第3章 それぞれのゴールデンウイーク
第10話 連休の始まり
今日から五連休のゴールデンウイークが始まる。
友達と遊び倒す予定の者。
部活にがっつり取り組む者――そう、友人の千佳もそうだ。
バイトに精を出す者。
過ごし方は人それぞれである。
そして、
「よし、行こう」
自分のバイオリンケースを手に、自室から出て階下へ向かう。
階段を下りると、ダイニングへ通じる方と、店の工房に通じる方へと別れている。矢㮈の家は洋菓子店を経営しているのだ。
ダイニングの方へと足を向けると、丁度台所から出てきた弟と鉢合わせた。
「あ、おはよう、
「ああ、おはよう。休みなのに珍しく早いじゃん」
弟の弓響は欠伸をして、それから矢㮈の持つバイオリンケースに目を遣った。
「何、今からレッスン?」
「そう。昨日おばあちゃんに頼んできた」
矢㮈のバイオリンの先生は祖母である。祖父が生きていた頃は、どちらかというと祖父に教えてもらうことの方が多かったのだが、祖母も教えられるだけの技量持ちで今はお願いしている。
弓響が首を傾げつつ、しかし嬉しそうに言った。
「あんなに弾きたがらなかったのに、一体どうしたんだか。やっぱりオケ部に入るの?」
「ううん。オケ部は考えてない。だけど……どうしても一緒に演奏したい人たちがいて」
「へえ……どんな人たち?」
「楽しい人と、気難しいヤツ?」
矢㮈が簡潔に言うと、弓響は軽く眉をひそめた。
「何それ。全然想像できない」
「あはは。まあ、想像しにくい人たちだからね、あの人たちは。あ、そだ。弓響も一緒にレッスンする?」
「いい。俺は今日一日店番だから。それに俺は弾くのは無理だ」
弓響はうーんと伸びをして、「じゃあ」と階段を上って行った。
矢㮈は彼の後ろ姿を見送って、やがてダイニングを抜けて中庭に面する廊下に出た。この廊下は隣の祖母宅へと繋がっている。
矢㮈はバイオリンケースをしっかりと抱え込み、祖母の家へと足を踏み出した。
*****
今日からゴールデンウイークだ。
たった五日しかない休みだが、寮内には帰省する者が少なくない。
二段ベッドは
もちろん、下段の同室者はまだ安らかに眠っている。
「あー、そっか。食堂時間は変わらないんだっけ」
学園と兼用の食堂は平常通り運営されている。朝は六時半から八時まで。昼は十一時半からなので、今はものすごく中途半端な時間帯だ。
その時、下段でモソモソと毛布が動いて、眠たげな声がした。
「何―、也梛もう起きたのー? んー……まだ九時過ぎじゃん……こういう時はお昼まで寝てんのが筋でしょおー」
諷杝はそう言うとまた、也梛の方に背を向けて寝入ってしまった。
どうやら彼は昼まで寝ているつもりらしい。かと言って也梛はもう寝る気にもなれず、寝間着のジャージから外着に着替えた。
小銭入れを持って、部屋を出る。
とりあえずコンビニに行こうと思ったのだ。
コンビニから帰ると、部屋の真ん中に置かれた丸テーブルを前に、諷杝がぼんやりと胡坐をかいていた。
まだ九時半過ぎ――意外と起きるのが早かったなと思う。也梛がそう言うと、
「君が来るまではそうだったんだよー。一人部屋だったから。だけど君ってば起きるの早いから、どうしても気配で分かっちゃうし……」
欠伸と共にそんな答えが返ってきた。つまり、遠回しに也梛のせいだと言いたいらしい。
「他人のせいにするな」
也梛が呆れた顔をしてコンビニ袋をテーブルの上に置くと、早速諷杝がガサゴソ探り始めた。
「あー、ヨーグルトがある。僕これもらいー」
「……勝手にしろ」
也梛もテーブルに着いて、諷杝が手放した袋から菓子パンを一つ取り出す。
諷杝は学校のある日も朝はあまり食べない。今日もヨーグルト一つで満足そうだ。也梛にはとても信じられない。これでも健全な育ち盛りの男子高校生なのだろうか。絶対お腹がすくに決まっている。
「ねえ、也梛は帰らないの?」
「帰らねーよ」
也梛は面倒臭そうに返事をする。
家に帰った所で、いろいろと関係がこじれている父親と姉に会うのはただ気が滅入るだけだ。さらにその間を必死に取り持とうとする母親も見ていて辛くなる。
そう、たった一つ気にかかることは――
「妹さん――
まさにその気がかりを、諷杝はあっさりと口にした。
也梛は黙り、少ししてため息を吐いた。
「あいつも部活とかで忙しいだろ。中三だから最後の大会近いし」
「そうかなあー」
諷杝は首を傾げつつ、スプーンを口に運ぶ。
「そういうお前はどうなんだ。帰らないのか」
反対に、尋ねてみる。
すると彼は二段ベッド下段の自分の枕元にある携帯をちらっと見て、少し困ったような、でもどこかうれしそうな表情をした。
「五日の日に、日帰りで帰ろうかと思ってる。昨日末っ子からメールをもらってね」
「末っ子? お前、兄弟いたっけ?」
彼の家族のことについて聞くのは初めてだ。でも確か、諷杝は一人っ子であったと以前聞いたような気がする。
「あれ? 前に言わなかったっけ? 僕はもともと一人っ子だよ。だけど、両親を事故で亡くしてから、父親の知り合いにお世話になってる。そこでの兄妹が、兄一人と妹一人」
そういえば両親は亡くなったとか何とか、さらりと言っていたかもしれない。
「兄さんもちょっとした縁で引き取られたんだけど、妹の方は正真正銘夫婦のお子さんの一人娘。まだ小学三年生なんだけどねー、これがかわいくて」
諷杝がわが娘のように言う様を見て、少しおかしくなる。だが彼は彼で、いろいろ複雑な事情持ちなのだろう。
也梛は特に深く問いもせず、さらりと流すことにした。
「そうか。ならちゃんと帰ってやれ」
「うん、そうする。あ、そだ」
空になったヨーグルトの容器をテーブルに置いて、諷杝が手をポンと打つ。
「もし何もないなら、君も家に来る?」
「は」
「五日ってこどもの日でしょ? だからチマキとか柏餅とか出ると思うんだよね」
「……何かそれ聞いて行くと、ものすっごい俺食いしん坊と思われないか……?」
「何言ってんの。もう十分也梛は食いしん坊だよ」
諷杝は遠慮なく笑って、「それに」と付け加えた。
「家に置いてきたモノがいくつかあって、それを取りに行きたいんだ。君と矢㮈ちゃんのためにね」
「置いてきたモノ?」
不思議そうな顔した也梛に、しかし諷杝は何も答えず「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
「まあとりあえず考えといてよ。てか今日は、君はバイトだった?」
「ああ、そういえば。午後からだけど」
也梛は週に三回、バイトを入れている。別に遊ぶ金欲しさというわけでもなく、ただ父親への対抗心で始めた。
しかしバイトなら諷杝もたまにやっているようだ。
「お前は?」
「僕? 今日はオフなんだ。その代わり明日は一日バイト」
「ふーん。じゃあまた昼からも寝るつもりか?」
「そんなわけなでしょ。イツキさんとぶらぶら散歩でもしてくる」
「……もっと他にないのか。つーかお前、折角の休みなんだから、誰かと遊ぶとか」
鳩とデートかよ、と思わず突っ込んだ也梛に、諷杝は気にするふうもなく慣れたように笑う。
「人とどこかに出掛けるよりも、鳩相手の方がずっと楽だからね」
「……」
たまに彼はこんなことを言いだす。
別に彼の交友関係が悪いというわけではない。ただ、広く浅い――そんな感じがする。
「鳩相手なら、まだ笠木の方がマシだと思うけど」
「ああ、矢㮈ちゃんねえ。最近あまり顔出さないよね。どうしたんだろう?」
也梛と同じクラスの笠木矢㮈は、ひょんなことから諷杝と仲良くなっていた。也梛と諷杝のいる放課後の屋上に、ちらほらと顔を出す。だが四月末頃から、以前より頻繁には現れなくなっていた。也梛はクラスで彼女の姿を見るものの、諷杝は大分ご無沙汰らしい。
「どこかの部活でも入ったのかな? それともバイトとか」
「さあな。そんな話は聞いてないけど」
しかし最近の矢㮈は、最後の授業が終わるやいなや、掃除当番でもない限りさっさと帰ってしまう。
「まさか彼氏ができたとか?」
「それだと臣原辺りがうるさいはずだけどな」
也梛が見る限り、男関係ではないような気がする。
何というか、そう、
「好きなものが待ってます――みたいな。俺らが音楽やるような感じ」
「へえ……。何に向かってるんだろうね」
「知らない」
也梛とて、同じクラスだからと彼女とよく話すわけではない。そもそもお互い仲が良くないのは分かっているので、進んで話はしない。
「休みが明けたら聞いてみようかな」
「まあお前になら、教えてくれるんじゃないか」
也梛は再び袋の中を探って、もう一つ菓子パンを取り出した。それを見て諷杝が呆れた顔をする。
「よくまあ朝からそんな甘いモン二つも食べられるね、也梛」
「少食のお前よりはマシだろ」
ゴールデンウイーク初日の朝だった。
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