六

 それから周りの流れに従い、とくにしたくもない勉強を一年近く繰り返した末に、卯月は国公立全てに落ち、滑り止めで受けていた私大に進学した。逆に幸一は記念受験気味に受けた私大を射止め、その結果、卯月と同じ大学に通うことに決まった。


 将来に対しての関心がなかったというわけではなかったが、あの図書館に残った日のあと、あらためて受ける大学を尋ねあうこともなく、試験会場で鉢合わせた際、卯月は目を丸くした。もっとも、一度だけ聞いた成績からすれば、一校や二校、受ける場所が被るのは珍しい話でもなかったのだが。


 なんとなく将来に役に立ちそうだという理由で経済学部を選んだ卯月に対して、幸一が選んだのは文学部だった。


「一番、役に立ちそうになかったからな」


 理由を尋ねた時に返ってきた答えには、卯月はさすがに呆れを隠せなかったものの、なにかしら動機があるあたり、自分よりはいくらかましなのかもしれないと思い直した。


 実家から大学まではそれなりに距離があったため、卯月は必然的に通いか下宿の二択を迫られた。家事をこなすのが面倒だという意見を素直に親に告げたところ、一回一人暮らしをしてこいなどと言われ、半ば追い出される形で大家さんが少し離れたところに一軒家を構える、入口がオートロックのこじゃれたマンションに住むこととなった。仮にも年頃の娘なのだからその対応はどうなのだろうか、とやや複雑な気持ちを抱えたまま、両親の協力により、面倒な引っ越しを終える。


 反対に幸一の方は、出ていきたい、という旨を保護者にすぐにみとめられ、望んで一人暮らしをすることとなり、大学から歩いて三分のぼろアパートに転がりこんだ。


 環境に差はあるものの、両方とも歩いて大学に通える距離であるため、行き来をするのはたやすかった。とはいえ、半ば女子寮のような役割を果たしている卯月の住居には集まりにくいことと、帰り道にすぐに寄れるという利点もあいまって、いつの間にか、幸一のアパートが溜まり場になっていた。高校時代はお互いの住居にはいりこむことなど一度としてなかったにもかかわらず、一人暮らしをしはじめた途端、気兼ねがなくなったせいか、勝手知ったる我が家のようにくつろぐのに抵抗はなかった。


 勧誘に誘われるまま、ほいほいと写真同好会に加入した卯月に対して、幸一はどこにも入らないでいたため、夕方頃にアパートに寄ればたいてい鍵は開いていて、彼氏が寝転がっている。


 よぉ、や、おお、などといった辛うじて挨拶と呼べそうな声よりも、更に短い相槌を打ち合ったあとは、お互い、思い思いにくつろぐ。


 卯月は課題をこなしたり、読書をしたり、勝手に厨房でまだ作り慣れていない料理をする。その間、幸一の方は特になにもせずにごろごろしたり、つまらなそうにテレビを見ていたり、音質の悪いラジカセで古めかしい歌謡曲を聞いたりしていた。


 特段に意識しているわけではなかったが、お互いの口数は高校時代よりも更に減った。しかし、それと反比例するようにして、ともに過ごす時間は増えた。


 幸一はサークルにこそ入っていないものの不思議と顔が広く、学内をともに歩いているとよく声をかけられては遊びに誘われていたが、その多くを気だるそうに断っていた。


 面倒臭いし金もそんなにないからというのが本人の弁だったが、そのためかアパートに寄る卯月の前で、だらだらとしていることが多くなるようだった。


 付き合いが長くなり、遠慮しない間柄になっていたため、相手の調子にかまわず、卯月は幸一の家にはいりこみ、相手が迷惑そうな顔をするのもかまわず時間を共有した。厚かましくなっているという自覚を持ちつつも、相手のことを二の次に、自らの気が紛れることを優先した。彼氏も仕方なさそうに振舞いつつも、決して異を唱えはしなかった。


 入学して二月もしない内に、ずっと前からこんな風だったと錯覚してしまいそうなほど、卯月はこうした日々を当たり前だと感じはじめていた。




 サークルでできた友人と話していると、時折、彼氏に対する話題が持ち上がった。ともに歩いているのも珍しくないのと、これといった趣味を持っていない卯月が持ち合わせる話題がそれほど多くないのもあいまって、ついつい喋れる範囲であれば幸一の話題を口にしがちだった。とはいえ、そのついつい話してしまうことにしたところで、口にできる事柄はさほど多くなく、卯月自身の口下手さもあいまって、大半は、友人たちのあることないこと含んだ想像に、適当な相槌を打つだけだった。


 必然的に友人たちが付き合っている相手に対する愚痴の聞き役になることが多くなり、彼氏へむけられるそれらに、愛想笑いにも似たような表情で応じることがほとんどだった。箸の持ち方からはじまり、日常においての気の利かなさ、相手の将来性の有無や、よく見てみたら不細工だった、そこまではいかなくても顔の一部にどうしても気にいらないパーツがあったり、なんとかしてほしい癖があるなど。卯月からすればよくそんな細かいところまで相手を見ているなと感心させられる一方で、いくら、気のおける相手だからとはいえ、わざわざ口にすることなのかなと首を捻ることもあった。


 話しが途切れないように相槌を打ちながら、卯月もまた、幸一に当てはめたうえで、考えてみる。不満がないわけではないし、ともに過ごしていて目につくのは卯月自身とは違う生物なのだなという感想が真っ先に出てくることは出てくる。だからといって一々目くじらをたてるほど嫌だとは思うわけでもなく、むしろ、自身と違うというのを頭から飲みこんでいるゆえに、いい意味での気にならなさがあった。


 しかし、この気にならなさのようなものを支えているのは、決して小さくない相手への無関心にほかならない。この時点で、なんとなく気になる、というとっかかりがあったあとにそれを、好き、という気持ちだと一旦、答えをだしている友人たちとはこの点で大きく異なっていた。


 このままでいいのか。そんな疑問が頭の中に湧きあがっては、別に不都合はないんだからいいでしょ、などといういつも通りの考え方によって弾けて消えていった。


 /


 休みになると、時々ではあるものの、二人で外に出た。


 幸一のアパートでくつろいでいる際、決まってどちらかが、ちょっと外でてくる、というようなことを口にした時、気が向いたもう一方が、着いていってもいいか、と尋ねる。お互いに人に隠すようなことがあまりないのもあいまって、たいていは、視線で了承の旨をつたえ、散歩がはじまる。


 お互いにお互いの生活があり、講義も人付き合いもそれ相応にこなしてはいたが、それを差し引いても暇な時間は多く、時間潰しをできるのならばなんでもかまわない、というところはあった。


 アルバイトもせず仕送りに頼っている学生同士だというのもあって、遊興費はそれほど持ち合わせてなかったため、高校時代以上に金がかかる遊びは避けられ、だいたいは散歩か夕飯や日用品の買い物という色気のないことに時間を費やすこととなった。


 元より卯月はぼんやりと時間を費やすのに慣れていたため、散歩の時も頭をからっぽにしていることが多かった。たいてい室内の淀んだ空気をぞんぶんに吸ってから外に出るのもてつだって、やや排気ガスまみれではあっても外の風は晴れやかなものに思える。


 コンクリート塀の間を、思い思いの歩幅で進んでいく。時には幸一の後ろにつき、時には先行し、かと思えば間柄にしたがってすぐ隣に並んだりしながら歩いた。


 やっていることだけ取りだしてみれば、機械的に散歩をしているだけのようでもあったが、隣に誰かがいるというだけで随分と卯月の意識は違った。いてもいなくてもどちらでも良かったが、誰かがいる方がなんだかんだ暇つぶしになるような気がした。

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