第参話



 死。

 僕にとってはなんてことのない他人事のイベントでしかないそれを、僕は久しぶりに強く実感した。

 積木莉子が死んだ、それも事故や病気じゃあなく事件で。

 泣いたり叫んだりはしなかったが、泣けたらどんなに良かっただろうか。

 彼女の名前を叫んで、悲しみに打ちひしがれて悲劇の主人公を気取れば、僕はまだ子供の頃夢に見ていた自分になる事が出来ただろうか。

 まだ赤いマントのヒーローに、バイクを飛ばして駆けつけるヒーローに、純真無垢に憧れていた僕に許しを請うチャンスがあっただろうか。


 だが僕は、残念ながらどこまでも僕だ。


 積木莉子という人間が、僕の人生において両親を抜いて一番僕を愛した少女が焼死したのにも関わらず、悲しんでいる反面で僕はどこか安心しているのだから。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉通り死んでみれば死に怯えることもなくなった以上、不安要素が消えた以上、僕の心は晴れやかだった。

 喪失感より先に安心感。だった。

 


「葬式には行かない。莉子の綺麗な姿だけを、僕は覚えておきたい」

 そう言えば最愛の恋人が『殺されて』塞ぎこんだ青年、と大人たちは僕を見るだろうか。

 実際に多少なりとも気が参っているが、それは別に莉子が死んだからではなく、死んだことによって起こった他人との関わりでだ。

 仕方なく行った葬式では、知らない莉子の親族を見て「莉子が死んでもこの人たちの生活は何も変わらないのに、なんで泣くんだよ」と思ったり、何故か意味もなく謝られたりして、もう本当に塞ぎこんでしまおうかと考えたぐらいだ。

 それに加えて警察からの事情聴取、警察側も僕を疑ってるわけでもないのだが、形式上莉子が死んだ日の別れ際を細部まで聞かなければならないらしく、何とも面倒で仕方が無かった。


 そんな事を考えつつ、莉子の死を理由に学校をサボり続けて二週間ほど経ったが、彼女の死はニュースで取り上げられるほど大きな『事件』に成り上がっているらしい。最も僕はテレビなんて見ない人間なので知らないが、警察に聞いた話によれば連続放火魔による殺人らしい。

 ここ最近、数十件規模で犯行をしている放火魔。


 ミステリー小説ならここで僕が「莉子を殺した放火魔は、僕がこの手で見つけて仇を討つ……!」と、孤軍奮闘している中で天才私立探偵と出会って犯人まで辿り着く――なんて流れになるのが王道だが、あいにく僕はそんな主人公ではない。

 僕は私怨に塗れた仇討ち何かに興味は無い。

 仇討ちをしたところで死んだものは仕方ないし、何よりも捕まるのはゴメンだった。他の囚人が次々と死んでいく様なんて見たくもない。

 第一そんなことが起きれば、後世まで語り継がれる怪事件になってしまう。そんな形で歴史に名を残したいとは思わない。


 それにむしろ僕は、もっと狂気に走った事を思っていた。

 彼女が死んだ事によって、僕の最後の安全装置がハズレてしまったらしい。どうやら莉子の危惧していた事は正しかったみたいだ。

 何も僕は悲しくて狂気に走るわけではないのだが、まぁ彼女の死がきっかけでヤケになっているとも言える。

 

 知り合いが死ぬ前に殺せば、不安はなくなると気づいた。

 どうせ皆死ぬんだ、それなら焼死や溺死のような苦しい死に方じゃなく、僕がこの手で楽な殺し方で殺して上げたほうがいいに決まっている。

 殺した後は、警察に捕まるまでは悠々自適に暮らそう。

 捕まる前に自殺すれば、皆幸せだ。


 と、僕は両親を殺した。


 事情を話せば、両親は何も言わずに殺されてくれた。

 きっと彼らも気づいていたのだろう、僕の特異性に。

 本当は内心近づく死に怯えていたのだろう。

 やっと解放される、とでも言いたげな安堵の死に顔を見て僕は自分がどこまで害悪な人間なのかを思い知った。

 素人が大して手入れもしていない包丁で、何度も刺して殺したのに苦痛の表情を浮かべないほど、両親は死を懇願していたのに、僕は自分が幸せであろうと今日まで普通に暮らしてきた。


「……こんなにおかしくなっても、まだ自分に生きる権利があると思ってる僕が、やっぱり一番死ぬべきなんだろうけど」

 口では色々言ってみても、今はただ返り血がベタついて不快だった。

 床に広がる血の掃除も面倒だし、もっとスマートな殺し方をすればよかったと思い包丁を机に置こうとした刹那、背後から声がした。

 彼女は、終始その殺人を見ていた彼女は初めて声を発した。


「母親の方にもう一刺し足りない」


 どこからともなく現れて、僕の手から包丁を奪い取って母さんの眼球に突き刺した。

 ズブリ、なんてゆっくりとした擬音じゃあなく、擬音がいらないほど手早く『殺し切った』。おそらくは脳まで刃が到達しているのだろう、その一撃は確かに母さんを殺した。

 僕が殺し損ねていた母さんを、きっちりと殺した。

 礼を言うべきなのだろうか? この侵入者、僕の通う高校と同じ制服を着た女子生徒に対して、僕はどんな反応をするべきだろうか。


 反応に困り、彼女に対し構えを取ったが相手は包丁を持っていて、僕は丸腰。それに相手は殺しに慣れている様子だ。

 年齢は同じくらい、それでいて相手は女子。

 未知数だ。

 殺されちゃっても構わないが、せめて抵抗くらいして、運良く生き延びられたら夕飯はパスタを作ることにしよう。面倒だしたらこスパゲティのソースで。


「前からおかしな人とは思ってたけど、ここまでとはね。まさか両親を躊躇いもなく殺せるサイコパスだとは思ってなかったよ、本当に君は死ぬべきだと私からも言わせてもらうね」

 どこからともなく現れた制服姿の女子生徒はサイドテールを揺らして僕に近寄った。


「終御くん、こんばんは」

 近寄って、ニコリと笑った。

「……何のつもり?」


 不法侵入した家の中だと言うのに、こんな散歩中偶然出くわした……と、そのレベルのテンションで交わされる挨拶に、僕は警戒心よりも先に彼女の方がサイコパスに相応しいのではないかと不快感すら覚えた。


「んー……警察を呼ばれたくなかったら金を払え? とか?」

「母さんを殺したのはあなたでしょ……」

「あっはは、確かにそうだ。うん、とりあえず終御くん、こんばんは」

「……?」

「挨拶には挨拶、こんばんはにはこんばんはだよ」

「こ、こんばんは……えっと……名前は?」


 親を殺した数分後にする会話にしては、日常系漫画の一齣のような会話だ。

 おかしいとは分かっていても、このタイミングで僕に出来るのは彼女のペースに合わせて言葉を選ぶくらいだ。

 理由もなく殺されたくもないし、警察でも呼ばれたら面倒くさい。


「私は佐多箱陽さたはこびだよ、クラスメイトの名前くらいちゃんと憶えたほうがいいぞ、終御くん」

「佐多、佐多さんか……」


 クラスメイト、という事実に僕は別に何とも思わなかった。

 自分のクラスの事なんてどうでも良かったし、彼女の名前も実は興味が無かった。ただ知っていた方が会話は円滑に進むというだけで。

 それに何も僕はクラスメイトの名前を憶える気がないわけではない。憶えないようにしてこの半年を暮らした結果、佐多さんの名前すら知らなかっただけだ。

 だが佐多箱陽を憶えてしまった。

 彼女は僕に関わった。


「ねぇ佐多さん」

「箱陽ちゃんでいいよ」

 彼女は言葉を遮ってにこやかに言う。

 当然、僕はその申し出を無視して話を続ける。

「……佐多さん、出来れば警察は呼ばないで欲しいんだけど、いいかな? どうせすぐ捕まるし、僕がシリアルキラーじゃない事は、目撃者佐多さんを殺してないから分かるだろ?」

「ん? 別に警察なんて呼んでも意味ないよ?」


 僕の申し出に彼女は言葉を用意していたかのように言う。包丁を置いて、決め台詞みたいな格好つけで。


「相生終御の両親は自殺した」


 と、サイドテールを揺らす。


「なっ……」

「私たちならそうやって罪をもみ消せる」


 僕は彼女の言葉に対して、何も反論はしなかった。

 それをどう受け取ったのかは分からないが、佐多箱陽は僕に手を差し出して嗤う。


「もしも君が人を思える優しい屑なら、その汚れた正義で戦ってよ……ただでとは言わない、今後の生活の永久的な援助と今回の罪を無かったことにする事が条件、悪くないでしょ?」


 一体何と戦えと言うのだろうか。

 僕なんてただの一般人……いや、ちょっと周りで人が死に過ぎるだけの一般人だと言うのに、彼女は何故僕に対して好条件でそんな取引をしようとするのだろうか。

 その答えを頭で考えても出ない事は分かっている、それでも彼女に渡す答えはとうに決まっていた。


「やるよ、何をするのか知らないけど、こんな僕が正義と呼ばれるのなら、何だってやる」

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