第32話 ヴァルラの過去

 シルバーを取り逃がした事、倒すどころか同じ場所に居ながらもまるで手も出せなかった事にヴァルラは酷く苛立っていた。

 悔しい。その一言に尽きる。何としても倒さねばならない相手だというのに。マスターからの命令を果たさねばならないというのに。

 ヴァルラは「あの日」のことを思い返していた。



 屋敷が燃えている。緑色の屋根に石造りの頑強な屋敷の一角が炎と煙に包まれている。ヴァルラは抱えていた買い物袋を放り出し、一気に駆けた。まさか。まさかまさか、まさか。

 こんな日が来るはずはなかった。自分がそばにいる限り。


「ルーファウス!」


 建物に飛び込むと、屋敷の東側はまだ火が回っていなかった。銃を構えて気配を消し、マスターの姿を探して歩いていく。人の気配がした。

 扉の陰から現れたのは、屈強な男が3人。ボウガンや大型のナイフ、銃を手にしている。手練れのヴァンパイアハンターだとすぐに分かった。

 ヴァルラがヴァンパイアではない事に気付き戸惑う様子が見える。


「誰だ? お前もハンターか?」


 答える代わりに引き金を引いた。一瞬で3人の眉間に風穴を開ける。


「ルーファウス! どこだ?!」


 身体がざわつき膝が震えそうになる。マスターは無事だろうか。

 同時に思う。自分がまだ生きているのだから彼も生きている、と。

 始祖ルーツとドナーは一心同体。その硬い繋がりは魂までもと言われている。マスターが死ねばドナーは間を置かずに灰になる運命だ。しかし、だからこそさっきから感じる胸の苦しさが彼を不安にする。

 それはマスターに何かが起きているという事を意味するのだ。


 屋敷の中を彼は駆けた。必死でマスターの姿を探すと、彼は書斎に倒れていた。


「ルーファウス!」


 駆け寄って抱き起す。ぐっしょりと血濡れの体は小さくて軽い。そんな体に10発近い銀の弾丸を受けている。普段嫌がるのを無理やり着せていた胸当てが心臓への1発を辛うじて防いでいた。


「ああ、間に合ったか。よかった」


 マスターのその言葉が意味するのは、決して良い報せではなかった。始祖ルーツとはいえこれだけの弾数を喰らえば助かる見込みはない。それは彼自身もヴァルラも気づいていた。


「さあ、こういう時はどうすべきか教えてあったな」


 静かになだめるようにマスターは下僕に囁いた。ヴァルラは大きく首を横に振り、己の腕を切り裂くと流れる血をマスターの口元へと運んだ。


「俺の血を飲んでくれよ。弾丸なら今すぐ摘出するから……!」


 彼は柔らかく微笑み首を横に振ると、ヴァルラの頭を撫でた。出血が多すぎる。銀の弾丸が体内に残り、内側からじわじわと焼けていく。ルーファウスは苦しい息で語りかけた。


「いいのだ、もう間に合わない。それに私は十分生きた。それよりも何をすべきか、お前は分かっているはずだ。」


 駄々っ子のように泣き叫ぶヴァルラの手を取り、己の胸に当てる。


「俺にはできないよ。それよりも一緒に連れてってくれ」

「このままではお前は灰となり塵と化す。私が行く「ぱらいそ」には辿り着けないだろう」

「そんなの、あんまりだ……」


 続けて諭すように語りかける。


「良いか、お前が私になるのだ。お前が最後の始祖ルーツとなり我々の存在を継いでゆくのだ」


 そう言うと、まるで手品のように己の手を深くその胸に差し込み、脈打つ臓器を取り出した。


「嫌だ、やめてくれ。……俺には無理だ」


 取り乱し、ぼろぼろと流れ落ちる涙は止まらない。


「早く……。私が生きているうちに果たさねば間に合わなくなる。この力を引き継がぬ限りお前はただの灰になるのだぞ。始祖ルーツの存在もこの世から消え去る。頼む、私の死を無駄にするな」


 しかしヴァルラはその言葉が耳に届くことを拒否するかのように大きく首を横に振り続けるだけだった。


「俺も連れて行ってくれ。あんたと一緒に俺も……!」


 静かに主は首を振る。


「何度も言わせるな。ぱらいそは我々始祖ルーツが還るべきところ。今は連れて行ってやれぬ。来たければ言う通りにするのだ」


 なだめるように囁くがヴァルラはただ嫌だ、嫌だを繰り返すだけ。


「最後まで手のかかる下僕よの……」


 弱々しくなった声で呟き苦笑する。このままでは無理と悟った彼は最期の力を振り絞り、その臓器を赤い果実に変えた。禁断の、赤い果実。いや、そう見えるよう術をかけ、なだめるように声をかけた。


「もう時間がない。私のために、頼む」


 このままではヴァルラはいずれ灰と化すのだ。それを回避するには特別な方法が必要だった。


「ここを生き延びて奴を、奴らを排除すればいつかお前もぱらいそに来れるのだ」


 その言葉がヴァルラの背中を押した。

 マスターの手から震える手で受け取った禁断の赤い果実を、彼は泣きながら喰らった。そうしてヴァルラはマスターと同じ始祖ルーツの能力、体質を手に入れたのだった。


 すう、と流れる涙の感覚でヴァルラは我に返った。辛すぎて普段は封印している記憶が鮮明に蘇ってきたのだ。この感情を彼はシルバーに対する憎しみに代えて生きてきた。倒さねばならない。何があってもシルバーを倒さねばならないのだ。ヴァルラは憑りつかれたようにそう心の中で何度も繰り返した。

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