第31話 敵の作戦は
30分程早く埠頭に着いた。黄昏の海岸に数少ない街灯がヴァルラの影を薄く長く伸ばしている。
まだシルバーやミハイラの気配は感じられない。本当にここに来るのか。ミハイラは無事なのか。焦る気持ちを抑えつけ、埠頭や倉庫街をぐるりと見て回る。何か仕掛けられている様子はない。
そして時間は5時になった。コンテナの屋根の部分に何者かの気配を感じ取る。
「来たな」
振り向きざまにそう言った後、ヴァルラは我が目を疑った。そこにはミハイラが立っていたのだ。
「ミハイラちゃん、シルバーをやっつけてきたのかい?」
無事に再会できた喜びと、彼女が凶悪なヴァンパイアを倒したという驚きに思わず声が裏返る。コンテナを跳躍して相棒の元へと駆け寄った。
「怪我もないみたいで良かったよ! さすがミハイラちゃんだねっ」
嬉しさに思わず抱き着こうとしたヴァルラだが、すかさずメリケンサックのパンチを見舞われる。
「へぐっ」
倒れたヴァルラが身を起そうとすると、畳みかけるように鳩尾に強烈な蹴りが入りヴァルラは3つ向こうのコンテナまで吹き飛んだ。
「ちょ……何怒ってるのさミハイラちゃ……」
倒れたまま言いかけたその肩を踏みつけるミハイラ。ここでようやくヴァルラは異常に気付いた。
「もしかして……」
下から覗き込んだ彼女の目に怪しい光が見える。何者かに操られているのだ。恐らくはシルバーに。
「ミハイラちゃん! 目を覚ますんだ!」
己の肩を踏みつける足を掴み揺さぶってヴァルラは叫ぶ。が、ミハイラの表情に変化はない。そのまま彼女の足はヴァルラの顔を踏みにじり、蹴り上げた。
「ぐうっ……!」
思わずあがるうめき声。口の中に砂が入り、ざりざりとした不快な感触と痛みに顔をゆがませる。
混乱を隠せないまま後ろに飛びのき距離を取った。操られているといっても相手は大事な相棒だ。しかも人間相手に本気で戦うわけにはいかない。
しかしミハイラは一流のハンターでもある。油断や手加減をすれば自分の命が危ない。互いに隙を見せず睨み合ったままヴァルラの額に汗が滲んできた。
(どうする……? どうすればいい?)
微妙な間合いを保ったまま、ヴァルラは周囲の気配を探った。
(……居た!)
少し離れた所にただならない闘気を孕んだヴァンパイアの気配を感じる。シルバーだ。先に奴を倒せればミハイラにかけられた術も解けるだろう。
しかしこの状態で彼女に背を向ける事は危険すぎる。
(何が何でも同士討ちさせようという気か)
ならば、とヴァルラは覚悟を決めた。
「ミハイラちゃん、こっからは手加減なしでいくよ」
低く呟いて腰のナイフを抜く。ミハイラもゆらり、とナイフを手に身構えた。
ミハイラが踏み込んだと同時にヴァルラは飛び上がり、そのまま後ろに回り込んで背中に蹴りを見舞う。体重を乗せた重い蹴り。しかしミハイラは僅かによろめいただけで振り返り、ナイフで斬りつけてくる。常人の目には留まらない。まるで人とは思えないスピードだ。
しかしヴァルラも負けてはいない。ミハイラの動きは全て読めているとばかりにひらひらとかわし、その合間にナイフの柄で殴りつける。ヴァルラ愛用のナイフはミハイラのものより一回り大きい。殴ったときの衝撃もその分強烈だ。
肩に、頬に、何発かヒットした。ミハイラがよろめく。
人間を殴っている。しかも娘同然の相棒をだ。殴った以上のダメージをヴァルラの心が負っていた。
「卑怯者ーっ! 出てきやがれっ!」
闇が迫りつつある埠頭のどこかに隠れているであろうシルバーに罵声を浴びせる。だがくすくすと嗤う声だけが波の音に混じって聞こえるだけだ。
ミハイラは口の端の血を手の甲で拭う。その顔に表情の動きは見られない。
そして彼女は再び動いた。ヴァルラの元へ跳躍すると、右手のナイフと左手のメリケンサックで交互に攻め続ける。
ナイフはヴァルラの首筋を狙って舞い、メリケンサックは頬を顎を砕こうと重いパンチを見舞う。その動きは徐々に速さを増し、僅かながらもヴァルラの腕を頬を斬りつけはじめた。
(速い……!)
催眠術にかけられているせいでリミッターが解除されているのかもしれないが、いつものミハイラよりも遥かに速く、強い。
とにかくこの操り人形と化した状態、呪縛を解かねば手も足も出ない。
戦っている相手が人質だという状態はヴァルラにとって最悪だった。これ以上ミハイラを傷付けたくない。
執拗に続く攻撃を避けてヴァルラは無数にあるコンテナの陰に滑り込んだ。策があるわけではないが、取り敢えず冷静に考える時間が欲しかった。
気配を消し、コンテナの樹海に姿を隠して静かにそして大きく息を吐く。そこには街灯の灯りも届かず闇だけが広がっていた。
シルバーの気配を探してみる。遠く微かに感じたそれに向かって、ヴァルラはコンテナの間を縫って駆け出した。
闇に包まれたコンテナ置き場はまるで迷路だ。夜目が効くヴァルラだが、それでも求める気配まで行き着くには困難を極めた。更にシルバーは彼を嘲笑うかのように高速で動き回る。焦りと苛立ちがピークになった頃。
ごうんっ、という重い音と同時に何かがヴァルラの頬を掠めてコンテナに突き刺さった。
鉄の棒だ。飛んできた方を見ると、ミハイラがこちらを見下ろして仁王立ちしている。
シルバーに夢中になり過ぎて彼女の存在を一瞬忘れてしまっていた。
空を舞うかのような優雅さで飛び降りるミハイラは全身から殺気を漂わせている。
そこからは攻撃のラッシュだ。高速で繰り出されるパンチやキックを辛うじてかわし、受け流す。かわされたキックをまともに受けたコンテナの壁がべこりと凹んだ。最早人間業ではない。
追い詰められたヴァルラは、空高く跳躍した。するとすかさずミハイラは銃を取り出し、迷うことなくヴァルラの心臓をめがけて連射した。
心臓に命中すればほぼ即死と言える銀の弾丸を迷いもなくありったけ撃ち込んでくるミハイラにヴァルラはぞっとする。
しかしヴァルラも
ここに僅かな勝機があった。ジャンプのみのミハイラに対して、ヴァルラは浮游することができる。ミハイラが下降を始めた時に上から背後に回り込み、その細い首に腕を巻きつけ締め上げた。その腕を振り払おうと彼女はナイフを振り回す。そんな反撃をかわす様にヴァルラは中空で右に左に上に下にとくるくる回る。もがくミハイラの首に、しなやかなヴァルラの腕が食い込んでいく。
十数秒でミハイラは意識を失った。だらりと力を失った彼女の体をスクラップの車の上にそっと横たえ、シルバーを探した。
しかし、もう辺りにその気配は感じられなかった。
+++
カーテン越しの薄明りがやけに眩しく感じられ、ミハイラは顔をしかめた。頭がぼんやりとする。彼女はゆっくりとベッドから起き上がった。
「あれ……あたし、何で……」
記憶に残っているのはあのクラブでのVIPルームに入ったところまでだ。それ以上思い出そうとすると鈍い頭痛が彼女を襲う。
のどが渇いてキッチンへ向かった。
「あ、目が覚めた? 体は何ともない?」
ヴァルラがミハイラに冷蔵庫の水を手渡し、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……んー、良く分かんない。あたし、いつ家に帰ってきたっけ」
その問いに言葉を詰まらせるヴァルラ。昨夜の一件を言うべきか言わざるべきか。迷っているうちにミハイラは洗面所へ。顔を洗おうと鏡を見て息をのむ。
「……何これ……」
白い肌、首の周りに赤く絞められた跡がある。
「……ミハイラちゃん、ごめん」
気付けば後ろに気まずそうな顔のヴァルラが立っていた。
「何よ。どうしてヴァルちゃんが謝るの? これ、どうしたのかしら」
鏡を覗き首の痣をさすりながらヴァルラには目もやらない。
「ごめん。それ、俺がやったんだ。ミハイラちゃんがヴァンパイアに操られて、俺たち戦わなきゃならなくなって」
ミハイラは目を見開いた。
「嘘……」
「ごめん」
ヴァルラはすっかりうなだれている。そしてミハイラは、ヴァルラに絞め落とされたであろう事にショックを隠せない。
ミハイラを一流のハンターに育てたのはヴァルラだ。その気になればそこらへんのハンターよりも断然強い事は知っている。
しかしここしばらくは戦いからも遠ざかって腕も鈍っていると思っていた。一方自分は日々の鍛錬でヴァルラを超える強さを身に着けているとも。
「ほら、ミハイラちゃん操られていつも通りの力も出せていなかったし。俺にとっては命拾いしたと思ってるよ」
「命拾いって……」
そう言われるとそれはそれで胸が痛む。操られていたとはいえ、大事な相棒に襲い掛かったのだ。万が一自分が勝っていたら。そう思うとぞっとする。
「一体どこの誰なの、あたしにそんな術をかけるなんて……」
やりきれない思いは怒りとなって自分を操ったヴァンパイアに向けられた。
ヴァルラはしばらく黙り込んだ後、重い口を開いた。
「銀髪のヴァンパイア。俺はシルバーって呼んでる」
「シルバー? 銀髪のヴァンパイアなんて見たことも聞いたこともないわ」
「ミハイラちゃん、奴の術で操られてたから記憶も消されてるんだと思う」
半信半疑な様子の相棒にヴァルラはシルバーの話を聞かせる。
「じゃあ、今こうして増殖してるヴァンパを生み出したのがそのシルバーって奴なのね」
ヴァルラは黙って頷く。
「俺は俺の
「倒すって……。だってヴァルちゃん、ヴァンパイアは怖いんでしょ?」
「いつか克服しないといけないんだ。ミハイラちゃんがお嫁に行ったら俺がハンターにならなくちゃ」
決意に満ちた表情を不安な顔が覗き込む。
「本当に大丈夫なの?」
ヴァルラは強く頷いてミハイラに笑いかけた。その笑みはただの強がりだ。ヴァンパイアは怖いしミハイラと離れたくもない。
しかし彼女の事を思うなら、彼女が安心して外の世界で新しい家族を作るのを応援しなければ。
「なんたって大事な
きっぱりと言い切って笑顔を見せると、ミハイラは少しだけほっとしたように表情を緩ませた。
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