第二十五回 石勒は上党に義を聚む

 汲桑きゅうそう趙勒ちょうろくに一夜の宿を許した老人の姓はせきといい、余人より「石管家せきかんか」と呼ばれていた。その石管家は行く宛てのない二人を憐れんで言う。

「ここに留まってはどうか。手に覚えた仕事があるのではないか」

「商人ですが、農事のほとんどを身につけ、拳棍けんこん射御しゃぎょもおさおさ他人に劣りません」

 汲桑の言葉を聞いて言う。

「それならば、しばらくこの家に留まるといい。この家の主人は姓をせき、名をかんといい、その祖は渤海ぼっかい南皮なんぴの出身、かつては魏の光禄大夫こうろくたいふであった。朝廷に仕える石苞せきほうとは同母弟、散騎常侍さんきじょうじ石崇せきすうは甥にあたるが、司馬昭しばしょうを諫めてうとまれ、屯田司とんでんし北地ほくち監軍かんぐんに左遷されて洛陽らくようわれ、その後、司馬昭の子の司馬炎しばえんが魏を奪ったため、朝廷に還ることを拒んでこの地に家を構えられた。家産は豊かであるが高齢でもあり、子宝には恵まれていない。私はこの家の宰領を任されており、姓名を石富せきふという」

▼「屯田司北地監軍」は晋代の官職にない。北地の屯田の管理者というほどの意味であろう。

「吾ら二人は行くに先なく、帰るに家なき身、この家に留まることをお許しいただけるなら、猛虎を撃って悍馬かんばを御するほかに、賊の横行を抑えることもできましょう。湯火とうかなんに赴けと命じられれば、それも辞するところではありません」

 汲桑が願うと、石富は翌日から牛馬羊の家畜の世話を任せ、すべての牧子ぼくしきこりをその下につけた。汲桑は意を払って厳明に管理し、家畜は損なわれることなく頭数は増える一方であった。


 ※


 ある日、汲桑と趙勒が牧地に出て数を改めるうちに帰りが遅くなった。厨人ちゅうじんは空腹であろうと食事を牧地に届けさせ、二人は牧地で向かい合って食事をはじめる。

 ちょうどこの頃、主人の石莧は午睡に夢を見た。

 牧地に出ると、羊群の中に大小二頭の虎が向かい合って何かを食べている。牧の羊を喰らっているのではないかと疑いながらも襲ってくることを怖れ、隠れて様子を窺う。

 その時、閃光を発して小虎が百尺(31.1m)の金龍に変じ、空に舞い上がる。雲が興って雷が閃き、強風が砂をいて石を飛ばす。大虎が羊群から飛び出して襲いかかり、石莧は気を失って地に倒れ伏した。

 ちょうど婦人が通りかかって午睡をとる石莧の様子を見るに、満身に滴るほどの冷や汗をかき、顔色は土気色、急いで呼び覚ましたものの、目覚めても震えが止まらない。

た。

 夢の次第を詳しく話して聞かせると、夫人は考えて言った。

「龍と虎は非常の物、庸人ようじんが夢みるものではありません。龍は人君、虎は人臣をそれぞれ象徴します。かならずや吉夢に違いありますまい」

 石莧はそれより、羊の牧を見に行くことが多くなり、この日も牧地に向かった。

 牧地では汲桑と趙勒が羊群の中で食事を摂っている。これが夢の応験かと近づいてみれば、汲桑は石莧に気づいて傍らに蹲踞そんきょして控える。

 趙勒に向かって名を問うたものの、三度訊いても答えない。

「この子は口が利けないのか」

 怒らせようとしてそう言うと、その声に応じて言う。

「口が利けないはずがないだろ」

「それならば、なぜ名を答えないのか。天上より遣わされたわけでも、地下より湧き出たわけでもあるまい。名を問われて答えないとは、どういう了見か。無礼であろう」

 石莧がそう言うと、趙勒が目を見張って言う。

「その言葉とおり、天上より遣わされたのであれば、天子と呼ばれるようになってやる」

 天子は皇帝と同義であり、その言は不遜極まりない。愕いて仔細に様子を見れば、頭骨が高く、四角い顔に大きな耳、白い歯に紅い唇、容貌は秀抜で只者には見えない。

「名がないわけはあるまいに、この子供に問うても答えようとせぬ。どういう子なのか」

 汲桑はかしこまって答える。

「この子の父は難を避けて遠方に逃れ、姓名は分かりません。それで、胡中子こちゅうしとか、勒児ろくじとか呼ばれていました。いずれも胡人の呼称です。それで、胡勒児ころくじと呼んでいます」

「お前は朋友の子と言うが、恭敬して礼を尽くす様子を見れば、同輩の子であるはずがない。だが、それはいい。吾はこの老年になっても子宝に恵まれぬ。この子を養子としたいが、お前の存念はいかがか」

 その申し出を汲桑は応諾した。石莧は家に戻って養子をとることを夫人に相談し、それから趙勒を引き合わせると、夫人が尋ねる。

「お前は私たちの子供にならないかい」

老爺ろうや老娘ろうじょうに愛育して頂けるなら、よろこんで養子となります」

 石莧と夫人は勒児を石勒と改名して石氏を譲ることとした。


 ※


 夫妻は石勒を愛し、石勒もまた実の父母のように慕って孝行する。それだけでなく学問にも励んだため、家中のすべての者たちに敬愛されて公子と呼ばれるようになった。

 十二歳になった頃には、膂力は子供のものとも思えず、相撲をとって力を比べれば大の大人も及ばない。しかし、汲桑は勝手気ままに人と競うことを許さず、同輩たちが鎗棒の術を学んでいるのを見て石勒がそれを望んでも認めなかった。

 不憫に思った石莧は一人の師を選び、その姓名を胡延莫こえんばくという。始めて一ヶ月もたたずに大人と試合って負けることはなくなった。

 近隣には、劉徴りゅうちょう劉寶りゅうほう張曀僕ちょうえいぼく郭墨略かくぼくりゃく張越ちょうえつ孔豚こうとん王楊おうよう冀保きほ胡莫こばく趙鹿ちょうろく呉豫ごよ劉膺りゅうよう支屈六しくつりくという十三人の同輩があり、石勒は劉徴と鎗を試合って互角に戦った。それより友人として付き合い、学問や武芸の技量を競うようになった。

 郷村に豪傑と自負する者がいれば、石勒たちは訪ねていって腕比べをし、郷人たちは彼らを「十四悍じゅうしかん」と呼んだ。

 隣村の李家には麻を水に晒すための池があってそこに型のよい魚が多く、石勒たちは断りもなく入って漁っていた。その家には李暘りようという子があり、無頼ぶらい多力たりきで知られる。

 池に入れば、この李暘が駆け出て防ごうとし、誰もこれと勝負する者がない。

 独り石勒だけは逃げず、李暘に立ち向かってでも池ですなどろうとする。そのため、二人はつねに池中で争っていたが、いつも引き分けて勝負がついたためしがなかった。

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