第4話 二人の少年

 屋上の少し奥まった所に、丸太のような木のベンチがある。そしてそのベンチに腰かけている少年は、ぼんやりといつものように空を見上げていた。

 彼の焦げ茶の髪が風に揺れている。

「あれ? いつもの鳩はどうした?」

 也梛が少年に近づくと、彼はこちらを向いてポカンとした。

「え?」

 どうやら、也梛の言葉をちゃんと聞いていなかったらしい。別にこれは珍しい事ではないが。

「いつもの鳩はどうした、って訊いただけだ」

 也梛はもう一度言って、肩にかけて背負っていた長方形の黒いケースを下ろす。

 彼――諷杝は、やっとうなずいて、しかし首をひねった。

「さぁ? どっか飛んでっちゃったみたい」

「あ、そう」

 別にそれがどうだとかいうことはなく、也梛は相槌を打っただけだった。

 隣のベンチに同じく腰を下ろすと、諷杝が軽い口調で尋ねてきた。

「ねぇ」

「あ?」

「ずっと訊きたかったんだけど、何で君は眼鏡をかけてるの? しかもそれ、伊達だよね?」

「……別に理由なんてねーよ。そうだな、あえて言うなら、頭良さそうに見えるから、かな」

「ふーん。じゃぁ僕もかけてみようかな」

「やめとけば? 本当に頭良くなるわけじゃねーし」

「――君が頭良いのが、ものすごくうらやましいよ」

「それはそれは、ありがとさん」

 それからしばらく、二人の間に沈黙が流れる。

 やがて也梛が黒いケースに手をかけた時、諷杝がポツリとつぶやいた。

「そういえばさ、今日面白い子に会ったよ」

「へぇ」

 也梛は耳を傾けながら、ケースを開いて中から〝それ〟を取り出した。

 〝それ〟――お気に入りの、キーボードを。

「僕がまたあの鼻歌を歌ってたら、君と同じようなことを言ったんだ」

「同じようなこと?」

 也梛はキーボードを膝の上に乗せ、諷杝の方を見た。

「あの曲が好きだと思ったから、題名を教えて、って」

「……」

 そういえば、彼と初めて会った時、あの鼻歌を聞いて、也梛もそんなことを言ったような気がする。――もう半年も前の話になるが。

「まさか君が、本当にこの学校に入学してくるとは思わなかったよ、也梛」

 諷杝が苦笑混じりに言った。

 也梛はしばらく黙り、やがて静かに口を開く。

「俺はただ――俺の音楽を探しに来ただけだ」

 その返答に、諷杝が立ち上がって手を伸ばしてきた。也梛の黒髪をぐしゃぐしゃにする。

「何す……っ!」

「也梛らしい答えだけど、ちょっとカッコ付けすぎじゃない?」

「はあ?」

 乱暴な手が止まり、諷杝が也梛に背を向けて上を向く。也梛もつられて顔を上げると、白い鳩が目に入ってきた。

「そこまでして、ここに来る価値はあるのかな? ――なんてね、そんなこと思ってさ」

 目の前にある、少年の背中がどこか儚げになる。それを振り払うかのように、也梛はふんと鼻で笑った。

「もう来ちまったんだ。後は勝手にやるさ。価値あるものになるかなんて知らねぇ」

 諷杝が『イツキさん』と呼ぶ白い鳩は、諷杝の頭の上を越して也梛のキーボードの上に降り立った。

「お、お前! 俺のキーボードに乗んのはやめろ! フンなんかしたら許さねーぞ」

 也梛が抗議する一方で、鳩はどこか楽しげにピョンピョンとキーボードの上を跳ねる。

「ちょっ、壊れたらどうしてくれんだ! ――おい、諷杝! どうにかしろ」

「はいはい」

 ふり返った諷杝が呆れたように言って、イツキへと手を伸ばす。

 也梛は鳩がどいたキーボードの鍵に、手を滑らした。簡単なメロディーが紡ぎだされる。

「ま、よろしく頼みますよ、海中〝先輩〟?」

 也梛が冗談混じりに言うと、諷杝がふっと息を吐いた。

「何言ってんのさ。君の方が僕より二カ月は年上なのに」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る