第7話

 ちょっとした騒動が起きてから数分。バスは、ようやく目的地の校舎が見えるところまで来た。

 窓から見える校舎。まるで何日も、何ヵ月も来ていなかったように思える。懐かしいな。

 思い出に浸りながらも、バスを降りる準備を始める―――

 「あれ?弘人もここで降りるんだぜ?」

――と俺の座る席の前で、つり革に掴まっている旭ヶ丘あさひがおかともが、首をかしげながら訊ねてきた。

 旭ヶ丘とは、ついさっき、バスのなかで知り合った、自称男――彼は、男と言えば男になるし、女と言えば女になれる程の中性的なイケメン――だ。

「そうだが……。『も』ってことは、お前も降りるのか?」

 旭ヶ丘の発言に引っ掛かった俺は、気になることを聞いてみた。

「うん。俺もここで降りるんだぜ」

 首を縦に降り、俺の問いに答えてくれた。

 旭ヶ丘は、俺と同じ高校の制服。しかし、顔の見覚えがないから、違う学校の生徒かなと考えていたが。

「旭ヶ丘も、ここの高校―――」

「じゃあなー!また会えることを楽しみにしてるぜー!」

 俺の質問は、旭ヶ丘の声によって遮られた。

 しかし、旭ヶ丘は、俺の推測通り、

「クロ確定……」  

 バスにぽつんと残された俺は、一人、呟きながら、バスを降りたのでした。 

 

 

 現在俺は、息を切らしながら、学校に続く、角度のキツイ坂を上っていた。

「くぅ~!こんな足じゃなかったら、簡単に登っていたのに!」

 カツン、カツン。松葉杖を、地面に突く音が、俺に苛立ちを感じさせる。俺みたいな怪我人を贔屓ひいきする道具や機械はないものかね……。しかし、この坂にエスカレーターとか近代的なものはない。

 俺は、燦々さんさんと照らされる坂道を、苛立ちを糧に上っていった。

 途中、友達同士で坂を上る奴や、キャッキャキャッキャと喋りながら上る男女のカップルなどを見かけた。……骨折が憎い。

 すると突然、ある一組のカップルが俺に近寄ってきた。そして、その中の女の方が俺に訪ねてくる。

「あれ?神山かみやまくん……だよね」

「あ、あぁ……」

 何のようだかさっぱりわからないが、とりあえず返事だけはしておく。と、俺が答えた瞬間、カップル共は、お互い手を取り合ってはしゃぎ出した。

「やっぱり!あのに巻き込まれた人だよね!」

 その話を聞いた瞬間、思わず顔をしかめる。あの事件には、嫌な思い出しかない。

 しかしカップルは、俺の感情なんて知りもせず、どうだった?と質問してくる。

 正直、こうなることは承知していたし、覚悟もしていた。だが、それをまるで心配する様子もなく、面白がって聞いてくるのは、ムカつく。

 俺は、カップルを睨み付けた。しかし、一切退いてくれない。溜め息をひとつ、吐いたあと、うんざりしながらも、「聞くな」とだけ答えた。

 カップルも、これで退いてくれるだろう。そういうことを思っていたが、その考え方は軽かったようで……。「えー、いいじゃん!」や「もったいぶってないで教えてよ~」とか、よりしつこく聞いてくる。

 だんだん人が集まってきた。周りがざわついている。そのなかには、俺の名前まで出回っている。

 集まってきた衆が、一団となって爆破事件のことを聞いてきやがる。しかも、面白半分で。

 溜め込まれていたストレスは、ついに限界を迎え、爆発した。

「黙れっ!!!お前らはなにもわかってないくせに!面白がって聞いてんじゃねぇ!少しは人の気持ちを考えろ!散れ!」

 感情に任せた結果、思っていたことが、全て口から出ていた。

 俺が、我に帰った頃には、サイテーなどの陰口をいいながら、集まっていた人々は徐々に散っていった。

「なに言ってんだ、俺……」

 頭をくしゃくしゃと掻き、俺は残りの坂を上っていった。

 

 はぁ……。思わず溜め息が漏れる。

 ローカを歩いているときの、周りの視線がキツイ。どうしてこうなったんだろうか……。

 考えても答えが出てこない疑問を考えていたら、いつのまにやら自分の教室についていた。

 まるで連休明けの月曜日の気分だ。もし、ここに千鶴がいたら……。なんて、叶いもしない妄想にふけっている。

 俺は妄想を振り払うように頭を降り、久しぶりの教室に笑顔で入った――

「あれっ、珍しいこともあるもんだぜ!ようっ、弘人!」

 刹那、俺の思考は停止した。

 俺に声をかけた人物。それは、朝、バスのなかで出会った、旭ヶ丘智だった。

 頭のなかは、なんでここにいんの?という疑問で溢れて、口を開いて出た言葉も、「なんでここにいんの?」だった。

「なんでって、俺はこの学校の、このクラスの生徒だぜ!」

 この癖の強い語尾、忘れるはずがない。

 声の主は、一番後ろのなぜか俺の席の隣に、たくさんの女子に囲まれながら、しかしこちらに、そのイケメン顔が見えるように、立ち上がっていた。

 旭ヶ丘智だ。奴とは、バスのなかで知り合っていて、同じ高校の制服なのに顔に見覚えのないことから、別の学年だと思っていたが……。

 旭ヶ丘は、ヘラっとした調子で、答えてくれた。が、全く脳が追い付かない。大体、全く知らない人が、この学校のこのクラスの生徒だぜ!、と言ってもなんにも頭に入ってこない。

 と、ここで親友である鞍本くらもと倉吉くらよしが、肩を組んで説明してくれた。

「彼は、お前が入院中に転校してきたんだ。しかも、転校初日からあんなに大勢の女子の取り巻きを作ってやがる。一気に学年ヒエラルキーの頂点だ」

 後半の勝手な妄想は置いといて。

 あ、そうか。転校か。いままで継ぎぎだらけだった疑問が、一気に繋がった。俺は手のひらを、ぽんと叩き、納得した。

「でも、お前ってあの転校生と面識あったっけ?」

 足を骨折している怪我人に、肩組みをしながら問うてくる鞍本――あだ名はクラクラ。

「弘人とは、今朝のバスのなかであったんだぜ」

 俺の代わりに、旭ヶ丘が、問いに答えた。

「へぇー。不思議なこともあるもんだなぁ」

 腕を組み、納得するように首を縦に降る、くらくら。

 教室の入り口付近で喋っていても、他の生徒の邪魔になるだけだし、とりあえず、自席へと向かった。途中、旭ヶ丘の取り巻きに変な目でみられたが、なんとか自分の席に着けた。

 やっとリラックスできる。そう思った瞬間、チャイムが鳴り、ホームルームが始まった。

 クラスのグループが散らばっていくのを眺めていると、突然横から、声をかけられた。 

「弘人。改めてよろしくだぜ」

「あぁ。改めてよろしく」

 俺と旭ヶ丘は、少し笑いながら握手をした。


 一校時が終わり、再び教室内に複数のグループが出来上がる。

 俺の隣の席の旭ヶ丘は、沢山の女子に囲まれている。やばい。俺の居場所がどこにもない。

 俺は仕方なく、クラクラの元へ行った。

「ひろとぉ……。俺……あいつに女を盗られたんだ……。なにか、対策を考えないか……?」

 快く俺に席を譲ってくれたクラクラは、声を潜めて、まるで作戦会議なテンションで話し掛けてきた。 

「おい、俺を巻き込むな」

「そう釣れないこと言うなよ~。でさ、俺に一つ、提案があるんだよ」

 そういうとクラクラは、旭ヶ丘の席へ行くと、まるで女子の目を気にせず――

「連れション行こうぜ!」

 と、誘ったのだった。

 女子達の、こそこそ声の罵倒が聞こえるなか、旭ヶ丘は、「遠慮しとくぜ」と、丁寧に断った。

 しかし、断られたクラクラもまだ退かない。

「そこをなんとか!男の友情は、連れションから始まるものなんだぜ!」

「いや、俺、今はトイレにいく気はねぇんだぜ。すまないぜ」

 旭ヶ丘は、かたくなに断っている。

 両者一歩も退かない。仕方なく、俺が止めに入った。

「おい、いい加減にしろクラクラ。相手も断ってるじゃないか」

「もういい!ひろとといくもんねー!」

「はぁ!?なにいってん――ちょ、待てって……」

 ねたクラクラは、俺の手を引っ張り、強引にトイレへ向かった。

 

「ばっか!俺、今、怪我してんの!普通のトイレは使えねーの!」

 丁度、トイレの目の前まで来た時、俺はそういいながら、手を振りほどいた。

「す、すまん……」

 しゅん、と落ち込んでトイレに入るクラクラ。ほんとに謝罪の気持ちはあるのか……?

 まあいいや。終わるまで待っといてやろう。そう自分に言い聞かせ、彼がトイレを済ますまで待ってあげることにした。

 しかし数分後。全く出てくる気配がない。

 俺は、これからお世話になるであろう障がい者用のトイレを見に行くことにした。といってもそこまで離れていない。男子トイレのすぐ真横にあった。

 早速中身を……とドアを開けようとするも、なぜだか鍵が掛かっていた。

「………………」

 まぁいっか。そこまで重要なことではないし。そう思って、男子トイレに戻ろうとした、次の瞬間だった。

 ガチャ。鍵が開く音がして、すぐさま出てきた人が、廊下をもうスピードで駆けていった。その姿は、まるで旭ヶ丘みたいなシルエットだった。

「ん?どうしたんだ?」

 突然、背後から声が聞こえた。クラクラか。

「なんでもない。あと遅い」

「あはは。わりーわりー」

 後ろ髪を掻きながら、またも謝るクラクラ。俺達は、次の授業に遅れないように、教室へと向かった。

 

 三校時――体育。

 俺は、怪我をしていると言う理由で見学だ。正直、憂鬱でしかない。

 あー……。暇だな……。

 グランドに植えられた一本の木の下で、天を仰いでいた。

「あれ、弘人。どうしたんだぜ?あ、骨折で見学かだぜ」

 突然、聞き覚えのある声が耳に入る。俺は、相変わらず天を仰いだまま、返事をした。

「そう言うお前だって見学じゃねぇか、旭ヶ丘」

 そう。もうお馴染み、旭ヶ丘だ。

「どうしたんだ、旭ヶ丘。どこか具合が悪いのか?」

「な、な、な、何でもないんだぜ!心配はご無用なんだぜ!」

 どこかあたふたしたようすで否定する、旭ヶ丘。なんか怪しいな。

 顎に手を当て、ジーっと見つめる俺。と、旭ヶ丘は、どうしたんだぜ?と問うてきた。

 俺は、朝から抱いていた疑問を、腹を決めてぶつけることにした。


「旭ヶ丘って、女なのか?」 

  

 ここで旭ヶ丘は、一気に動揺し始める。

「な、な、な、な、何をいってるんだぜ、弘人は。ま、全く」

 全力で否定しているが、完全に目が泳いでいる。これほど感情が分かりやすいやつなんて、千鶴の他に居たんだな。

 確信を得た俺だが、ここはひとつ、相手に上手く乗せられるをすることにした。

「なんだ違うのか……。変なこと聞いちまったな」

「(ギクリ)べ、べつにいいんだぜ……。」

 ギクリと反応したが、俺が諦めたとみて、ホッと胸を撫で下ろす旭ヶ丘。俺は続ける。

「だいたいそうだよな~。『だぜ』とか付けるのって男しかいないもんな~」

「そ、そうなんだぜ!やっぱり『だぜ』を使うのは、男だけなんだぜ!」

 今度は、旭ヶ丘の表情がパアッと晴れ、うれしそうに話を続けた。

「疑ってすまんかった!旭ヶ丘は、嘘をつくようなやつじゃないもんな(朝知り合ったばかりだけど)!」

 頭を下げて、謝る。果たして、反応は……。

「うぐっ」

 胸を押さえ、その場に倒れこんだ。

「あ、旭ヶ丘?」

 真面目に心配し、倒れている旭ヶ丘の肩を掴んで揺らした。そしたら、急に顔を起こした。

 その顔は、今までしていた顔とは全く違う、とても真剣帯びたそれで。


「実は俺……女なんだぜ」



 俺は旭ヶ丘から、なぜ男になろうとしたかなど、いろんなことを聞いた。

「へぇー。ある日父親が、娘じゃなくて息子がよかったって言ったのを、偶然聞いたのか」

「うん。そうなんだぜ」

 だから、自分からやりたくてやったわけじゃない、と旭ヶ丘は言う。

 しかし、『俺』や『だぜ』が自然と話し言葉で出ていることから、相当長いことやってたと推測できる。

「親父を喜ばせるために男になったはずなのに。でも、それって騙すことでしか親父を喜ばせることしか出来ないってことなんだぜな……」

 旭ヶ丘は、こちらを見ずに言った。しかし、その横顔は、自分が男に生まれなかったことを悔やんでいるのか、どこか悲しげに見えた。

 俺は、なにか声を掛けようとした。が、気の聞くことが一切浮かばない。

 しばらくの沈黙がその場に生まれる。

 やがて、旭ヶ丘は、この場を立ち去ろうと立ち上がった。

「悪かったぜ、こんな暗い女の相談に付き合わせて」

 俺が、一言も声を掛けられずに、旭ヶ丘が行ってしまう。

「待てっ!」

 気づいたときには、俺は旭ヶ丘の腕を掴んでいた。そして、

「俺は――俺が、お前の親父さんだったら、お前が男だろうが女だろうが、構わず嬉しいぜ!」

 あたふたしていた。上手いことが言えなかったと、自分でもわかっていた。しかし、俺は思っていたこと、すべてをぶつけてやった。

 それを旭ヶ丘が、どう受け取ったかは俺は知らない。しかし、それを聞いた旭ヶ丘は、スッと顔をあげた。その瞳は濡れていて、顔は紅潮していて、もじもじして。そして決意を決めた顔になると、俺にこう言った。

「そんな台詞せりふ、生まれてはじめて言われたかもだぜ。本当に嬉しいんだぜ」

 そして一粒の涙がこぼれる。そして、溢れるほどの笑顔で、俺に言った。


「俺と、付き合ってほしいんだぜ」

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