第10話

「久しぶり!」

「ひ、久しぶりです」

 診察室に入って、目の前で椅子に腰掛けていた先生に小さく会釈する。

 この声を聞くのは二週間ぶりだな。しみじみと思いだし、そして同時にげんなりする。正直、この人にはいいイメージがない。というのも――――

「いやー、君の傷は、本当に奇跡みたいなもんだよ!あの爆破事件に巻き込まれてこの程度で済むなんて、奇跡としか言いようがないよ!」

 一度熱が入ると、その話を延々と聞かされる羽目になるのだから。

「まあ、とりあえずそこに座って」

 先生は、自分の前にある椅子を指して、俺は心の準備をしたうえで、言われた通りに腰掛けた。

「この二週間、足の方はどうもなかった?」

「は、はい……」

 目の前に座った俺に、真剣な目をした先生が、様態を聞いてくる。この様子を見れば、多分普通の医者だと思うだろう。実際俺もそう思っていた。しかし、世の中そう甘くなく。

「にしても、あのときは大変だったね!どうだった、入院している気持ちは?」

 来た。あの例の長話。  

「そ、そうですね……、こんなことはあるのかって思いましたね……」

 そう答えながら、奥で見守る看護師を見る。と、その視線に気づいた彼女は、微笑ましいといった様子で、にこっと笑顔で返してきやがった。

 こっちの苦労も知らないで、と睨み返していると、

「そうだよね!まさか自分がなんて思うよね!」

 先生の大声によって遮られた。

 ああ、始まるんだな。そう、覚悟した。

「特に悪化した様子もないし、治ったようだね。おめでとう」  

 そういう言葉を聞いた頃には、俺の感情は、嬉しいを通り越して放心していた。

 この医者、検査の間の時間もずっとしゃべりっぱなしで、途中、よく会話のネタがなくならないなと、感心したものだ。

 何はともあれ話が終わったらしいので、俺はこの部屋を出た。そして、この病院には通わないよう健康に気を付けると、密かに誓った。

 

 そういえば、千鶴はどうしているかな?

 休憩所で一服しているとき、ふと、考えた。俺が智と付き合うことになった日から、あまりここを訪れていない。千鶴との恋心にけじめをつけるために。

 そんなわけで、この二週間、まともに千鶴と会っていないのだ。だから、久しぶりに千鶴のいる病室に行こうかな、と思ったのだ。

 俺は手に持ったコーヒーを一気に飲み干すと、椅子から立ち上がり、きっちり自販機横のゴミ箱に缶を捨てて、病室へと向かった。

「久しぶり~」

 病室には入るや、千鶴はベッドの上でいつもの屈託のない笑顔で、俺に挨拶をしてくれた。

「うん、久しぶり」

 俺も、千鶴に向かって笑って挨拶を返した。

 見た感じ、どうやら千鶴は元気そうで、正直ホッとした。と、俺は千鶴がテレビを見ていることに気がついた。

「なに見ているの?」

 俺は、千鶴が横たわるベッドのそばにある椅子に腰掛けながら、聞いた。

 千鶴は、テレビから目を話さずに、ニュース、とだけ答えた。

「そか……」

 千鶴が真剣にテレビを見ているものだから、俺もそれ以上追求せず、簡素に答えた。

 土曜の朝のニュースには、普段はあまり見ないような面子の方が司会をしていた。

 最近はあまり見てないなと思いながら、ぼんやりとその番組を見ていた。

『では、次のニュースです』

 話題が順調に進み、司会者は次を切り出す。これまでの話題はなんとなく聞いていたが、今回のやつはつい耳を傾けてしまう。

 その内容は、あの遊園地での事件だった。このニュースを見ると、いつもあの日のことを思い出す。それは、爆発事件の日のことではなく、千鶴が記憶喪失だと知った日のことだ。

 俺は、あの日のことを思い出したくないので、あまりニュース番組を見るのを控えていたのだが……。あまりいい気分ではない。

「さ、最近はこのニュースあまり流れてなかったんだけどね」

 俺の感情を察してか、千鶴は慌てて言ってくれた。なんとなくだが、あまり人の感情を読み取るのが得意ではなかったので、やはり記憶喪失で変わってしまったんだなと改めて思った。

 その後、何気なくテレビを見ていたが、親に帰ると言った時間だったので、そろそろ帰る、と言って、椅子から立ち上―――

「ま、待って」

ろうとしたところを千鶴によって引き留めた。

「?どうかしたの?」

 俺は、留められる心当たりがないので、不思議に思い、立ち止まった。

「あの……ちょっと見てほしいんだけど……」

 そういうと千鶴は、掛かっていた布団から、足を出して見せた。千鶴の下半身は、爆発事件で頭を強く打ったせいで動かない――はずなのだが。

 その足に、千鶴はなにかの呪文を唱えるように見ている。そして、千鶴の表情がだんだんと力んだようになって行く。

「ど、どうしたの?」

 その行動に全く意図がつかめず、動揺しながら、千鶴に訊ねる。しかし、返事はない。

 それから、数十秒くらい経つ。俺は、緊張した面持ちで、千鶴の動きに注目する。それは彼女も同じようで、さっきよりも一段と集中している。と、次の瞬間。

「う、動いた!」

 千鶴が、自分の指が微かに動いたのを感じて、興奮ぎみに言った。

「見てた!?動いたよ!」

 そして、興奮状態が覚めぬまま笑顔で俺に問うてくる。俺も、なんだか自分のことのように嬉しくなり、同じような調子で答える。

「うん!見てた!動いたね、指!」

「先生に指動かせないかもって言われてから、ずっと練習してたんだよ!」

「頑張ったんだね……!」

 俺は千鶴を、まるでいいことをした教え子か子供みたいに、褒めた。

「うんっ!この調子で、もっと足が動かせるように、頑張るっ!だから、もし私が歩けるようになったら、一緒に散歩とかしてくれる?」

 俺は千鶴に、子供みたいな無邪気さを感じた。

「わかった、約束だ!」

「うん、約束!」

 俺たちは、指切りをした。指切りをしたあとは、千鶴は嬉しそうにして、足を動かす練習をしていた。

 千鶴と別れて、病院を出ても、俺はまだ胸の高まりが収まってなかった。千鶴との散歩を思い浮かべると、ワクワクしてしまう。

 俺は、この高揚を誰かに伝えたくて、智に電話をした。智は、掛けてすぐに出てくれた。 

「おはよう!」

『お、おはようだぜ。なんでこんな朝から、テンションが高いんだぜ?』 

 智は寝ぼけたような声色で、質問した。

「よくぞ聞いてくれた!実はな――――」

 千鶴の指が動いてな、足が動くようになったら、千鶴も散歩をするんだ!

 そう言い掛けて、止めた。俺は、智と付き合っているのに、他の女の話をすれば、どう思うだろうか。そのくらいは俺でもわかる。きっといい気分にはなれないだろう。

 だけど、ここまでいってたぶらかすのもよくないだろう。俺は少し悩んで、そして思い付いた。 

「智とデートをしようと思うんだ!」

 そろそろ、デートをしたいなとは思っていたし、俺は智と付き合っているんだ。別にデートをしても、おかしくはないだろう。

 果たして、智の反応は――

『ふぇっ!?』

 電話越しでもわかるような、動揺したリアクションだった。

『そそそそ、それは本当なのぜ!?』

「う、うん」

『やったー!』

 めちゃくちゃ喜んでくれた。こうも喜んでくれるとは、こっちはなんだか照れるな……。

「く、詳しいことは、あとで話すから!」

『わかったぜ!』

 そう言って、俺は電話を切った。

 さて、急な思い付きで提案したデートだが。とりあえず日時は、明日が日曜日なので、それでいいかな。あとはどこへいくかだが、それはカノジョである智に聞いてみるとするか。

 智は、どんな格好をしてくるのかな。

 そんな妄想にふけりながら、俺はタイミングよく来たバスに乗ったのだった。

 

 


 

 

 

 

 

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