第1章 鳩と音楽
第2話 クラスメイト
都心からは少し離れた所に、彼女の通う私立・彩楸学園高校はあった。
敷地も広く、自然や交通環境にも恵まれていて、おまけに寮設備も整っているので、地元からも遠くの地域からも、毎年様々な学生が入学する。ただしこの学園では、途中編入を一切取り入れておらず、一度入学すれば減ることこそあれ、増えることはない。逆に言うと、この学園に通うためには絶対試験に合格し、且つ一年生からという条件になる。――留年は別だが。
まだ入学して二週間の、ピカピカの一年生。
「笠木―、おはよー」
下駄箱の前で後ろから声がかかり、矢㮈は振り返った。
そこに立ってにっかり笑っているのは、入学して一番に仲良くなった
なぜか矢㮈のことを名字で呼んだり、変に男っぽい性格――単に雑なだけか? ――なところがある。しかし彼女自身は、顔も可愛い、ほっそりしていてスタイルも良い、スーパー美少女と言っても過言ではなかった。
「あぁ、おはよう。今日も元気だね」
矢㮈が返すと、千佳は小首を傾げた。
「そう? まぁ、元気だけが取柄でもあるから」
彼女はそう言って、また笑う。
こんな会話も、もう早くも二週間が過ぎる。千佳と何気ない雑談をしながら教室へと向かった。さすがに教室の中も緊張感は薄まり、女子は何となくグループの塊ができあがっている。
まだ名簿順の並びなので、千佳の後ろが矢㮈の席だった。
「今日の英語予習した?」
千佳が横向きに椅子に座り、矢㮈の方を振り向く。
「初めの方ちょこっとだけ。全部とかあたしには無理無理」
矢㮈がお手上げのポーズをとると、千佳もうなずいた。
「やっぱそうだよねー。あたしも少ししかできてない。まだ中学の復習のはずなのに、受験勉強の記憶がどっか行っちゃってる」
英語や数学はまだ中学の復習やら何やらで、どうにかついて行けてはいる。しかし授業が始まって、進むスピードが中学とは桁違いであることを目の当たりにした。
もともと頭の回転が良いとは言えない矢㮈は、ついていくのに必死で、先生の話などあまり耳に入ってこない。それで余計に分からなくなる。
しかしその点、千佳は結構いろんな意味で頭の回転が速い。というか要領が良いことを、矢㮈はこの数日で学んだ。その彼女ができていないと言うのだから、矢㮈にはもっと無理な話だ。
矢㮈が教科書を机の中に押し込んでいると、千佳が矢㮈の机の上に頬杖をついた。
「ところでさ、笠木って好きな人とかいないの?」
「へ? ……いないけど」
いきなりの質問に、その意味を理解するのに間が空いた。
「ふーん。じゃあ、好きなタイプとかは?」
「んー……ほんわかしてる人?」
「あぁ、何かそんな感じだよね、笠木は」
なぜか千佳がポンと手を打ってうなずく。
「そういう千佳ちゃんは?」
鞄を机の横に引っ掛けて、ふと尋ね返してみる。
「ん? あたし? そうだなー、中学の時さ、ものすごく好きだったヤツがいたんだけどね、幼馴染みには勝てなくて、あえなく失恋。今はそういう人、いないかな」
千佳は一人で勝手に自らの失恋話を語った。
「本当に傷ついたのよー」
とか付け加えるが、あまりそうは見えない。
まあ彼女なら、男子の方からどしどし来るだろう。性格もあっさりしているから、もし矢㮈が男子なら即惚れていたかもしれない。
「あ、でも」
千佳がもう一度手を打った。
「〝彼〟には興味あるかな」
その彼の方に視線を移す。
矢㮈の席は廊下側から三列目の前から二番目、千佳は一番前。その三列目の一番後ろの席に、彼は座っていた。
「えーっと……高瀬君?」
「そう、
千佳が腕を組んで楽しそうに言う。
(へぇ、学年トップかあ……)
「て、何でそんなこと知ってんの?」
「噂よ、噂」
矢㮈のふとした疑問はさらりと流された。しかし矢㮈はそれ以上突っ込もうとせず、高瀬をじっと見た。
真っ黒の髪に無表情。矢㮈が絶対手に取りもしないだろう結構な分厚さの本に集中していた。眼鏡がより秀才さを漂わせている。
その時、ふと一瞬、高瀬の目が本から上がって矢㮈の方を見た。眼鏡の奥の瞳が真っ直ぐに矢㮈の目を射て、それは鋭く痛いほどだった。まるで――
「鳥……」
ほぼ口の中でつぶやく。
そう、まるで猛禽類のような。でも、それから目が離せない。
気付いた時には、高瀬はまた本に集中していて、何事もなかったかのようだった。
(何だったんだろう、今の……)
「あっ、先生来た」
千佳がガタンと音を鳴らして、ちゃんと前を向く。束の間、教室の中に皆が席に着く慌しさが流れる。
一限目は現代国語。これはまだ、頑張ったら何とかついていけそうだ。
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