第6話 三人の出逢い
それから二十分くらいが過ぎて――矢㮈はイツキで遊び(遊ばれ?)、高瀬は背もたれのあるベンチに座って項垂れるようにして眠っていた(ように矢㮈には見えた)――ようやく、息を切らして諷杝が戻って来た。
肩にギターが入っているのだろう袋を背負っている。
「お待たせ。ごめんね、だいぶ待たせちゃって」
「う、ううん。全然。てか、本当にわざわざありがとう……」
矢㮈がギターの準備をする諷杝を見ながら礼を述べると、
「気にしないで。あの曲をもう一度聴きたいって言ってくれて、僕もうれしかったから」
諷杝はいつもの定位置だとでもいう、あの丸太の木のベンチに腰掛けて、ギターを構えた。そして簡単に いくつか弦をつま弾いて調音し始めた。矢㮈はそれを不思議な心地で見ていた。
弦が弾かれて音が出る。ピックを使って弾くか、弓を使って弾くかの違いだけで、バイオリンととても良く似ている。
「也梛、こんなもんかな?」
一通り終えて、諷杝が隣のベンチの高瀬を見る。高瀬はゆっくりと顔を上げて、軽くうなずいた。
「まぁ、そんなもんなんじゃない?」
諷杝が微かに笑って、ふうと息を吐く。
そして矢㮈の方に一度礼をすると、弦の上で指を躍らせ始めた。
(――あ)
昨日聞いたあのメロディーが紡ぎだされた。彼の鼻歌よりももっと確かで、でもやはりどこか切なくて、胸の奥の何かが儚く消えていきそうになる。また、そのメロディーを奏でる諷杝の表情も、どこか切ない。
まるでこの屋上が切り取られたように、そのメロディーの空間が広がっていた。
いつの間にかイツキが諷杝の傍らに戻って来ていた。高瀬の目も、じっと一筋に諷杝のギターに注がれている。
(この曲をバイオリンで弾いたらどうなるんだろう?)
ふいに矢㮈はそんなことを思った。
最後の一音が風に乗って余韻を残す。
長かったように感じたが、これでもまだ半分くらいだと諷杝は言った。
「続きはどんななの?」
「それが残ってなくてね。完成してたのかどうかも分からないんだ」
諷杝はギターを膝の上に乗せると、もう一度息を吐いた。それがため息だったのかどうか、矢㮈には分からない。
「ん……? 矢㮈ちゃん、ギター弾いてみる?」
「え?」
矢㮈はきょとんとした。自分が無意識のうちにじっとギターを見つめていたのに、全然気付かなかった。
諷杝がバンドを肩から外して、矢㮈の方へそっと持ち上げて見せる。
「適当に爪弾くだけでも良いよ」
矢㮈はごくりとつばを呑み込んで、右手をゆっくりと弦に伸ばした。
――。
頭の中で例の音がして、やはり数センチ手前で押し止まった。そして手を後ろに引っ込めた。
その様子を見て、諷杝が軽く首を傾げる。
「……矢㮈ちゃん?」
すぐにはっとして、慌てて彼に謝った。
「あ、ごめん。あたしやっぱりギターとか弾けないと思って。何かあんな綺麗な曲聴いた後だから、余計に……」
「?」
諷杝はまだしばらく不思議そうな顔をしていたが、続けて尋ねた。
「矢㮈ちゃんは何か音楽やってた?」
「え……? 何で?」
心の中でドキッとしながら尋ね返す。
「さっき僕が弾いてる時、自然に体でリズムとってたから。何か馴染みがあるのかと思って」
「……」
きっとそれも無意識だ。矢㮈は心の中でため息を吐きながら、彼に向かって笑った。
「あたし、意外と音楽は昔から得意なんだよね」
「へぇ。お前、カスタネットとかタンバリンとか得意なんじゃない?」
思わぬ所から口を挟まれる。高瀬だ。
ムッとしつつも、あながちそれも嘘ではないので、
「よく分かったわね。打楽器好きだよ、あたし」
正直に答えておいた。
演奏中大人しくしていたイツキが諷杝の腕に乗って、ギターを突くまねをした。どうやら何か弾けと催促しているようだ。諷杝が困ったように、適当に音をいくつか爪弾くと、イツキは嬉しそうにじっと耳を澄ましている。
「この鳩、妙に音楽好きなんだよな。というか、諷杝のギターが好きなのか」
高瀬が呆れたようにつぶやく。矢㮈はそっと彼の足元の黒いケースを見て、尋ねた。
「その中身、キーボード?」
「あ? そうだよ。ひょっとしなくてもキーボード」
「弾いてくれない……よね?」
ダメ元でお願いしてみたが、彼はふいと横を向いた。
「弾かない。打楽器と仲良く演奏会なんて別に興味ないし」
「あっそーですか」
高瀬には、もう矢㮈は打楽器くらいしかできないと思われているらしい。
「まぁ、小学生レベルじゃない打楽器なら、やってやってもいいけどな」
「……じゃぁあたしがここに打楽器持って来たら弾いてくれる?」
「お前のレベル次第だな。カスタネットでも持ってくるのか?」
「……」
改めて、一つ分かったことがある。
高瀬也梛は、ものすごく口が悪い……。
彼に興味があると言う千佳は、今朝もキャーキャー彼のことを話題にしたが、明日は彼の本性を教えてあげようと思う。
「もー、イツキさーん。いい加減許してよー」
嘆願する諷杝の声が聞こえる。彼はずっとイツキの相手としてギターを弾いていた。そんな彼と、もう一度高瀬を順にみる。
「そうかー、諷杝と高瀬君はルームメイトなのか……」
そうつぶやいて、「あれ?」と自分で首を傾げた。ちょっと待て。諷杝は何と言ったか。
『也梛は今年から僕のルームメイトに……』
――今年から?
「……もしかして、諷杝ってあたしたちより年上?」
導き出された答えをポツリと漏らした矢㮈に、高瀬が「はあ?」と顔をしかめた。信じられない、という無言の訴えが耳に聞こえた。
「お前……今サラ何言ってんの? 散々あいつのこと呼び捨てにしといて……」
「え、だって」
呼び捨てにしていた分、余計に分からなかった。そういえば、聞いていたのは名前だけだ。
「あいつは二年。俺らより一つ先輩」
「そうなんだ」
矢㮈が納得しつつ、ギターを無理やりしまおうとしている諷杝を見た。諷杝は昨日の矢㮈のようにイツキに突っつかれていた。そんな彼を見ているうちに、また先程の音楽が耳に蘇ってきた。頭の中で、ギターの音色が鳴っている。
(――いつか)
ふいに、思った。
(いつかあの曲を、バイオリンで弾いてみたい。それで……)
「あのギターと一緒に演奏したいな……」
彼のギターの横で、一緒に音色を奏でたいと思う。
この矢㮈のつぶやきを聞いていたらしい高瀬が、軽く肩をすくめた。
「諷杝なら、お前のカスタネットと演奏会やってくれると思うぞ」
「……そうね。お願いしてみるわ」
矢㮈はわざと皮肉に乗って、案外冗談でもなくそう答えた。
これが、初めて三人が顔を合わせた出逢いの日だった。
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