聖ラザロの復活
ともども
〇
「ドーナツ、ドーナツ」
それはドーナツだった。
中古車が並んだガレージ。
停めてあった1974年型シボレーのフロントガラスにヒビが広がり、反響した轟音が不安定な周期で行ったり来たりした。
目の前には銃弾によって円環状にぶち抜かれた死体が転がっている。気付けば、撃ち殺していた。
「女一人にギャアギャア喚きやがって、だからこういう結末になるんだ」
そう吐き捨てて、俺は死んだ元中古車販売店のオーナーを腹を蹴り上げた。太っただぶだぶの腹は、頭を打ちぬいた時よりもグロテスクな音を上げた。
「くそ、くそっ」
ひとしきり蹴り終えると、いまだもうもうと煙を上げる銃を見つめる。こいつもお陀仏だ。一度、人を殺した銃は弾丸から旋条痕を特定される。
いつもなら銃弾を、あるいは銃弾のめり込んだ壁ごと持ち帰るのだが、衝動的に殺したせいでどこに弾丸が飛んでいったか見当もつかない。
探す時間も同様にない。
「ど、ど、ドーナツだ。う、うまそうだ」
吃音染みた発音。イザヤだ。
イザヤの唇には大量のジェルが詰まっている。外科成形で入れた、イザヤ曰く”身体に吸収されないジェル”らしい。
そのせいでイザヤの言葉はいつも噛み噛みだった。
「ドーナツ、ドーナツ。どうする、ドーナツ」
「うるせぇんだよ」
俺は持っていた銃の底でイザヤを殴った。
「ぐひぃ」とか「ぎぃ」とかそんな声を上げて奴は静かになった。
焦っていた。
この頭をぶち抜かれた男は組から借金をしていた。
男は地元の暴走族に二束三文で車泥棒をさせ、それを売りさばいて荒稼ぎをしていた。
族の斡旋は組経由で上納金と引き換えだったのだが、ここのところ不況で中古車が売れなくなっていたため、男は上納金を待ってもらっていた。
そして、そんな言い訳が半年も続き、しびれを切らした経理係が俺に回収を命じたというのが事の顛末、その最初の一ページというわけだったが……。
驚くことに調査してみると販売店は黒字経営で、上納金を払えなかったのは男がキャバ嬢に入れ込た。
結局、最期まで誤魔化しを聞かせて逃げようとした男は今日ここで俺に殺されることになった。
でも、それもどうでもいいことだ。今、俺の頭に渦巻くのは、回収できたはずの金、ドーナツ、そして金を持たずに組に帰るとどうなるか、その三つだけ……。
「どうすればいい。どうすればいい」
どうすればいい――。
これはガキの時からの口癖だった。
どうにもならない事態に直面するとき口から洪水のように溢れだす呪文。
呪文を口にすると俺の意識は遠のく。次いで時間の感覚が薄らいで伸び縮みするゴムのようになる感覚。
ガキの頃、お袋にぶたれまくったりすると俺はこの呪文を唱えた。
そうすると今みたいに時間が溶けて薄くなり、気が付けば俺はソファにもたれかかって寝ていた。
ぶたれたときの記憶は頬の痺れと共にどこかへ遠い過去のものへと。
それが俺のただ一つの避難所みたいなものだった。
「どうすればいい……。なぁ、どうすればいい」
俺はぐったりとしたイザヤに縋るように問いただした。
やがて、意識がぼんやりと薄らぎ俺の記憶は束の間、過去へと遡っていく。
呪文が俺を歪んだ時間間隔のもとへ導く。
始まりは、そう――。
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イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」
――ヨハネによる福音書 11章 25節
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