第13話

 世の中には、完璧という人間はいない。誰にでも、欠点のひとつやふたつはあるのだ。

 私は、宮下みやした花織かおり。スポーツ万能、成績優秀、おまけに顔もいいと、周囲からは完璧美少女と呼ばれている。

 ただ、そんな私にも欠点はある。それも、とても致命的な欠点が。


 それは、恋愛対象が女であるということ。

 

 六月だ ああ六月だ 六月だ。

 ついにこの月がやって来た。俺は雨の降るグラウンドを、頬杖をつきながら、教室のなかで眺めていた。

 俺は六月が嫌いだ。いや、正確に言うと、カエルが出てくる六月が嫌いなのだ。

 ことの発端は、十三年前。あの日も同じ六月だった。

 その日、俺は千鶴ちずると遊んでいた。もちろん、外で、だ。鬼ごっこや缶けりなど、様々な体を動かす遊びをしていた。

 そして、事件は起こった。かくれんぼをしているとき、隠れている千鶴が、急に木の陰から出てきた。しかも、手を後ろにして何かを持っているかのように。

 俺もそれに興味を移し、かくれんぼのことなどすっかり忘れ、千鶴のほうへ駆け寄った。

「ちーちゃん、なに持ってるの?」

 訊ねると千鶴は、手の中にあるものを俺のほうへ向けて見せた。手のなかには、今の俺の拳くらいあるひきがえるがいた。

「みてみて!カエル!」

 千鶴は更に、そのひきがえるを俺のほうへ向けて来た。と、その刹那、その瞬間だった。

 ひきがえるは、千鶴の手のひらを蹴り、俺の顔面めがけて、飛んできたのだ。

 俺の瞑ろうとする瞳が最後に捉えた映像は、カエルの真っ白な腹であった。

 ひきがえるは、俺の顔面に飛びかかって、その衝撃で俺は倒れた。しかも、そのカエルが当時の俺の顔と同じような大きさだったから、すっかりトラウマになり。

 今では、カエルを思い出すだけで背筋が凍る思いをするのだった。

 そんなことを思っている俺の目の前のガラスに、突如カエルが現れた!

 無理!見るだけで無理!しかも、ガラスに引っ付いているから、必然的にやつの腹が見える状態になってやがる!

 俺はカエルが見えないように視線を反対側に反らすと、頬杖をついて深くため息を吐いた。

 …………と。

「?あれ、みんなは?」 

 教室のなかには誰もおらず、ただ俺一人がポツンと席についていた。

 あれ?と周りを見回して、後ろの授業の時間割りが載っている黒板を見て、やっとみんながいなくなった謎が解せた。

「そうか……次は移動教室か……」

 なるほど。だから、みんなは先に移動して、僕だけが取り残されたわけね……。独自の解釈でうんうんと納得するも、それなら一言声を掛けてくれたらいいのに。例えば智とか。……あっ。今日は智は休みだったんだな。

 それを思い出して、俺は頬杖をやめて背もたれに体重を深く預けた。

 ……………………。…………………って、

「そんなことをしている場合じゃ、ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 そんな発狂とともに、俺は次の授業の準備物を抱えたまま教室を飛び出した。

 

 授業の開始時間まで、残り五分。しかし、場所がこの校舎最上階、廊下の奥の奥に位置する、音楽室!走らなければ間に合わない!

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 俺は、バトル漫画の最終回のボスを倒すときくらいに雄叫びをあげながら、階段を上りきったあとの最後のコーナーに差し掛かっていた。

 と、次の瞬間。

 なにかとぶつかってしまい、俺は思わずよろけてしまった。なんとか尻餅をつかなかった俺は、当たった正体を確認すべく、顔をあげた。

 しかし、そこには誰もいなかった。

 おかしいなと思い、後頭部を掻きながら視線をしたに向ける……え?

 なんと俺の視線の先には、尻餅をついた、なぜか目を輝かしている少女がいた。その人は、同学年にしてこの学校のアイドル、完璧美少女と名高い、宮下みやした花織かおりさんだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 つい出てしまった敬語で、そこに尻餅をついている少女に手を差しのべる。が、それを宮下さんは無視すると、すっと立ち上がってお尻についたほこりを払うと。

 今だ無視されたことに唖然としている俺に、さっきの目の輝きをなくして、チッと露骨に舌打ちをして来た。

 えぇー……。

 俺が心のなかで困惑してしまった。あの学園アイドルと周りから言われているあの宮下花織が、なんと目を輝かしたと思うと、今度は俺に対して露骨な舌打ち。俺、ただぶつかっただけだよな。そんな恨みを買うような行為をした覚えはないんだが。

「………………………」

 言葉を失う俺をよそに、宮下さんはひとり静かにその場を去っていった。

 一体、なんだったんだ、今の。胸にモヤモヤしたものを残し、俺は移動教室に向かった。

 

 つい、舌打ちをしてしまった。

 私は、さっきぶつかったあの人にしたことを深く反省しながら、自分の学年の教室へと向かっていた。

 私があの人とぶつかったあの廊下は、通称『運命の廊下』。あの廊下でぶつかった男女は、ラブラブのカップルになれるという、噂の廊下。

 普段は、そういうものは鵜呑みにしない私だけど、トイレが混んでいて仕方なくあそこのやつを使って、それから運命の廊下でぶつかったとなると、それはまさに運命的に導かれたシチュエーションだと思ったのに。

 まさか、相手がだなんて、思いもしないじゃない!

 思わず舌打ちをしてしまったけど、私があの人を不快にさせる行動をとったのは事実なのだから、放課後、謝りにいきましょうか。

 そう決めて、授業に遅れないように、しかし走らず素早く、歩いて目的地へと向かった。


 放課後、雨が止んだタイミングを見計らって、校舎の玄関を抜けて今日は千鶴ちずるのところへといこうと思っていたとき。どういうわけか、満面ない笑顔を張り付かせた、完璧美少女と謳われる宮下花織さんが俺の机の前に立っていた。

「な、なにか俺に用でもありますか?」

 舌打ちのこともあってか、たじろぎを隠せない声色になったが、頑張って平然を装って来た理由を訊ねた。

 宮下さんは、俺の顔をしっかりと見て、理由を答える。

「あのときの……廊下で貴方とぶつかったときの私の対応の件で、舌打ちをしてしまったこと、ごめんなさい」 

『廊下で貴方とぶつかった』という言葉が出てきて、一瞬ドキッとしたけど、そのあとに続く言葉が予想外だったので、俺は、

「…………はぁ」

 と返すことが精一杯だった。

 そのあとも宮下さんは話を進める。

「そのお礼に、どこかカフェへいきましょう。勿論、私の奢りです」

 どうやら彼女は、廊下での俺に対する無礼をなにかを奢ることで落とし前をつけるようだ。しかし、そんなことはあんまり気にしていない俺は、それを丁寧に断った。

「で、でも!」

 なかなか食い下がらない宮下さんに、俺はそのわけを説明する。

「今日は、お見舞いにいこうと決めていたんだ。だから、今どこかへ行くと言われても、それは無理なんだ。ごめんな」

 それを聞いた宮下さんは、目を伏せて、そして「わかりました」と納得してくれた。

 話も終わったし、そろそろ千鶴の所へいこうかな。そう思って、俺が一歩踏み出そうとした時だった。

「ところで、それは誰のお見舞いですか?」

 突然、宮下さんが首を傾げて問うてきた。俺は返事に迷ったけど、すぐに答えを返した。

「幼馴染み……ですけど。それが、どうしたんで――――」

「それは男ですか!?それとも女ですか!?」

 俺の台詞を遮って、少々興奮気味に問いをしてくる宮下さん。俺は「お、女ですけど」と若干それに引きながらも答えると、最後にとんでもない質問をしてきやがった。

「その人って、かわいいですか!?」

「はぁ!?」

 ついに俺は、この人が何をいっているのかがわからなくなってしまった。

「まぁ、かわいいっちゃかわいいけど……」

 とりあえず、混乱する頭でさっきの質問の答えを返しておく。すると彼女は、めっちゃ詰め寄ってきて、俺にこんな頼み事をした。

「私も、そのお見舞いに連れていってよ!」

 

 俺は今、病院へと向かうバスの中で、宮下の隣に座っていた。結局、俺は宮下と一緒に千鶴のお見舞いに行くことになった。

 俺たちはバスの中で、軽い自己紹介をして、知人と言えるくらいには、仲良くなった。

「それでそれで、千鶴さんとはどのような方なのでしょうか?」  

「どのような方って言われても……」

 俺は思わず俯いてしまう。千鶴は、とある事故で記憶を失ってしまっているのだ。どのような方って言われても、俺もよくは知らないからどう言えばいいのかわからなかった。

 俺が言葉に困っていると、

「まぁ、いいです。実際に会えばわかりますので」

 と、宮下はこの話を閉じた。

 そのあと俺たちは、互いに話をしたりして、目的地に着くまでの時間を潰した。

 

 病院に着くと、俺はカウンターで手続きをして、千鶴のいる病室へと向かった。

 もうすぐでその病室が見えるといったところで、突然宮下が走り出した。一応部屋の位置は教えているので迷うことはないだろうが。

 これって、智のときにもあったような。そんなことを思い出しながら、俺も歩調をあげて宮下のあとを追いかけた。

 宮下が完全に部屋に入ったあと少しして、俺もようやく部屋にたどり着いた。

 と、病室の方から声が聞こえた。これは、宮下の声だ。

 俺は嫌な予感がして、急いで病室に駆け込んだ。部屋ではベッドで横になっている千鶴の横で、宮下が目を輝かしていた。

 なんだ、てっきり宮下が怪しいことをして千鶴に不審がられていたと思った。

 俺がホッとして呼気を整えていると。

 やはり俺の予感は的中したらしい。宮下がとんでもないことを言い出した。

「突然だけど千鶴さん、私と……おちゅ、お付き合いしてくれませんか!?」

「えぇぇぇぇえぇぇぇぇええぇぇ!?」

 リアクションをとったのは俺だったが、千鶴も目を丸くして、あたふたしていた。

「駄目……ですか?」

 恐る恐る、顔をあげる宮下。

 そこで千鶴は、ちらりと俺の方を見て。

 それから、宮下の目をまっすぐ見つめて、微笑みながらこう答えた。

 

 「いいえ!いいですよっ!」

 

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