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「よく来たな」
経理の金井は机に踏ん反り返るとそう言った。
組の事務所は新宿のとあるテナントビルの四階にあった。一階は飲み屋で、二階はパブ。三階は空で飛ばして、うちが最上階だった。
場末によくある寂れたビル群の一角。それがここだ。
金井は俺を立ち通しにすると、たっぷり一分は手元の資料を眺めていた。
そして、悪びれもせず、
「お前には聖人の一人を監視に付ける」
「せいじん?」
俺は聞きなれない言葉に思わず聞き返す。
「ああ、そうだ。使徒とも、天使とも。
よく言うだろう、生まれつき脳に障害を負った子供を天使と。組にはそういうガキが十二人いて、コイツがその一人だ」
そう言うと金井は顎をしゃくった。俺はおずおずと机に乗り出すと金井の足元を見た。
そこには縮こまった子供がいた。
「イザヤ」と金井が呼ぶと子供が顔を上げる。
そのとき心の中であっと声が上がった。
それは日常の中、関わると碌なことがなかったという経験則に基づく内なる警告。予言にも似た何か……。
そこには潰れたカエルを思わせる顔の子供がいた。
傾いだ目、潰れて横に広い鼻、分厚い唇。
ダウン症や知的障害の子供によく見られる特徴を備えたあまりに屈託ない笑みが俺に向けられた。
それは少し気味が悪いくらい無垢に過ぎた。
「嫌ですよ。子守なんて」
反射的にそう応えていた。
「違う。言ったろう、監視だと。そいつの目は、組の目だと思え」
監視? 冗談じゃない、思わずそう吐き捨てそうになる。
金井はそんな俺の心境を見抜いたのか、
「冗談などではない。そいつをただの半落ちだと思うな。奴らには不思議な力がある」
「不思議な力?」
「今は言えない。時が来れば、お前にもわかる。馬鹿らしいと思うかもしれないが、これはボスのご意向でもある」
「はぁ」
曖昧な返事にも金井はどこ吹く風でイザヤと呼ばれる少年の顔面を蹴り上げると、俺の足元へと寄越した。
「殴っても、蹴っても、目玉を抉りだしてもいい。ただし殺すこと、声を奪うことは禁ずる。行け、金を回収してこい」
右目を真赤に腫らしたイザヤが気味の悪い声で笑った。
「ゲヒ、ゲヒヒ。蹴られた、いた、いたた」
何となく俺はムカついて、その場でイザヤの顔面を二度ほど殴った。
「グギ、グギ。殴る、殴る。お前もおで殴る」
イザヤの左目は、右目と同じように腫れあがった。
「その方がいいぜ。右の頬をぶたれたら左の頬も差し出せ、だ」
イザヤの濁った瞳が俺を見上げた。
俺はその瞬間、異様な感覚を憶える。なにか見透かされたような……。悪寒がして、背筋にひやりとした冷たさを感じた。
「どうした、早く行け」
金井にそう急かされて、俺は逃げるように部屋から出た。
仕事は組に借金をしている事業者の取立て、サラ金などにも手を出している大馬鹿の処理。
俺に順番が回ってきたということは……つまり、それはもう手遅れってことだ。
俺は組の
逆に言えばそれだけの仕事というわけだ。
事務所を出ると、もう夕暮れという頃合いだった。逢魔が時というやつだ。
俺は胸騒ぎを感じながら、車に乗り込んだ。後部座席のイザヤが薄ら笑いを浮かべて俺を見つめていた。
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