七

 夏の長期休暇中のある日、予定がないうえにえらく早く目覚めてしまった卯月は、軽めの朝食をすませると、日課のようにして幸一の家へと向かった。


 ついこの前受け取った合鍵を使って幸一の部屋に入れば、どうせ寝ているだろうという予想に反して、卓袱台の上で納豆ごはんを掻きこんでいる家主の姿があった。この食べ物のぬめぬめとしたところと鼻につく臭いが苦手な卯月は自然と距離をとるようにして壁際に寄りながら、押し入れの前に軽くよりかかるようにして腰かける。


 犬の帰巣本能にも似た気持ちでこの場へやってきてはみたものの、例のごとくとりたてて目的があったわけではなかったため、持ってきた手提げ鞄の中からデジタルカメラを取り出す。サークルの先輩や同輩から、散々買うようにといわれたすえに、一念発起して手にしたものだった。写真同好会の中でも、その魅力にとりつかれた数人の先輩たちには、写真をとる感触を味わえるとの理由で、一眼レフカメラをすすめられたものの、フィルム代や面倒臭さなどの理由で遠慮した。


 なんとはなしに電源をつけたあと、カメラの液晶を覗きこむ。畳、白いレースのカーテン、卓袱台、電灯の笠とつまみの紐、そして幸一の後ろ姿。機械を通してみたものたちは、たしかにはっきりと映っていたが、カメラを外して自分の目にはもっと鮮やかな映像として見えたため、撮ってもあまり見栄えしないように思えた。


 少なくとも、同好会の仲間たちがとってきた多くの写真と比べてしまうと、目の前の光景はどう取り繕っても絵にならない。たしかに、何の変哲もないものをとっている会員というのもいるにはいるが、液晶越しに卯月が見ているものとは大きな差があった。


 映してからプリントアウトすれば多少は感じ方も変わるかもしれない、とも考えたが、なんとはなしにそうはならないだろう、というやる前からのあきらめが頭に満ちてきて、デジカメをおろした。


 そのすぐあとに幸一が振りむく。目の前の納豆ご飯とみそ汁、プラスチックのコップにはいった麦茶を片付けたらしかった。


「とんないの」


 気のない声に一歩遅れて、なにを言われいるのかに気付いて頷く。幸一は、いつも通り答えを期待していたわけではないようで、ふぅん、と相槌をうってから、ゆっくりと近付いてくる。


「せめて歯を磨いてからにして欲しいんだけど」


 今度はなにをされそうになっているのかにすぐ気付いた卯月は、控え目な主張をする。


「麦茶飲んだし。味なんて残ってないって」


 面倒そうに応じてから幸一は肩に手を置く。卯月もその時点で、なにを言っても無駄だな、と察したものの、強く拒む気にもならず力をぬいて目を瞑った。


 口内で薄い納豆の味がつたわってくる。卯月はやっぱりと思って顔を顰めつつも、入りこんできたミミズのような異物をそのまま受けいれた。後方に倒れたあと、微妙に残っていた眠気がこみあげてきそうになりつつも、ゆっくりとのしかかってくる身体を、相変わらず細いなと感じた。




 カーテン越しに差しこんでくる日の光の眩しさと背中の痛みに顔を顰めながら、卯月は再びデジタルカメラを手にして弄びはじめる。あおむけで、電源をいれていないカメラを涼しい胸の前にかかげながら、天井の木の板に沁みこんだくすんだ斑点を眺める。


 液晶越しに覗けば、あのシミははっきりとしなくなるか、あるいは映らなくなるかもしれない。などとどうでもいいことをぼんやりと頭に浮かべながら、卯月は汗が冷たくなっていっているのを感じる。


 さっさとシャワーを浴びたい。カメラに添えていた両の手の内、右の方を髪にそえながらそう思うが、だるくて起きあがる気になれないため、無意味にカメラを胸の上に置く。金属の思いの外ひんやりとした感触が、卯月には心地良かった。


 押しよせてくる眠気に従いたい本能と、風邪を引くからせめて身体を拭いて服だけでも着ようという理性を卯月が天秤にかけていると、窓とは逆方向から幸一の顔があらわれる。


 そういえば、いたな。つい何分か前までいたしていたにもかかわらず、卯月の頭からその相手のことがぬけおちており、思わず面食らってしまう。


 彼女の鳩が豆鉄砲を食らったような表情に、幸一は変なやつとでもいうような視線をむけていたが、すぐさま普段通りに表情を消してみせる。


「たまには、どっか行くか」


 半裸の男の言葉に、卯月はなんとはなしに目を瞬かせる。


 どういう風の吹き回しだろうか。何年かの付き合いにおいて、幸一の方からどこかに行こうと誘ってきたというのは、卯月の記憶にない。そのためなにか企んでいるではないのかという疑いを抱いたものの、卯月を騙したところでこの男にとって特に得などないなと思いいたり、すぐさまその説を打ち消した。


 そんな気持ちが表に出ていたのか、幸一は頭を掻きながら、天を仰ぐ。尖った顎と僅かに震えるぽっこりと膨らんだ喉仏が、影ごしに目にはいり、少しだけ絵になるなと思わされた。


「暇だしな」


 いつものことだろう、とつっこみそうになりつつも、その気力がもったいなかったのもあり、ただただ畳に背中を預けたまま小さく唸る。


「行くのか行かないのか、どっちだよ」


 心の底から面倒臭そうな彼氏の問いかけに、卯月自身もどういうつもりで唸ったのか、すでに忘れかけており、わざわざ思い出す気にもなれずにいた。


 男はより多く髪の毛を掻き毟ってから、立ちあがったかと思うと、卯月の視界から消える。気配のした方に身体を転がすと、既にジーンズを穿いた幸一は、玄関のほうへとむかっていた。ただ、上半身になにも着ていないところからすれば、外へでるわけではなく、進行方向にあるトイレか風呂場へと進んでいるのだろうと察せられた。


 その予想の通り、風呂場へと姿を消していった幸一の背中を見送ったあと、卯月はくしゃみをした。そろそろ体調を崩してしまいかねないと判断すると、重たい身体を起こす。幸一が出たら、シャワーだけは浴びよう。そう決めて、すぐ近くに置いてあった服を拾いあげる。


 窓辺に視線をむけるとカーテンの端が微妙に開いていて、より強い日が差しこんでいた。




 答えなかったゆえにシャワーを浴びているうちにいなくなってしまうのではないのか、という卯月の危惧は、昼少し前のバラエティーを見ている幸一の後姿を見ることで霧散した。ドライヤーで髪を乾かしたあと、薄手の白いブラウスと紺のショートパンツを着てから、幸一の横へと移動する。


「腹減ったな」


 思えば朝からそれなりの時間がたっているせいか、彼氏の声を耳にした瞬間、空腹感がこみあげてきた。反射的に台所の横に置いてある冷蔵庫を覗きこみにいくが、ハムが数枚、卵が一つ、あとは調味料くらいしかない。無造作に視線で訴えてくる幸一に、首を横に振ってこたえると、無言でテレビを消して立ちあがる。


 この期におよんでなにも決めていなかった卯月は、どのみち外にでるしかないと理解し、一歩先に玄関へとむかい、薄ピンクのサンダルを履いて扉を開ける。


 ここにやってきた時よりも更に強くなった日差しにうんざりとしながら、卯月は外へと飛びだし、腕で目の上を覆った。すぐ後ろで鍵を閉める音がするのを耳にしたあと、卯月は先んじて歩きだす。財布と相談すれば、行くところはかぎられていたため、足取りに迷いはない。後ろから足音がついてくるのを感じながら、アパートの敷地から飛びだし道路へと踏みだした。




 歩いて十分ほどの距離にある牛丼屋で食事をすましたあと、卯月は幸一の後ろについていく。日焼け止めを前もって塗っておけばよかったと後悔しながら、立ち止まらずに歩いた。


 どこかへ行くことを提案したのだから、なにか計画があるのだろうか、と勘繰っていた卯月の予想に反し、幸一の足取りは普段ぶらついている時と同じく特に目的地などないようだった。


 もっとも、今回の散歩道はいつも買い物で行くスーパーマーケットの方でもなければ、その途中に寄り道する公園の方でもなく、いずれにしても、幸一とともに歩くのは初めての通りであるのは疑いようがなかった。


 大学に通いはじめて、この辺りの地理も多少はわかりはじめてきていたが、それらの土地勘を養ったのは、卯月の独力やサークルの仲間たちとの付き合いにおいてだった。


 あらためて幸一と遠出らしい遠出をしたことがないということに思いいたり、こんなことで付き合っているなどといえるのだろうか、という何度か頭に浮かべた疑問に思いいたる。しかし、すぐに彼氏彼女が行うであろうそれらしいことはこなしているなと考え、考えるまでもないのだと疑いを打ち消す。


 昼下がりの日の下の見慣れたとはいえないまでも知っている道を、どこか不思議な心地で歩いている内に、古ぼけた神社の前へと辿りつく。サークルの仲間たちと歩いた時は、特になんの感慨もなしに通りぬけた覚えがあったが、幸一が先んじて赤い塗装が剥がれかけている鳥居の下をくぐっていったので同じようにくぐった。


 その神社は敷地が狭く、鳥居の横にかまえる二匹の狛犬、社まで続く石作りの道、手洗い場、神殿、それらをぐるりと囲む石でできた柵と不規則に伸びた樹木、などといったありきたりなものがつまっている。お守りなどを売る売店や、社務所なども見当たらず、神主もいなければ、客も今は卯月と幸一のみだった。貸切といえば聞こえはいいが、微妙に朽ちかけている社の木材を眺めていると、とてもご利益を期待できそうにない。


 そんな雑感を抱いている卯月を差し置いて、幸一は社の前の階段まで歩くと、お参りもせずに腰をおろした。それでいいのかと彼氏の行動に半ば呆れつつ、座っている男の横を避けると、財布から五円玉を取りだし賽銭箱に投げいれる。神社と寺のお参りの仕方が頭の中でごっちゃになっていたため、無難に手をあわせて、一礼するにとどめた。


「神頼みするようなことがあったのか」


 腰かけた卯月の隣にいた幸一が尋ねてきたので、首を横に振る。


「最近、神社なんてめったに行ってない気がして」


 最後に行ったのは家族との初詣の時と記憶している。普通の人もそのくらいの頻度でしか足を運んでいないという気がしたが、今の卯月にはなぜだか、殊更、特別なことに思えて仕方がなかった。このところ、お施餓鬼もさぼってしまっているというのが、この心情を後押ししているのかもしれない。


 幸一は自分で聞いてきたにもかかわらず、適当な相槌をうったあと、賽銭箱の横にある空間に寝転がる。元より、この男との会話にはたいした意味がないと、年月だけが重なってしまった付き合いから察している卯月は、座ったままぼんやりと目の前を見る。鳥居の下に視線をくぐらせると、すぐ外を通る道路が一望できたが、あいにく、車も人の通りも少なく、耳にはアブラゼミの忙しい鳴き声と寄ってくる蚊の羽音ばかり飛びこんでくる。


 頬から滴り落ちてくる汗に、卯月は道路を歩いていた時から感じていた後悔を早くも大きくしつつあったが、一方で日陰にはいれたのには少しばかり安堵していた。百円玉と十円玉をケチらずに販売機につっこんでおけば、尚更、心地良い時を過ごせたに違いなかったが、気にしないことにする。


 手団扇とともに蚊を払いながら、なんとはなしに彼氏を見る。幸一は目をつぶらずにただただ、社の日除け屋根を見上げるばかりだった。その視線の先に従うと、小さな蜘蛛の巣がいくつもはっていた。


 もしかしたら詩的に観察なんかしているのかもしれない。彼氏が所属している学部を思い出しそんな想像をしてみせたが、そうではない気がするなどと考えもした。


 思えば幸一のことをなにも知らない。ともにした時間だけであれば、家族に次いで長く、いつもぶら下げている表情や、どんな風に触れてくるのかということならば知っている。しかし、その内面についてあらためて考えたことはなく、考える必要もないとすら思っていた。その気持ちは今も変わっていない。


 不思議な関係だな、とあらためて思う。


 ふと、はて、この不思議にいたった理由とはなんだっただろうと、卯月は首をひねる。それは卯月自身にとっては大事なことであるような気もしたし、振り返ってみればくだらないことのようだった気もする。しかし、その理由がなんだったのかが、どうしても思い出せなくなっていた。


「そんな顔してこっちを睨むなよ」


 そう言われて我に返ると、幸一が戸惑った顔をしているのが目にはいった。どうやら、柄にもなく考え事をしていたらしい。なによりも、難しいこととかかずりあっているのは面倒このうえなかった。


 自らの内面を掘り下げていくことをしんどいだろうという想像するとともに、卯月は気持ちを切り替えようと、持ってきていた手提げ鞄からデジタルカメラを取りだす。


「撮ってもいい」


 電源を入れながら尋ねる卯月に、幸一は口の端をつりあげる。


「断わるって言ったらやめるのか」


「私をなんだと思っているの」


 苦笑いで応じる卯月に、幸一はつまらなさげな顔をしたあと、あごをわずかに縦に動かしてみせたあと、目をつむる。それを了承と受けとった卯月は、液晶を覗きこみ、寝転がる男の姿を画面越しに見た。日陰の下というのもあって、映りはやや不鮮明だったが、それがいい味をだしていると、素人なりの美的感覚で判断する。


 ちゃんとした勉強もしていなければ、カメラ狂いの同好会員からこれといった指導も受けていない卯月は、適当に撮る角度や箇所、距離を変えながら、シャッターを切っていく。どれが良くてどれが悪いのか、よくわからないまま、撮ったいう実感も薄いまま、データを増やしていく。


 そして一時的に広げていた距離を再び詰めて、幸一の胸元辺りを映した時、そこになにかがあることに気が付いた。それは青く細長い物体で不思議と目線を引きつけられていく。


 どうしてこんなにも目を奪われるのかもわからないまま、卯月は息を殺した。そして、指を機械的に動かしながら、なにかを待ちはじめた。なにを待っているのかは自分の中でもはっきりとしない。ただ、待たなければならない、というのは心が囁いている。


 身体中から力を抜き、いかにも気の向くまま適当に写真を撮っているようにふるまいながら、幸一の一挙手一投足をうかがう。


 男は目を瞑ったままでいたが、次第に浅い呼吸をはじめる。僅かな腹部の上下を観察しながら、段々と心臓の鼓動がおさまっていき、ついには消えてしまったように卯月は錯覚した。音と体温が消え、視界は男の身体全体をおさめつつ、注視しているのは青く細長いものだけだった。


 やがて、男の腹の動きと息が安らかになるのとともに、卯月のカメラのシャッターを押していた方の手が離れ、シャツの胸元まで伸ばされる。まだ、触れていなかったが、数秒後には自分の手の中にものがあるという確信が既にある。その時を想像して透明だった頭の中に、喜悦が広がっていくのがわかった。


 まさに一瞬ののち、指先がものに触れるのは疑いようがなかった。


 不意に、男が寝返りをうち、胸元の位置がずれた。予想外の動きではあったが、卯月は相手の身体の動きにあわせて、腕で追いかけていくのは変わらない。しかし、男は寝返りそのままの勢いで、うつ伏せになる。青く細長いものは、木の板と男の身体の間に隠れて見えなくなってしまった。


 卯月はしばし、呆然としながら、空を切った自らの掌ばかりを見つめていた。


「満足したか」


 唐突に響いた声音を、卯月は最初、寝言だと勘違いしそうになったが、はっきりと意思がこめられているのを察する。いつから起きていたのだろうかと考えながら、次第に今、自分自身がしたことを振りかえり愕然とした。


 なぜ、こんな犯罪まがいのことをしなくてはならないのか。自らの行動に戸惑う卯月の前で、男は溜め息を吐いてみせる。


「もう、何年も経っているからとっくに忘れてるって思ったんだけどな」


 その言葉とともに、徐々になぜ、卯月が幸一と付き合いはじめたのか、という理由が頭に浮かびあがってくる。こんなわかりやすい理由をなぜ、忘れてしまっていたのだろうか。


 青いボールペンは、あの頃と同じ輝きを放っており、心の中には、奪いかえさなくてはならないという思いがいまだに根付いているのを実感する。たった今まで記憶の中にすらなかったはずなのに、何年も前からずっとこの時のことばかりを考えていたような気すらしはじめていた。


「まだ、取り戻してないから」


 ひどく静かな声音を響かせる自らに驚きつつ、卯月は冷ややか瞳をむけてくる幸一を見返す。


「前にも言っただろ。これは俺のだって」


「そんな何年も前のことは覚えてないし、私はみとめてもいないよ」


 こうして睨みあいながら、卯月はすでに隙をうかがう気をなくしている。さっきが数年来、ただ一度の機会であったのだと直感が訴えかけている。これより大きな隙を手にいれるためには、はたしてあとどれだけ待たなければならないのだろう。それを思うと、気が遠くなりそうだった。


 幸一は起きあがりながら、ボールペンの尾っぽの部分を指で挟みながら、目を細める。


「さすがに、まだ、狙ってるなんて思ってもみなかった」


 くせっ毛を掻く男がそう呟くのを耳にしながら、卯月は段々と浮かびあがってくる記憶の数々を整理していく。


 デジタルカメラを木の床に置いてから、空いている手でボールペンを指差す。高校時代から今にいたるまでの記憶を掘りおこしてみれば、元の持ち主にばれない場所では常にボールペンを持ち歩いていた。とりわけ、大学生になってからは、卯月とともにいる時はだいたい胸ポケットに差しこんでいた。


 先程のそぶりからすれば、幸一の方は青いボールペンを手にした経緯を覚えていたように思える。もっとも、二人のなれそめからすれば、長い間忘れていた卯月の方がおかしいといえるのかもしれなかった。


 とはいえ、卯月には幸一がずっとボールペンを持ち歩いていたというのがどこか解せなかった。卯月が知っているこの男はそれほど物に執着する人間ではなく、むしろ親しくしている相手にすらどこか無関心であるようにも見える。そこのところから察すれば、こうしてずっとそれも表だって持ち歩いているというのは幸一の人間像とどこかずれているような気がした。


「そのボールペン、そんなに気にいってるの」


 いつの間にかこぼれたまっすぐな疑問に、幸一はなぜだか不意を打たれたような顔をする。そして、後頭部のふわふわとした髪をどこか苛立たしげにかいてみせたあと、目をそらす。


「いや、そんなに。普通」


「普通だったら、そんなに持ち歩かないんじゃない」


 少なくとも他の筆記用具よりは特別に思うなにかがあるはずだ、と卯月は決めつける。そうでなければ幸一は横からボールペンをかすめとったりはしなかっただろうし、下手をすれば元の持ち主にボールペンを返したうえで卯月を告発したかもしれない。だから、自らの手元におさめようと考えるにいたったなにかがあるはずだと考える。


 幸一はどこかげんなりした様子で天をあおぎながら、髪を指にからめていく。


「なにをしようと俺の勝手だろう」


 そう言われてしまえば、卯月としては具体的な反論というものはない。いくらなになにはなになにであるという想像を膨らましたところで、幸一の頭の中は、結局のところ本人にしかわからないのだから。


 卯月は少しだけ考えを巡らしたあと、幸一の方へと手を差しだす。


「それじゃあ、普通ならさ。それ、私にくれない」


 口にこそしてみたものの本気ではなかった。なによりも卯月の勘は既に結果を知らせている。


「嫌だね」


 幸一は目を深く瞑りながら、要求を跳ねのける。彼氏の声を耳にするのと同時に、もしかしたらなどという少しも信じていなかった可能性にすがろうとした卯月自身の不明を恥じた。


「俺のものは、俺のものだからな」


 男の頑固さは、思わず溜め息が漏れそうになる。


 本当によくわからないやつ。そんな印象をより深めながらも、卯月の心はどこか晴れ晴れとしている。欲しいものは手にはいらず、今後も手にはいらない公算が高い。それなのにもかかわらず、卯月は今にも笑いだしたい気持ちでいっぱいだった。


「なんか、おかしいことでもあったか」


 いぶかしげにする幸一の問いかけに卯月は首を横に振る。


「なんでもない、ってことはないかな。そろそろ、アイス食べたいし」


 口にするとともに、忘れかけていた熱気が身体中を包んでいく。幸一もまた、顔を顰めながらも、重そうに腰をあげた。


「奇遇だな。俺もそんな気分だ」


 うんざりとした顔のまま背をむけた幸一は、階段をおりて鳥居の方へと歩いていく。卯月はデジタルカメラを拾いあげながら、まだ、電源が入ったままだったのを思い出し、なんとはなしにかまえる。


 段々と遠くなっていく男の後ろ姿を何度か撮ったあと、ゆったりと階段を降りる。日陰からでると相変わらず日の光が眩しかった。

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