第5話 少女と鳩と少年と
次の日、矢㮈はまた放課後に屋上へと足を延ばした。
今日は白い鳩を追って行くのではない。
もう一度、彼のあの歌を聴きたかった――鼻歌であったが。
本日も屋上の扉は開いていて、階段側の扉前にいると勢い良く風が吹き込んでくる。昨日と同じ、放課後の静かな屋上に出て、少し奥に向かって歩き出す。
そして、昨日と同じように、丸太の木のベンチに彼は腰かけていた。
ただ今日は、彼のすぐ前に思いもかけない姿があった。
「あ、ヤッホー、矢㮈ちゃん」
諷杝が気付いて笑顔で手を振ってくる。同時に〝その人〟が矢㮈の方を見た。
あの鋭い視線が来るのを予期したが、彼は少し驚いたように目を見開いた。
矢㮈の不思議そうな顔に、諷杝が首を傾げて尋ねた。
「……どうしたの?」
「あ、いや……。何でここに高瀬君がいるのかな、って」
矢㮈の答えに、諷杝が驚く。
「あら? 矢㮈ちゃん、也梛のこと知ってるんだ?」
「同じクラスだから、一応」
特に話したこともない関係であり、本当にただのクラスメイトだ。
「あ、そうなの? もう、也梛、そうならそうと早く言って……」
高瀬の方を向いて諷杝が文句を言うと、高瀬は眉をひそめた。
「は? お前何言ってんだ。俺こそ諷杝とそいつが知り合いだなんて知らなかったんだぞ」
「ちょっと」
すかさず矢㮈は口を挟んだ。今の彼のセリフは聞き捨てならない。
「あたしは〝そいつ〟じゃなくて、〝笠木矢㮈〟なんですけど」
それを聞いた高瀬はさらに眉をひそめたが、ちゃんと言い直した。
「――笠木とお前はどういう知り合いなんだ? まさか彼女だなんて言わないだろ」
「昨日言ったでしょ? 面白い子に会った、って。その子だよ」
諷杝の返答に高瀬は黙った。
(昨日? てか何でこの二人、こんな仲良いの?)
矢㮈はわけが分からずきょとんと二人の会話を聞いていた。
諷杝が矢㮈に微笑んで、彼と高瀬の関係を教えてくれた。
「也梛は今年から僕のルームメイトになったんだ。それから――音楽仲間?」
「音楽仲間?」
聞き返すと、諷杝は曖昧にうなずいた。
「まぁ、ただの趣味だけどね。二人で奏でてる」
「へぇ……。何を奏でてるの?」
「也梛はキーボード、僕はたまにギターとか」
「わあ、聴きたい!!」
思わずそう言った矢㮈に、
「何でそうなるんだ? 俺はごめんだね。諷杝だけでやれ」
そっけなく言い放ったのは高瀬だった。
「ちょっと、也梛。そんな頭ごなしに拒否しなくても……。てか僕今日はギター持って来てないんだよね」
諷杝がため息混じりになだめる。そして高瀬の足元にある細長いケースに目を遣った。
「その点、君はいつもそれを持ち合わせてるし……」
「関係ない。だいたい俺は自分のために弾くんであって、他人のためになんか――」
「全く、也梛は頑固だなぁ」
頑として譲らない高瀬と困ったふうな諷杝を交互に見ながら、矢㮈は小さくつぶやいた。
「あの……無理だったら別にいいよ……?」
そもそも、今日こうしてまたここへ来たのは、
「ただ……昨日のあの曲がもう一回聴きたいな、って思って」
そう、あの鼻歌の曲のためだ。もちろん、諷杝と鳩のことも気になっていたが。
それを聞いた諷杝が、目を見開いた。
「それで、来たの?」
「ん? ……うん、そうだけど」
矢㮈が素直にうなずくと、彼はふうと息を吐いた。
「――そこまで言ってくれるなら、演奏しなきゃ申し訳ないかな」
「え?」
「寮からすぐ取ってくるよ。ちょっと待っててくれる?」
「はい……?」
目を丸くする矢㮈に加えて、高瀬も驚いた顔をする。
「お前、マジで言ってんの?」
「当たり前でしょ。君は弾いてくれないし。取りに行くしかないじゃん」
それ以上誰かが何かを言う前に、諷杝は屋上を去っていた。
「……」
ポカンとする矢㮈と、呆れたふうな高瀬が取り残された。
どちらも何も喋らない。
ただ気まずい空気が流れる。
と、そこへ。
バサバサバサッ
一羽の白い鳩が舞い降りてきた。
「あ、イツキさん」
思わず矢㮈が声を上げると、高瀬が苦々しい顔をした。
「お前もそう呼ぶのか」
「え? だってイツキさんって諷杝が言ってた――」
「いや、別にどうでもいいことだけどな」
矢㮈はイツキに手を伸ばしてそれをかわされると、気付いたように高瀬をじっと見た。
「……何だ」
高瀬が仏頂面で問う。
「何かイメージと違うな、って思ったから」
「は?」
もっと、高瀬也梛という人物は、近寄り難い存在だと思っていた。だが、今の彼はあの鋭い目もしていなく、口数も多い。
「学年トップの成績だって聞いてたし、いつも何か周りを圧するようなオーラ醸し出してるから、もっと話しにくいかな、とか思ってて」
素直に言うと、彼は特に怒るでもなく、ただ微かに眉を寄せた。
「ふーん。俺の噂は結構な尾ひれがついてるこって。てかそんなオーラ醸し出してねーけどな」
「いや、気付いてないだけだと思うけど……」
小さく反論してみると、黙殺された。――やっぱり、性格的には近寄り難いのかもしれない。
それきり矢㮈も高瀬もお互い黙ったままだった。
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