第26話 ヴァルラは葛藤する
ヴァルラは誰もいない家に帰ると、TVをつけてソファに座る。ミハイラもラウもいない家は、冷え込むような静けさだ。一つため息をついて、持ち帰ったボトルの中身を口にする。
傍目にはスポーツ観戦をしながら冷えたビールを飲んでいるかのように見えるが、実際の中身は新鮮な血液だ。赤い液体をちびちびと楽しむ。
周りにどう思われようと何を言われようと、ヴァルラは自分がヴァンパイアであることを憂いたことはない。むしろ
何故血液が必要なのか、主に聞いてみたことがある。というのも、出会ったときの主は永い間ドナーを持たずにおり、飢えを通り越して死にかけていたからだ。
「他の物で代用できないものなのかい?」
「それならばさぞ良かっただろうにな。人の世を見守る身でありながらその血を飲まねばならないとは」
主は組んだ両手に顎を乗せて、自嘲気味に笑っていた。
「俺たちを見守る? そんな御大層な身分なのかい、あんたは」
「大層などではない。ただ、我々の寿命は実に長い。長く生きた者の方が知恵も知識も多く持つものだ。共にこの世に生きるならば人間が我々を頼りにするのも悪くなかろう?」
主の笑みは柔らかい。
「でも、今やヴァンパイアの知恵を欲しがる人間なんかいないだろ」
言ってからしまった、と思った。しかし主は眉一つ動かさず言葉を継いだ。
「ドナーに喰われた
そこまで言って、ふと眉をひそめる。
「だが、日々襲われる人間たちにとっては理不尽な悲劇でしかない。世のヴァンパイアを殲滅する義務が、我々にはあるのだ」
「そう言われても、俺はヴァンパイアが苦手なんだよ」
ヴァルラがむくれた顔で返すと、主は慈しむような笑みを浮かべて答える。
「無理にとは言わない。だが、お前のヴァンパイア嫌いも治さねば。ドナーの血はヴァンパイアに狙われ易いからな。襲われたときに戦えなくては困るであろう?」
「だから、そこなんだよ。世の中旨いものが沢山あるのに、何故血液なんだろなあ」
「それは私にも分からない。だが、我々が人間を模して造られたためかも知れない」
結局答えは見つからなかった。しかし、己が主のドナーとして役に立っている事に、喜びを感じていると再認識した瞬間でもあった。
彼は今でもヴァンパイアが恐い。しかし主の言う通りいつかは克服しなければならないだろうと痛感する。ミハイラが巣立とうとしている今だからこそ、余計にそんな焦りが湧いてくるのだろう。
その時、玄関から聞き慣れた足音が聞こえてきた。
「ただいまぁ」
割と明るめなその声にヴァルラは少しホッとする。
「おかえりミハイラちゃん。お腹空いてない? 何か作ろうか?」
「ありがと。でもランチ食べてきたから大丈夫」
「じゃあ飲み物は? 少し早いけどお風呂は?」
畳み掛けるように聞いてくるヴァルラに、苦笑いを返す。
「大丈夫だってば。必要になったらお願いするわよ」
「”必要になったら”? じゃあ今の俺はもう必要ないって事!?」
大袈裟に嘆いてみせる相棒に、呆れ顔のミハイラ。
「違うったら、もう。何卑屈になってるのよ」
軽く頭をひっぱたかれても、ヴァルラの嘆きは収まらない。
「そうやってどんどん役割が減ってきて……ああっ! どこの馬の骨とも分からない男に持っていかれるんだ……!」
「ちょっと! 馬の骨なんかじゃないわよ。トニー・ラディアンって名前もあるわ。大きな貿易会社の社長さんなんですって。今度しっかりとヴァルちゃんと会ってご挨拶がしたいって言ってるわ」
「挨拶? ああ、いいとも。トニーだかポニーだか知らないが、実際に会ってそいつの化けの皮を剥がしてやるよ!」
鼻息荒く言いきったヴァルラだが、ミハイラは淡々としたものだ。
「くれぐれも失礼ないようにしてよね?」
そう言って、スナックの袋を手にソファを横取りして寝転がる。
(結婚するとか言ってる割にこんなんで大丈夫なんだろうか……)
思わずそんな不安がヴァルラの心にわき上がる。
とはいえ冷静に考えれば、どうせいつかは嫁に出す日が来るのだ。だとすれば、今の相手のように、寛大な金持ちがぴったりなのかもしれない。そんなに金持ちなら、メイドくらいは居るだろう。それなら彼女自身、家事が苦手でも何とかなる。
しかし何も島の外に出なくても、とも思う。せめてミハイラの嫁ぎ先の近くに移住したいと思っても、ヴァンパイアであるヴァルラはこの島を出られない。ミハイラの幸せを考えるならコンビを解消し離れて暮らすしかないのか。ヴァルラの心は揺れ動いた。
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