第2話 これはわたしの歌だけど

 楽屋に入ると既にステージ衣装を着たメンバーが待っていた。


 パンク風なタイトなジーンズにロゴが大きくプリントされたTシャツ、そして擦り切れた皮のジャケット。それぞれで個性を出すところはまた違うが、概ねそんな感じで統一されている。


「ミサキ、あんた制服で出るつもり?」


 そう声をかけたのはベース担当の愛海だった。セットしたショートの金髪とアイラインから伸びたシャドーがもともと童顔だったはずの顔を攻撃的な、まさしくロッカー然としたものにさせている。


 まさかと一言応えてわたしは背負っていたギターケースと鞄を楽屋脇に置いた。そして、奥にある衣装棚に向かう。衣装棚には先客がいて(ライブ直前の楽屋にはよくあることだが)そこそこ待つ必要がありそうだった。だけど、そこでわたしは横から何かを押し付けられる。


 「はい、これミサキの」


 ドラム担当の佳奈。緩くカールさせた髪が目にかかっている。たれ目がいつも眠そうでメイクをしてもそれは変わらないようだった。彼女が渡してくれた自分の分の衣装を手にわたしは愛海のもとへ戻る。


「今日のセトリは?」


 着替えながら愛海に聞く。ベースを組んだ足の上で弄びながら彼女はいつものと答える。


「また?」


「また、って何かご不満でも?」


「別に」


「言えよ、ミサキがそう言うときは決まって嫌々のときじゃん」


 嫌々――そんなことはないけれど、言いたいことはいくらでもあった。最近、新曲を作ろうともしないよね、とか昔はわたしのことをミサキちゃんって呼んでたよね、とか。ただ、それだけ。


「このセトリが今のわたし達でいちばん熱いグルーブなんだ。ファンもこのセトリで喜ぶんだし、どのライブハウスでも、この曲をやってくれって、せがまれるんだよ。いち押しはやっぱ押していくべきだってさ」


 いちばん熱い――ファンが喜ぶ――いち押し――。そうね、そうかもしれない。


「聞いてんのかよ、ミサキ」


「聞いてるよ、ちゃんと」


 わたしの着替えがそこでちょうど終わった。このジャケットに袖を通すのも、もう何度目のことだろうか。愛海がまだ何か言いたそうな顔をしているが、この話はどこまでいっても平行線でしかないことをわたしは知っている。


「リハ、まだなんでしょ」


「ああ、最後にしてもらったよ。ミサキが遅刻するから」


「ごめん」


 最後に星のバッジをあしらったヒールの高いブーツに足を入れて、わたしはギターを取りに行く。


 ケースから取り出したギター。赤のSG。


 これを買ったとき、お題の半分は母親に出してもらったのだが、それもあって、なんだかいつまで経ってもわたしのものじゃないように感じる。それでも愛着だけで言えば、持ち物の中では一番だ。軽くチューニングしてから、ステージ裏に向かうと愛海と佳奈がもう待っていた。


 二人とも自分のことに夢中だった。愛海はベースの調整に余念が無いし、佳奈は知らない男とスマホを向かい合わせて話をしている。聞けば、佳奈が狙っているバンドのボーカルらしい。


 ここでは誰もが一人じゃないようで一人だ。繋がっているようで繋がっていない。


 自販機前で煙草を吹かすロッカー達も、忙しく機器を弄るスタッフ達も、本番には会場を埋め尽くすそれぞれのバンドのファンたちも――そして、ここにいるわたしでさえも。


 ここに立つとき、わたしはいつも矛盾した感情を抱える。


 みんなのために歌うはずの歌が、実は一人のわたしのために歌われている。ただ、それを音の一体感がギリギリで繋いで取り繕っているだけで、深い繋がりを得たと思い込んだわたし達はライブが終われば、悲しいほどに他人へ戻る。


 誰もが誰も、自分の理想だけを追い求めた結果が今のこの場所だとしたら、はたしてこの歌が繋ぐのは何なのだろうか。十人十色のそれぞれが互いに押し付けあうべきものとはそんなに崇高なものなんだろうか。


 それでも、そうなんだとわたしは思う。思っている。それが崇高なものでなければ、それ以外のものは陳腐であると切り捨てることになってしまうのだから。あの雪の厚さも、冬の寒さも、そうなってしまうから。


 実際、わたしは高揚している。歌を歌う前のわたしはあの光の下に立つことをどうしようもなく許容している。


 そのとき、わたしは理想を押し付ける体現者となるだろう。だけど、もしこの理想に誰かが自分の理想を重ねたのなら、それはやっぱり嬉しいことなのだと、そう自分本位に思ってしまう。


 こんな回りくどいことを考えるわたしはやっぱり青いのだろうか。

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