第28話
あんなにも楽しみにしていた今日が、この瞬間が、胸が爆発しそうなほど緊張する。この扉の向こうには千鶴がいるのに、ドアノブにかけた手はなかなか開けようとしない。
「…………ふぅ……」
一旦、手を放す。
深呼吸を一つして、普段はあまりしない髪型や服を整えたりする。
そして鼓動が収まってきてから、もう一度ドアノブに手をかけた。
何もしないままではダメだ。早く千鶴に会って、聞きたいこととか文化祭のこととか、たくさん話をするんだ!
「ち、千鶴!来た……よ……?」
勢いよく扉を開けたものの、病室の中にいつもはベッドの上にいるはずの千鶴がいなかった。布団にくるまって隠れているでもなく、むしろ掛布団がめくれて、まるでそこから出たような感じだ。
目を凝らして、部屋の人が隠れられそうなところを念入りに探す。……いない。
「……あれ、ひーくん」
しばらく入り口の前で戸惑っていると、どこか聞き覚えのある優しい声が背後で聞こえた。俺は反射的に振り返る。
「千鶴!」
目に映る車いすに乗る少女の名前を、周りを気にしない大声で呼んでしまった。
「腕の筋肉を衰えさせないように、それで病院内を移動していたんだな」
現在俺は、千鶴になぜ車いすに乗っているかの説明をしてもらっている。
「うん」
千鶴は首を縦に振ると、額の汗を拭った。
「結構疲れるけど。でも、初めて見る景色ばかりだから、楽しいよ!」
にぱっと、屈託のない笑顔を浮かべる千鶴。彼女の事情を知らない人は、ほほえましい光景として共に笑顔になるのだろうか。
そう思いながら、俺は視線を千鶴から外して下に移した。
千鶴は記憶を失ってしまった不幸な少女だ。そして俺は、記憶喪失の彼女に好きになってもらおうと意気込んだ。
しかし、心のどこかで記憶を失ってはいないんじゃないかと思う俺がいる。
彼女が無邪気に放つ幸せそうな発言は、そういう俺に現実をわからせるのだ。
「どうしたの、ひーくん?」
突然、千鶴が訊いてきた。
「えっ?な、なんでもないよ!」
俺は苦笑いをする。心を締め付けられる思いを我慢して。
どうやら千鶴は、先日こちらに来ていたいとこのあか姉からスマホをプレゼントしてもらったと言う。そして俺の携帯の番号も、あか姉に教えてもらっていた。
「昨日は突然電話かけてごめんね」
「ううん。驚きはしたけれど嫌な気分にはならなかったよ」
「そ、それなら…………いい?」
しりすぼみになって最後の言葉が聞き取れなかったけど、
「うん」
俺は笑顔で頷いたのだった。
その日から、毎日のように千鶴から電話が掛かってくるようになった。
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