第8話

それから一週間後、実家にいた俺のところに兄貴から電話がかかってきた。


「ハヤト、お前に一つ頼みがあるんだ」


ハヤト、なんて名前で兄貴に呼ばれるのは初めてのような気がした。


「なんや、兄貴、どしたんや」


「さとみな、秋田に帰るから、お前、駅まで送ってやってくれんか?」


「え? 結婚するんやろ? 


そのために秋田から出てきたんやろ、あの子」


俺は、さとみさんがメモを取り出した、大きなボストンバッグを思い出していた。


兄貴はしばらく黙って、言った。


「秋田に帰るんや。


頼むで、送ってやってくれ」



ああ、やっぱり、アサさんが二人の結婚を許さなかったんだな


と俺は思ったが、兄貴の頼みを引き受けるわけにはいかなかった。


もし、そうなら、駅前の道が、


兄貴とさとみさんが二人で過ごせる最後の時間になる。



「俺はいやや! 


兄ちゃん、自分で行けや!」


「頼む、ハヤト。


俺は行けない。頼む、頼むよハヤト」


俺が兄貴に頼み事をすることは幾らでもあったが、


兄貴が俺に頼み事をするなんて、初めてのことだった。



本家でなに不自由なく恵まれて暮らしてきて、


運動ができて、体格も頭も顔もよく、就職でも成功していた兄貴が、


「ハヤトにしか頼めないんや」



と、電話の向こうで、何度も何度も頭を下げていた。



その真剣さについに、俺は折れた。



「送るって言っても、単車しかないで」



兄貴は言った。


「いいんだ、ありがとな、ハヤト。


ほんと、さとみを頼むな」

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