第29話 想定外の情景


 歩くと言っても、ヴァンパイアとウェアウルフのスピードだ。あっという間に20km程離れたクラブの近くまでやって来た。そして思わず二人は同時に顔を見合わせる。

 二人が感じたのは強烈な血の匂いだ。


「……なんだ? この……」


 更にスピードを上げクラブに駆け込むと、そこはまるで地獄絵図だった。

 クラブの客やギャング達そして警官達が全員血まみれで息絶えていた。壁や床のみならず天井まで血しぶきが飛び、粘度のある紅い液体がぽたりぽたりと垂れてきている。


 切り裂かれた死体の山の中にはミハイラとラウの姿はなかった。僅かに安堵したが、頭痛がするほど強烈な血の匂いのせいで二人の行方を探ることができない。

 少しなら食欲をそそるそれに今は吐き気がする。それは恐らく断末魔に感じた被害者達の恐怖や苦しみがその匂いにしみ込んでいるからだろう。


 外へ出てみる。クラブ近くで待機していたパトカーを見に行けば、やはり連絡係の警官が無惨な姿で上半身を車から引きずり出され倒れていた。


「ミハイラちゃん! ラウ!」


 なんとか五感を研ぎ澄まして二人の気配を探る。すると、意外な所からラウの気配を感じた。


 ヴァルラが上を見上げると、ラウが大木の枝に引っ掛かっていた。


「ラウ!」


 跳躍して親友を木から下ろす。気を失っていたようだが幸い打撲以外に目立った傷もない。ヴァルラは胸を撫で下ろした。


「……ヴァルちゃん、ごめん。ミハイラちゃんが、さらわれた」


 すぐに目覚めたラウがそう言って首から提げたビデオカメラをヴァルラに手渡す。


「ミハイラちゃんがさらわれるなんて、一体どんな奴が……?」


 その疑問はビデオを再生させた瞬間に理解できた。


 モニターに映っていたのは、銀髪のヴァンパイアだったのだ。長い銀の髪に紅い瞳が鈍く光っている。


「シルバーが、何故ここに?」


 その問いに答えるかのようにモニターの中のシルバーは穏やかに話し始めた。


「やあ、始祖ルーツの元ドナーのヴァルラ。ようやくこうして話が出来るね。君の可愛い弟子だか相棒だか、まあ彼女はなかなか強かったよ」


 カメラがシルバーの背後を映す。そこにはゲル状の黒い繭らしきものに全身を包み込まれているミハイラの姿があった。辛うじて顔だけが露わになっている。気絶しているらしく、目は閉じられているものの、しっかりと呼吸している事だけは分かる。


 ヴァルラは全身がチリチリと焼けつくのを感じていた。怒りか 、それとも焦りだろうか。


「ミハイラちゃんに傷ひとつつけたら容赦しないからな! 彼女は何処にいる!」


 思わずモニターに向かって叫ぶが、録画のそれはもちろん問いには答えない。


「返して欲しいだろう? 無事に返してほしければ受け取りに来たまえ。狼男も他のハンターもなし。君一人で来るんだ。臆病風に吹かれれば女ハンターの血は私が頂くよ」


 そこまで言って映像は終わっている。ヴァルラはギリッと歯軋りをした。ラウはおどおどしながらポケットからメモを取り出した。


「明日の午後5時にここにくるようにって……」


 ひったくるように受け取ったメモに目を落とすと、簡単な地図が描かれていた。先程までヴァルラが居た埠頭の倉庫街だ。彼は無言でメモをポケットに仕舞って歩き出し、それを慌ててラウが追う。


「ね、ねえ。どーすんのさ。知り合いのハンター何人か紹介しようか?」


 ヴァルラは真っすぐ前を見て歩き続ける。


「ハンターも警察も必要ない。俺一人が条件だ」

「だけどヴァルちゃんヴァンパイアは怖いって……」


 情報屋の言葉を強い目力で遮る。


「怖いなんか言ってられないだろ。ミハイラちゃんが捕まってるんだ。俺一人で行かなくちゃ」


 ラウは口をぱくぱくとさせるが、返す言葉が見つからない。


 そこへ遠くから賑やかな音が近付いて来た。数台のパトカーがサイレンを鳴らしながらヴァルラ達を取り囲む。


「動くな! 後ろを向いて手を挙げろ!」


 先程まで埠頭で一緒に捕り物をしていた刑事達が、今はパトカーのドア越しに銃を構えている。


「俺達じゃないったら!」


 言われるままに頭の後ろで手を組んだラウが悲鳴をあげる。


「別のヴァンパイアの仕業だ。パトカーの車載カメラを確かめてみろよ」


 例の50歳近い刑事が血まみれになったパトカーに乗り込み映像を確認する。


「銀髪のヴァンパイア……本当にいたのか」


 刑事は驚きを隠せない様子でモニターとヴァルラ達を見比べた。


「さ、分かったろう? その物騒な武器を仕舞ってくれないか」


 警官の中には銀の弾を込めた銃を構えている者もいた。それらの武器を一旦収めさせ、刑事はヴァルラ達の方に歩み寄る。


「悪かったな。仲間がやられて皆気が立っているんだ」

「気持ちは分かるよ。それよりもこの銀髪のヴァンパイアは俺に任せてくれないか? 恐らくあんた達では手に負えるレベルじゃないはずだ」


 惨劇の映像をもう一度見て、刑事は唸る。今までに見たこともないようなスピードとパワーだ。実際静止画やスロー再生で確認しなければ見えないほどの速さで動いている。迂闊にこのモンスターに手を出せば、今回以上の被害が出るだろう。


「……分かった。ハンターに依頼という形にしよう。上には俺から話しておく」


 それを聞いてヴァルラは満足げに頷いた。


「報酬は30000シードル。これでも安い方だけど」


 早速ラウが交渉を始めた。刑事の顔が曇る。


「そこまで高額だと許可を貰うのに時間がかかるが……なんとか上を説得してみよう」

「頼んだよ。仲間までやられたんだろ。俺たちが仇を討ってやるよ」


 ラウはまるで自分が戦うかのような口ぶりで刑事にダメ押しをした。

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