第8話


 「俺と、付き合って欲しいんだぜ」

 次第に影が短くなる、三校時のグラウンド。俺は、見学中に木の下で、今日知り合った女子、旭ヶ丘あさひがおかともに告白された。

「すみません、無理です」

 俺は、そうキッパリと断るべきだった。だったのだ……。

 俺は、幼馴染みの千鶴ちずるが好きだ。ずっと前から好きなんだ。だけど、記憶喪失になった彼女に告白して、フラれてしまった。だから、好きな人にフラれる気持ちが、よくわかる。痛いほどわかる。だから……。

「……………ちょっと……今はその返事はできないかな……。まだ君とあまり時間を過ごしてないから……」

 そうほのめかしてして答えてしまった。

「…………そか。そうだよな……。ごめんだぜ、変なこと聞いて」

 旭ヶ丘は、隣にいる俺がギリギリ聞こえるくらいの、か細い声で呟いた。そして、頬をしたたる大粒の涙を、ぐしぐしと拭い、うつむいた。

 

 それから、長い間沈黙があった。場は、すごく気まずい空気となって、俺達は一切喋ったりなどができなかった。

 だけど、そろそろ耐えられない。苦しすぎる、この空気!

 この沈黙に耐えかねた俺は、重々しい口を、やっと開いた。

「旭ヶ丘は、なんで休んでいるんだ?」

「あの……ちょっと男子更衣室は……その……」

 頬を赤く染めて、もじもじと説明し始める旭ヶ丘。

 俺は、彼女が答えを出すのを、黙って見守る。それに気づいた旭ヶ丘は更に顔を赤くする。それを見ている俺も、なんだか恥ずかしくなって、また、沈黙が訪れる。

 なんか、告白されたあとは、妙に意識してしまうな……。

 再びの沈黙を破ったのは、少し紅潮が引いた、旭ヶ丘だった。

「て、抵抗があるから……なんだぜ」

 言われて、俺は納得する。旭ヶ丘は、父親に喜んで貰うべく、男装をしているんだ。中身は普通の女子とそう代わりはないのか。

「そうか……。そうだよな……旭ヶ丘だって普通の女の子だもんな……」

 そう言うと、ますます旭ヶ丘が赤くなる。

「うん……。あと、智でいいのぜ」

「うん……。わかった」

「…………………………………………」

「…………………………………………」

 会話が終わってしまったぁぁぁぁぁぁあ!!

 告白される前は、あんなに喋っていたのに!?なんで続かないんだよ!?

 頭を抱え込む俺。ついには、今では考えられないほど、おかしな質問をしてしまう。

「智ってさ。胸、どうしてるの?普通に女子だから、胸もそれなりに―――」

「ない」

「………………え?」

 なにこれ?汗がだくだく滴ってる。さっきの答えが自分の聞き間違えだと信じて、もう一回聞く。

「インナーとかで押さえてたりとか……」

「ない」

 聞き間違え――ではなかった。

 俺が何も言えずにいると、智が、

「巨乳じゃないと、ダメなのぜ……?」

 と、涙ぐんで聞いてきた。

「え、いや、そんなんじゃないけど……」

 あたふたして、上手く言えないでいると、

「やっぱり、巨乳じゃないと、ダメなのぜ―!?」

 と、叫びながら、走り去っていった。

「……そんなんじゃ、ないけど……」

 一人、その場に取り残された俺は、そう呟くことしか、できなかった。

 それからというと、俺は、頬杖をつきながら、ずーっと窓の外を眺めながら、ボーッとしていた。

 授業はろくに聞いておらず、ただ、黒板の文字を、ノートに書く手だけが、すらすらと動いていたと、クラクラこと鞍本くらもと倉吉くらよしが言っていた。

 自分でも信じられないが、ノートには、授業の内容が、きっちりと書き込まれていた。


 放課後、バスの時間に会わせて、俺は学校を出た。隣には、今日コクられた、旭ヶ丘智がいる。

 が、お互いに、いまだ一言も会話を交えてない。でも、なぜだか俺は、別に気にしてはいなかった。

 そのまま、なんの展開もなくバスに乗る。帰りのバスはガラッガラで席がちっとも埋まっていなかった。

 俺は、出口に近い席に座り、智は、俺の左隣に座った。しかし、隣に座ったからといって、特に会話もない。智は本を読み、俺は窓から見える景色を、ただ眺めているだけであった。

 子連れの母親。歩道を歩く生徒。杖をつく老人。その風景すべてが、上から夕焼け色に塗りつぶされている。

 この風景、あのときの病室と重ねてしまう。とても悲しかった瞬間、とても嬉しかった瞬間、その二つを味わったのは、あのときの病室だ。千鶴、元気にしてるかな?

 そんなことを考えながら、数分と窓の外を眺めていると、ふと、思い出した。

「智。お前のバス停って……」

「うん。通りすぎたんだぜ」

 少し微笑んで答える智。

「こっちに用があるのか?」

 不思議に思い、たずねてみる。智は、

「こっちは実家なんだぜ。ちょっとご飯炊き忘れちゃって……」

 と、恥ずかしそうに、理由まで付け足して答えてくれた。

「そか」

「あそこの家は、賃貸なんだぜ。あまり家具とかもなく、殺風景な部屋なのぜ」

 そして、自分の家のことや家族のことなど、いろいろ話してくれた。また俺も、同じようなことを、智に話した。

 彼女と会話をしているうちに、今度は俺んちの近くのバス停が通りすぎた。

「あれ?弘人ひろとも通りすぎたのぜ。なんかあるのぜ?」

「ちょっと、病院に用があって……」

 そう言いながら、千鶴を思い浮かべる。あの病室にひとりぼっちで、寂しくないかな。つい、そんな心配をしてしまう。

「ひょっとして、足のことだぜ?」

 顎を手でさすり、まじまじと俺の足を見て質問する。しかし、その推測はハズレで、俺は首を横に振る。

「いや、それとは違う、別の用事があるんだ」

「そうかだぜ……」

 智は、それ以上追求することはなかった。

 やがて、彼女はあるバス停で降りて、車内は俺一人になった。


 安嶋あじま千鶴

 彼女の病室を見つけると、俺はすぐさまノックをした。

「いいですよー」

 彼女からの返事を聞くや、すぐさま病室に飛び込んだ。

「千鶴、久しぶり―!」

「そこまで時間、経ってないよ」

 俺の冗談を笑顔で受け止めてくれる千鶴。

 俺は、鞄の中から教科書やノートを取り出し、今日習ったところを千鶴に教える。彼女が学校に来れたときに、授業についていけるように。

 これを日課にしていこう。俺は密かに、そう決意を固めた。

 


 翌日

 学校に続く坂を上るのがキツイという理由で、特別に親に送ってもらえた。

 バスより、早く着いた俺は、いつものようにクラクラと駄弁っていた。

 昨日のテレビの話や身近に起こった笑い話など。クラクラは気軽に話せるし、気も合うからとてもいい友人だ。

 俺は、持つべきものは友人だなと、笑みを浮かべていると、突然、教室がどっと沸いた。

 何事だろうか。そう思って、みんなの注目の的を見る。そこには、昨日までは男子だった、女子用の制服を身に付けた、旭ヶ丘智がいた。

 みんながざわめき出すなか、智は、スカートをフリフリさせながら俺のところへ近寄ってきて。 

 そして、自分の顔を赤く染めながら、

「ど、どうなのだ――どうかな?」

 と、自分の癖のある台詞せりふを言い直しながら、俺に問うてきた。

「に、似合うんじゃ……ないか……?」

 みんなの注目の矛先が俺に向けられるなか、少々言葉を詰まらせながらも、そう評価した。

「ほんと!?やったー!」

 それを聞いた智は、まるで子供のように喜び、上機嫌のまま席に着いた。

 それからというもの、クラスは智のことで一杯。そのなかには、俺の名前まで聞こえる。

 そんな感じで、なんとか今日も学校が終わった。

 なんだか、とてつもなく生気を吸われたような感じで、どっと疲れた俺は、また、智とバスに乗るのだった。

 

「今日、弘人についていっても……いいのぜ?あっ、いいかな?」

 相変わらず、癖を直そうと言い直す、現在隣に座る智。

「着いていくって、どこに?」

 俺は全く理解できず、彼女に聞く。

「どこにって、病院。私も、入院されているかたを拝見したいな、と」

 彼女の口からは、予想外な言葉が出た。

「え?俺、入院している人の看病をしに行くって、言ったっけ?」

 訳がわからず、チンプンカンプンしていると、智は昨日の言葉を振り返り、丁寧に説明してくれた。

「そうか……。まぁ、人数は多い方が、千鶴も喜ぶから」

 俺は、いいよ、と答えた。

「ありがとだぜ!千鶴さんって言うのかぜ!俺も友達になれるといいのぜ!」

 智は、すっかりいつもの口調にもどって、興奮気味に喜んだ。


「うわー!すごいのだぜー!」  

 病院を見上げて、感嘆の声を挙げる智。

「そうだね……」

 なぜか自分が誉められているようで、照れ臭くて頬をポリポリと掻く。

「病院ないでは、くれぐれも他の患者に迷惑かけるなよ」

 そう注意して、早速病院へと入っていった。

 手続きを済ませ、千鶴の病室へ向かう。途中、智が質問してきた。

「千鶴さんってどんな人なんですか?」

「ん?あぁ、とってもかわいくて、とっても優しくて、とっても気が合う、素敵な女の子だぞ!」

「…………そうですか」

 元気が無さそうに、か弱く反応する智。

「どうした?もしかして、病院にトラウマとか、ある?」 

 心配して、訊ねる。智は、首を振って、

「なんでもないぜ――ないよ!早く行きましょう!どんどん会いたくなってきました!」

 と、うながす。

「そうだな。急ごうか!」

 そう言って俺達は、速歩きで病室へと向かった。

 ノックをして、返事をもらってから入る。これが、基本的なマナーだ。

 しかし、智ときたら……。そこが千鶴の部屋だと確認すると、ノックもせずにいきなり部屋に入ったのだった。 

「ふぇっ!?」

 病室から、千鶴の奇声が発せられた。

 まさか、智がなにか変化ことをしているのか!?そう思い、俺は急いで病室へと乗り込んだ。

 果たして、智は千鶴と一緒のベッドに潜っていた。

「なにしてんだ、コラ」

 布団から、顔だけだした智の頭にげんこつを喰らわす。

「あいたー!?」

 そう言って、頭を押さえる智。千鶴が、

「いいのよ、私、困ってないから……」

 と、鎮める。

 まぁ、困ってないならいいけど……。


 一段落したところで、俺は、今日もまた、千鶴に勉強を教え始める。今日は、智付きで。

 今日の五校時にやった数学を教え終えた頃、急に智がムスッと顔をしかめた。

「どうしたんだ、智。わからないところとかあるのか?」

 俺には何もわからず、彼女に聞いてみた。

 すると智は、千鶴を見て、自分を見て、を数回ほど繰り返した。その行動に、俺も千鶴もますますわからなくなっていると、突然、千鶴の胸を真顔で揉み出した。

「あ、え?な、なにするの、智ちゃん!?」

 千鶴が、戸惑っている。俺は、千鶴と智を引き剥がそうと、

「なにしてんだよ!」

 と、割り込む。

「この、巨乳好き―!!!」

 俺に引き剥がされると、智は、叫びながら病室を出た。

「ちがーう!!!」

 それに対して、俺は大声で否定した。

「大丈夫か、千鶴?」  

 俺は、揉まれ倒された千鶴を見やる。ベッドでただ天井を見上げながら、

「私って巨乳かな?」

 と、自分の胸を揉みながら、俺に問いかけてきた。


***

 なんだ……。好きな人いんじゃん!

 私は、まるでフラれたような感情で、病院を出ていき、自分の実家の通り道の商店街を駆け抜けていた。

 自分の涙を誰にも見られないように、全速力で、駆けていった。

 商店街を抜けて、複雑に絡み合う住宅街の裏道を走っていたら、『旭ヶ丘』の表札が掛かる家に着いた。

 家に着いたら、とても胸が痛かった。これは、急に走ったからだろうか。それとも――

 考えるのはやめだぜ。

 頭をブンブン振って、妄想を掻き消す。

 そして、いつもの調子で家に入る。

「ただいまだぜー!」


***

 千鶴と智が接触してから、丸二日経った。しかし、それから智は、全く病室を訪れていない。また、俺ともほとんどど会話をしてない。

「やっぱり……私のせいなのかな……?」

 千鶴も、自分の胸を揉みながら、呟く。

 以前、智が俺と一緒にここを訪ねたとき、彼女は千鶴と自分の胸を見比べ、俺に、この巨乳好き―!と吐き捨てて、この病室を出ていった。

 それが千鶴には、責任を感じさせるような感じになったのだと思う。

 俺は千鶴に、

「そんなことない、千鶴はなんにも悪くないよ。多分、なにかの勘違いをしているんだと思うよ」

 俺が落ち込んでいる千鶴を、優しく励ますと、千鶴は、にこっと笑って顔を上げた。

「そうだよね……。早く解けるといいね、そのかんちが―――」

 刹那、その言葉は、ドアの開けられる音によって、遮られてしまった。

「いやー、なかなか顔を出せずに、すまなかったぜ―」

 ドアを勢いよく開けたのは、なんと二日ぶりの旭ヶ丘智だった。  

「久しぶり~、千鶴ちゃん!」

 部屋にはいるや、すぐさま千鶴のベッドに飛び込む智。

「智ちゃん!どこ行ってたの?」

 心配の声を挙げる千鶴。智は、にへらっと笑って、言う。

「いやー、いろいろあったんだぜ……」

「いろいろって言われても、わからないよ!」

 焦らされて、頬を膨らませながら智に近づく千鶴。智は、近づかれて、あせあせと挙動不審になっている。

 そんな光景を、俺は微笑ましく思った。

「…………………?」

 いや、待てよ……。俺は、ふと、思った。

 俺は、の千鶴が本当に好きなのか?俺は、記憶を失う前の、あの頃の千鶴が好きだったんだよな……。

「あれ?ひーくん?」

「おーい、弘人?」

 今の俺は、そんな二人の呼び掛けなんて、聞こえないくらいに、考えにふけっていた。

 

 俺は、今の千鶴に記憶を失う前の千鶴を照らし合わせて、妥協している……。俺は、自分の都合を押し付けて、無理矢理、前の千鶴にしようとしているだけなんだ。なんて傲慢なんだ、俺は!

 そこまで考えて、俺は千鶴や智に呼ばれていることに気づいた。

「どうしたのぜ、弘人?そんな怖い顔して」

「ひ、ひーくん?どこか痛むところでもあるの?」

 不思議そうに、俺のことを気遣ってくれる千鶴と智。俺は、こんな大切な人達を、自分の勝手で傷つけようとしていたのか……。ズキッと心が痛む。

 パンっ!

 かすれた肌を叩く音が、病室に響く。両手で、自分の頬を思いっきり叩いた。

「だ、大丈夫!?」

「今日はなにか、おかしいものを食べたのぜ?」

 二人とも、おどおどしながらこちらを見る。本当に、取り返しのつかない過ちを繰り返すところだった。

 俺は、大きく深呼吸をし、呼気を整え。

 決意を固めた。


 「旭ヶ丘智!俺と、―――――

 


  

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