を整えたところ、羌賊の陣頭に齊萬年が姿を現して大音声で呼ばわった。

「将軍は曹魏そうぎの皇族に連なってその血を継ぎ、曹氏が譙郡しょうぐんから屈起した頃からの犬馬の労を認められた身でもある。それにも関わらず、今や魏を簒奪さんだつした司馬氏に従っている。道理においては晋を仇とするも是認されるはずが、かえってその禄を食み、あまつさえ晋のために力を尽くすとは、これを大丈夫だいじょうふの道と言えようか」

「時に通じて勢に達するのが明人良士の道、虜掠りょりゃくを事として須臾しゅゆの間に亡ぶ羌賊が吾を同列に論じようとは片腹痛い」

 言い終わるや、大刀を抜きつれて攻めかかる。

 齊萬年も馬を馳せて各々の鋭気を尽くし、叫び声が山を震わせる。刀光は凛々として雪霜せつそうが舞うごとく、馬を廻らせて争う様は龍虎が競うかのよう、悪戦苦闘が百合を越えても互いに一歩も譲らない。


 ※


 齊萬年は憤怒して大刀を振り上げると馬を寄せ、唐竹割りに両断せんと振り下ろす。

 夏侯駿は齊萬年の大刀から身を交わし、かえってその上から斬り下げた。刀は齊萬年の左腿の鎧にあたり、鎧が外れて地に落ちる。齊萬年もその早業に一驚するが、この機をせんと思い立つ。

 手負ったように装って馬をつと、西を指して逃げ出した。

「晋将よ、今日はこれまで、馬を返して陣に戻れ。しばらく兵を収めて明日再び戦おう」

 齊萬年がそう言うと、夏侯駿は太腿を打った手ごたえもあり、手傷を負って逃げいくものと思い込み、備えもせずに追いすがる。

 齊萬年が顧みれば、夏侯駿は馬に鞭して追い迫ってくる。

 狄猛を討ち取った時と同じ謀に嵌めてやろうと、暗に大刀を納めて弓矢を執ると、夏侯駿の胸を狙って一矢を放つ。夏侯駿は弓弦の音を聞くや、馬に伏せて身を隠す。矢はその背をかすめて飛び去っていく。

 一の矢を交わされて二の矢を放とうとするも、夏侯駿が背後に迫って矢を放つ暇を与えない。大刀を抜いて馬を返すと戦うこと四十合以上、それでも勝敗がつく気配はない。


 ※


 互いの刀を斬りとどめ、鍔迫り合いになると、夏侯駿が言う。

「さきほど腿を打たれて腕前の差は明白、なお悪足掻わるあがきするつもりか。さっさと馬を下りて擒になることを願うがいい」

「お前は弟よりましなようだから、わざと手負いに見せて偽り逃れ、弓矢で片付けようとしただけのこと、お前ごときから傷を受けることなどあろうか」

 齊萬年がわらって言うと、夏侯駿は怒りに唇を噛む。しかし、日はすでに暮れかかっており、これ以上の戦は続けられそうもない。

「古より明人は闇夜に事をなさぬという。すでに日も落ちた。しばらく兵を収めて明日早朝よりふたたび勝負を決しよう」

 そう言うと、夏侯駿は馬を返して陣営に駆け戻る。齊萬年は弓を執って矢をつがえ、逃げ行くその背に矢を放つ。夏侯駿も読みのうち、一の矢は身を伏せてやり過ごすも、つづく二の矢が狙いを違えずその腰に突き立った。

 夏侯駿は矢を引き抜くと、弓に番えて打ち返す。追いすがる齊萬年は弓弦の響きを耳にして、身を伏せて矢をかわす。

「大将たるものが、卑怯な手を使うな」

 夏侯駿がそう叫ぶも齊萬年は聞き流し、三の矢を番えて狙いを定め、乗馬を狙って射放った。矢は狙い違わず馬の眼にあたり、いなないて棹立ちになった馬の鞍から夏侯駿が地に落ちる。

 齊萬年は馬に鞭して追い迫り、馬上より大刀一閃で両断せんと狙いをつけた。しかし、晋兵が一斉にを放って齊萬年を夏侯駿に近づけない。その隙に夏侯駿を助けて馬に乗せる。

 窮地を脱した夏侯駿は、今日はここまでと兵をまとめて陣に引く。取り逃がした齊萬年は大いに怒り、全軍に下知してあとを追い、羌兵は鬨の声を挙げると退く晋兵に追いすがる。


 ※


 夏侯駿は矢を受けて馬も傷つき、いったん涇陽に戻って身を休めんと図る。廖全は勝勢に意気上がる軍勢に叫んで言う。

「夏侯駿を追って取り逃がした者があれば、軍法により刑に処する。討ち果たした者は重賞も思いのままだぞ」

 それを聞いた晋兵は心胆を奪われ、風を望んで逃げていく。羌兵が後ろから鬨の声を挙げて追ってくる様を見て、夏侯駿は涇陽城に入っても包囲されて進退に窮すると懼れ、馬頭を転じて南の扶風ふふうに逃げ去った。

 齊萬年と廖全は涇陽に向かい、夜半になって城下に到る。副将の姚會ようかいは、夏侯駿が軍勢を返して戻ったものと思い込み、城門を開けて出迎える。

 そこにいたのは廖全が率いる羌兵であった。

「晋将ども、吾は蜀漢の先鋒、齊萬年である。お前たちの主将の夏侯駿はすでに討ち取った。すみやかに投降しろ」

 姚會はそれを聞くや急いで城に入ろうとしたが、廖全が馬を馳せて襲いかかる。

 十合も戦わないうちに齊萬年も追い迫り、慌てて鎗法を失したところを廖全に両断されて息絶える。晋兵たちは我先に城内に逃げ込むも、羌兵が怒涛のように押し寄せて城門を閉じられない。

 城内の民は怖れて家々の灯を点し、香を焚いて街頭に出迎えた。

 齊萬年はここでも殺戮掠奪を許さず、軍令に背いた者をさらし首にした。翌日には高札を立てて軍士を戒め、民はようやく安堵する。

 これより城中に戦はなく、民は大いに喜んだ。民を慰撫すると、齊萬年は廖全に命じて柳林川りゅうりんせん劉淵りゅうえん捷報しょうほうを告げるとともに、仔細を報告したことであった。

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