第2章 音楽室と英語教諭

第7話 音楽室で

 四月も末になってくると、さすがに新鮮味はなくなってくる。

 矢㮈やなは千佳とお昼を食べながら、いつものように喋っていた。

「今朝ねー、偶然昇降口で高瀬君と一緒になったの! で、おはよう、って言ったらね、ちゃんと返してくれたんだー」

 千佳がうれしそうに言うのを聞きながら、矢㮈は曖昧に微笑んでいた。

「それは……良かったね」

 学年トップの成績だと噂されている高瀬也梛は、相変わらず寄り付き難いオーラを醸し出している。本人はあまり自覚していないようだが、彼にはどこか周りの者を圧する空気がある。

 そんな彼に声をかけた千佳もすごいと矢㮈は半ば感心する。

 しかし当の高瀬の本性は、ものすごく口が悪くて頑固だ。変な縁で話すようになってしまったが、矢㮈のことをいつもバカにするか貶しているような気がする。毎度、二人の共通の知人・諷杝ふうりが仲裁に入ってくれるからいいようなものの、絶対仲良くできない相手だと矢㮈は感じている。

 だから、まず教室では喋らない。前に一度、さりげなく千佳に彼の本性を話してみたのだが、彼女はがっかりするどころか、

「いいじゃないー、それくらいなきゃつまんないわよ」

 と、余計に興味を持ってしまった。それ故に、矢㮈はもう下手に口を挟まないようにしている。

「って、あれー? 高瀬君いないね」

 千佳が後ろの方の席を見渡して言う。

 高瀬はいつも昼になると、教室でそこそこ喋る男子たちと一緒に食べるか、ふらりと一人でどこかに行く――きっと諷杝の所だろうと矢㮈は思っている。それか図書室かだ。

「そういえば千佳ちゃん、最近部活はどう?」

 高瀬の話に半ばうんざりして、矢㮈はさりげなく話を変えた。

「ああうん。順調っていうか、まあ満足してやってるよ」

 千佳が部活の話を始めてほっとする。彼女は陸上部だ。専門は短距離走らしい。先輩たちの態度など細かく報告してくれるので、陸上部員でない矢㮈も内部のことがよく分かった。

「笠木は何も入らないの?」

「ああ――今のところは、ね……」

 結局、部活動見学もしないまま、ずるずる今日まで来てしまった。

 たまに気が向いたら屋上へ行って。そこにいる諷杝たちと話す――そんな感じで毎日が過ぎて行っていた。因みに、どうやら諷杝と高瀬も、どこの部活にも所属していないようだった。

 相変わらず高瀬は、矢㮈の前ではキーボードを弾いてくれないけれど。

「一緒に陸上やる?」

「いや……それはちょっと……。あたし運動そんな得意じゃないし、走ってたらすぐ息切れるし」

「あーそっかー」

 千佳は「ごちそうさまでした」と手を合わせて、弁当箱を包む。

「でもさ、何もやってないと暇じゃない?」

「んー……」

 矢㮈は言葉を濁した。

 一応、部活の代わりに、改めてやり始めたものがある。

「ま、何でもいいけどねー。あ、そだ。笠木、今日六限終了後すぐ、音楽室の掃除あるってさ」

「え、ウソ。今日当番だっけ?」

「ううん。何か急に入ったらしくて。あたしたちの列が当番だってさ。――てことは、高瀬君も一緒だー。ヤッター」

「……千佳ちゃん、普通ここ、嘆くとこじゃない?」

 最終的にまた、高瀬の話題に戻って来てしまった。



 早速六限終了後、矢㮈たちは音楽室に向かった。高瀬は面倒臭そうに、移動する一行の一番後ろを歩いていた。

 音楽室には選択授業で音楽をとった者か、または吹奏楽部などの音楽系部員しか入る機会が無いような気がする。矢㮈は一応芸術科目の選択で音楽をとっているので、何度か訪れていた。

 音楽室の中には音楽科目の担当教員がいて、軽く説明された後すぐに分担して掃除に移った。

 矢㮈は窓拭きで、千佳と高瀬も同じ役割だった。

「わー、高瀬君、一緒に頑張ろうね!」

「……ああ」

 千佳のテンションに多少気圧され気味な高瀬がおかしくて、矢㮈は堪えきれずに横を向いて小さく笑ってしまった。高瀬がそれを目敏く見つけて睨んでくる。

 別に彼の側にいたくもない矢㮈は、彼から一番遠い場所の窓を拭き始めた。千佳はどちらかというと高瀬側に寄って、たまに積極的に話しかけている。それを面倒臭そうにしながらも、高瀬はちゃんと答えてはいた。それが意外なようで、しかし彼本来は別に無口ではなかったな、と思う。

 千佳がバケツの水を替えに行った時、ふいに高瀬が矢㮈の側にやってきた。珍しい。

「どうしたの」

 高瀬はその問いに仏頂面で返した。

「あいつ、一体何なんだ? 黙ってられないのか?」

「千佳ちゃんのこと? うーん……まあ、それが彼女らしさというか何と言うか……」

「何だそれは」

「まあ、諦めなさいな。それにあんただって結構満更でもなさそうだったし」

「……もういい」

 高瀬がため息を吐く。

 すぐに千佳が戻って来て、掃除が再開した。

「高瀬君、運動神経も良いんだってね」

「……いや、そうでもないけど」

「もー謙虚だなあ。ねえ、陸上部来ない?」

「遠慮しとく」

「わー、即答。でもどこも入ってないんでしょ?」

「……やりたいことが他にあるから」

「えー、何々?」

「教えない」

「えーっ!」

 千佳の攻めに高瀬がたじろいでいるのは明らかだった。おかしくて仕方がない。

 わざわざ矢㮈の方を見はしないが、目に見えない抗議レーザーが高瀬からこちらへ放出されているように感じた。

 監督していた音楽科目の先生に合格をもらって、千佳が部活のため勢いよく音楽室を飛び出した時には、高瀬がほっとした顔でグランドピアノの前のイスに座っていた。

 他のクラスメイト達も方々に解散し、音楽科目の先生は準備室に入って行った。矢㮈と高瀬だけがそこに取り残される。

「――しかも、お前ずっと笑ってただろ」

 高瀬が矢㮈を横目に睨む。

「え? だって――おっかしくて、おかしくて」

 思い出しただけで、笑いが復活する。

「……笑うなっ!」

 高瀬はそう言うと、矢㮈から目を逸らして、ふとピアノの鍵盤の蓋を開いた。

 準備室から先生が戻って来て、まだ残っている二人の生徒を見た。

「君たち、まだいたのか。吹奏楽部かオーケストラ部だったかい?」

「いえ、違います」

 矢㮈が答えると、

「だったら、もうここ閉めてもいいかな? 今日はもう音楽室は使わないから」

 先生が少し申し訳なさそうに言った。

 矢㮈がすぐにそれに従おうとし、高瀬も異論なく開けた蓋を閉じようとした、その時。

「あ、失礼します。すいません、僕がこれから使わせてもらいます」

 三十代くらいの一人の男性教諭が、音楽室に入って来た。



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