五
取りとめのない日々が過ぎ去っていくうちに、二人は三年になり、どちらからも、別れようの、わの字も口にされなかったため、二人の付き合いはずるずると延長され、いつの間にか年という単位を跨いでしまっていた。
「お前、これからどうするよ」
放課後、学内の図書館で課題をこなしている最中にそう問いかけられて、卯月ははて、と首を傾げる。意味がわからなかったというわけではなく、彼氏の口からそんな言葉が出てきたことに驚いた。
「たぶん、大学かな」
そう言ってから卯月は、模試でなんとはなしに志望校にしている地元国公立の大学の名前を挙げる。高校に入ってから最初の進路希望調査を見た時に、大学くらいは出ておいた方がいいだろう、というなんとなくな考えにしたがっているため、とりたててこだわりがあるわけではなかった。
答えてからすぐ、目線で、あんたは、と促す。
「俺もかな」
もうちょっと偏差値の低いうえに私大になりそうだけど、と付け加えてから、その言葉通りの志望校を口にしてみせる。定期考査の見せあいもしてなかったため、卯月はこの場で初めて幸一の成績を知った。
もうすぐ高校も終わる。まだ、一学期もはじまったばかりだというのに、卯月はそんな感慨に耽りつつ、ふと、幸一との別れが近付いているのだということに気が付く。
さすがに校舎内だからか、見えるところには出していないものの、あのボールペンは今も幸一の鞄の中にしまわれている。元々、二人の間に強い結びつきがあって付き合っているというわけではない以上、卒業後は疎遠になり、こうして時をともにする機会すらなくなってしまいかねなかった。
そうだとすれば、高校を出る前に取り戻す必要があった。しかし、ボールペンを手にいれられなかった日以降、卯月の手癖がでることは一度もなく、奪いかえせるという確信は一度もない。いっそ、鞄ごと抱えて走り去ってしまったり、表に出てる時にいちかばちかで手を伸ばしてみるべきなのではないのかという誘惑にかられもする。試すだけならばただであるし、たとえ、失敗したところで幸一は素知らぬ顔で応じるだけだろう。しかし、九割方失敗するとわかっているせいもあってか、卯月は思い描く短慮に走ることができずにいた。
ゆえに、その時が来るのを待つ、という態度を変える気にはなれないままでいた。だからといって、高校在学中に、その時、がやってくるかどうかははっきりとしないままであり、このまま、状況が変わらないというのも十分にありうる話だった。
気が付くと、幸一は鉛筆を動かすのをとめて、身を乗りだして卯月の様子をうかがっていた。これからについての問いかけといい、この少年にしては、どこか珍しい振る舞いをいぶかりながら、卯月はぼんやりと彼氏を見返す。
「一緒の大学、行こうか」
なんとはなしに口にしたことがらは、たぶんそうした方がいい、という卯月の事情を反映した言葉であり、それ以上の意味は特に考えていなかった。
途端に幸一は目を見開く。
「なんで」
仮にも彼氏の口にする言葉ではなかったが、卯月側にも、幸一が近くにいた方が都合がいい、以外の理由などないため、聞きかえされてもそれほど不自然に思わなかった。
「なんとなく」
だからといって、理由をはっきりと言うのもはばかられたため、卯月にはそれ以外にあらわしようがない。
「あっそ」
幸一も特に追及する気もないのかそう言ったあと、つまらなさげな顔をして、ノートの上で鉛筆を動かしていく。卯月は自習に戻った少年の表情を見つめるが、なにを考えているのかはよくわからないままだった。
なにも知らないまま、いたずらに時を費やしている。そう考えると、こうした時間の一つ一つが無駄なように思えてくる。しかし、だからと言って、いたずらに時を費やすことに危機感をおぼえるほど、特別になしたいなにかがあるというわけではなく、いまだにこうしている時が嫌になるというわけでもない。
とはいえ、たかが一本のボールペンのために、こうした時を過ごし続けているというのも、やや、大袈裟な気がしてくる。たしかに、かつての卯月は、それが欲しいと強く願っていたし、今もまた取り戻したいとは思っている。だからといって、人生の長い時間をかけてまでなすことかといえば怪しく、取り戻したいといいつつもすぐ目の前にあるものに手を伸ばそうともしない。
もう、この辺で止めてもいいんじゃないか。そういった考えが頭にちらつかないわけではなかったが、積極的に今の過ごし方を変えようという気が卯月にはないため、とりあえず幸一の隣にいることに戸惑いを覚えもしない。なによりも、今すぐに決める必要があることでもなく、どちらかといえば、明日の課題の方が深刻な問題といえた。
渋々、ノートに視線を落として、睨めっこしたくもない数式を見下ろした卯月は、今日のところは、これ以上先のことについて考えるのを放棄する。
おおむね静かな図書館内では、決して数は多いとはいえない数の生徒たちがおもいおもい過ごしているためか、微かなざわめきが耳に入ってくる。さほど集中力がないせいもあってか、卯月はこうして残って勉強をすること自体を鬱陶しくなりはじめていた。
終わらせないで困るのは卯月自身だったが、早くも投げだしたくなりはじめつつ、軽く伸びをする。その動きを目の端にとらえていたのか、幸一は鬱陶しそうに顔をあげる。その表情を見て、卯月はノートを閉じはじめる。
「帰ろっか」
一瞬、幸一は呆気に取られたように目を見開いたが、すぐに小さく溜め息を吐いてから、シャーペンを筆箱にしまう。
「お前っていつも、唐突だよな」
「そうかな」
答えながら、たしかにあまり考えずに衝動に身を任せることが多いのに思い当たる。
「そうだよ。まあ、いいけど」
嘲うような目をむける少年の態度に卯月は少しばかりむっとさせられる。人から見れば、あまり考えない、と取られがちな部分にしても、自分なりに頭を振り絞っているのだと、少しだけ反論したくもなったが、むきになるのも馬鹿馬鹿しく感じられ、ふうん、と相槌をうちながら荷物をまとめて立ちあがる。
あとから道具をしまいはじめたにもかかわらず、先に荷物をまとめ終わっていた幸一が、いつの間にかすぐ傍に立っている。普段通り、感情の乏しい表情を横目に映しながら、どんな甘いものを食べに連れ回すかと頭を巡らせているうちに、少年の顔が徐々に近付いてきているのに気が付く。
錯覚だろうか。最初、卯月はそんな風に思いながら、ぼんやりと自体の推移を見守っていた。やがて、唇のあたりにややかさかさしたものが触れたところで、ようやくおかしさのようなものを感じた。束の間の後、その妙な感触が消え去ってから、数秒、頭の中が真っ白なまま、何事が起ったのかを考え、遅まきながら思い当たる。
唇に人差し指でおさえた時には、下手人は既に背をむけて出ていこうとしていた。卯月は少年の行為を咎めようとしたが、すぐに、なぜそうしなければならないのかと、問いかけた。
自分たちは付きあっている。少なくとも、卯月がそう言い、少年がそれを了承しているのだから、そういうことであるとみて間違いないだろう。そして、多少、世間様に比べれば素っ気なさはあっても、付き合っている男女が行うであろう事柄をいくつかこなしている。ならば、先程の行為にしたところで、付き合っている者同士がするうえで当り前のように通る出来事であって、目くじらをたてるほどのことではないのではないか。
「行くんじゃなかったのか」
平然とした様子で振り向く幸一に従うようにしてあとを追いつつも、卯月はどこか釈然としない気持ちを抱えたまま、あとに続く。もしかしたら、幻だったのかもしれないと思いもしたが、唇にはたしかに妙な温もりが残っていた。
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