第9話
俺が本家に迎えに行くと、
さとみさんは、一人でボストンバッグを持って、門の前に立っていた。
彼女は、俺に深々と頭を下げて、そのまま単車の後ろに乗ったから、
どんな顔をしていたのかは見えなかった。
さとみさんは、泣いたら俺に気を遣わせると思ったのか、
腰をつかむ彼女の手の感触や、体温はなんの感情も伝えてこなかった。
腰をつかまれているのに、さとみさんの魂はそこにはないようだった。
俺は、まるで幽霊を単車の後ろに乗っけて走っているようだった。
ボオオオオと、ライダースジャケットが風を受けて膨らむ音ばかりが響いていた。
この音も彼女には聞こえないんだと思うと、なんだか、やりきれなかった。
俺は、聞こえないのは承知で、
兄貴の代わりに、
さとみさんに
ごめんなごめんな
と何度も何度も謝り、
それからさとみさんを必死で笑わそうと、
バカなことばかり、あれこれと話した。
本家から駅に行く道の途中に、須賀田家の墓所がある。
いつもなら単車で走っているときに墓所の方を見たりはしないのに、
(兄貴と結婚が叶わないさとみさんは、この墓に入ることはないんだな)
とふと思い、
無意識にそちらの方を見てしまった。
墓を見た時には、それまでさとみさんに向かってしゃべり続けていた言葉も途切れていた。
俺がふいに黙ったのが、さとみさんにわかるわけがないのに、
目の動きだってわかるはずないと思ったのに、
さとみさんは俺の視線の動きに合わせて、顔を墓所の方に向けた。
それを背中で感じた俺は、墓所の横を通り抜ける間だけ、少し単車のスピードを落とした。
そして、さとみさんが、墓所の方を向いたまま、
祈るみたいに頭を下げたのを背中で感じたとき、
俺は少しだけ泣きそうになった。
駅に着いた。
俺は、もしかしたら兄貴がさとみさんを追いかけてくるかもしれないと
期待してうろうろと駅を歩き回ってみたが、兄貴は現れなかった。
やがて、電車が来て、さとみさんが乗り込んだ。
ドアが閉まるまでの間、俺とさとみさんは、電車とホームで黙って向かい合っていた。
その時、さとみさんが、あえぐみたいにパクパクと口を開けた。
「ア、ア、ア…」
と空気が割れるような低い声が、彼女の口から漏れる。
声出るんだ、という驚きの中で、
なんだ、どうしたんだ、と
俺が心配して、身を乗り出すと
電車が閉まる直前、
「…ア、ア…、
アガトウ」
とさとみさんが言った。
俺は閉まったドア越しに彼女の顔を見た。
そこにはせきの切れた川のように、大量の涙を流す瞳と
電車の中の誰にも聞かれない、
声にならない慟哭で、激しく上下するさとみさんの白い喉があった。
「アガトウ」は
さとみさんがその精いっぱいで、絞り出した
「ありがとう」
だった。
さとみさんは、いったい何に「ありがとう」を言ったのだろう。
俺が駅に送ってやったことなのか、
偶然とはいえ、須賀田家の墓所を教えたことなのか、
それとも、兄貴の生まれたこの滋賀に、
自分が来られたことなのか、
俺にはわからなかった。
ありがとうなんて、言うなよ!
俺も兄貴も、あなたに何にもしてやってねーよ。
帰り道、単車を走らせながら、俺は自分に無性に腹を立てていた。
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