第21話 消えない過去

 それから半月。久々に海へとやって来たミハイラの顔には、ようやく笑顔が戻ってきた。


「やっぱり海、最高!」


 鮮やかな青いビキニで海辺を走り回ると、鍛えられ引き締まった肢体や上下する豊満な胸に、周りの観光客も釘付けになる。


「ミハイラちゃん、もっと布面積が大きい水着なかったの?」


 ビーチにシートを敷きながら、ヴァルラはパレオをミハイラに手渡そうとする。しかし彼女はひらりと逃れ、水際へとまた駆け出した。

 ヴァルラは、ビーチパラソルの下から動けない。いくらデイウォーカーとはいえ、日射しの強いビーチの太陽をまともに浴びれば、ただの日焼けでは済まないだろう。結局パレオは自分の頭に被って日除けにした。


「おなかすいたー」


 20分ほど泳ぎ、砂まみれになった体で戻ってきた時には、ヴァルラ特製のお弁当がシートの上にセッティングされていた。


「簡単なものしかないけど……」


 ローストチキンサンドとカットフルーツ、飲み物はサングリア。


「このチキン、しっとりしてて美味しい!」


 そう言って喜んでいるうちに、何とかパレオを手渡そうとする。


「別にいいのに。見られたって減るものじゃあないわよ」


 しかしヴァルラは頑として譲らない。渋々布を受け取り、腰に巻く。


「食べてすぐに泳いじゃダメだからね」


 畳み掛けるような忠告にうんざり気味のミハイラだが、ここは大人しく素直に頷いた。Jの一件がかなり利いているらしい。明るく振舞ってはいるが、彼女も相当堪えている。今回こうして海に連れて来たのも、落ち込んでいる彼女に気分転換させようというヴァルラのはからいなのだ。



 あの一件から数日後、ミハイラはいつものバーにふらりと立ち寄ってみた。心のどこかに、Jの事は悪い夢なのではないか、という思い──若しくは願い──があったのだ。

 いつも通りカランとドアベルを鳴らして入り、強面の常連客に軽い挨拶をして、カウンターへ向かう。


「いらっしゃいませ」


 カウンターの中に、体格のいい栗色の髪の男がグラスを磨いて立っていた。そこにはJの姿はない。この店の誰も、Jの姿がない事を気にかけていないように見えた。


「注文は?」

「……ジンライム」


 久々に口にする注文。彼女はスノーグローブを手に取り軽く振る。


 ──変わらないのが一番だよ


 あの時のJの言葉が蘇る。ミハイラの手の中でビーチに雪が舞っていた。



 お弁当を食べ終え、しばらく休んだミハイラは、また砂浜に立ち青い空を見上げた。勿論そこに舞う雪はない。眩しい太陽の光に目を細めると、空中で灰になったJが雪のように降り注いだ景色が脳裏を過った。

 彼女は思わず駆け出し、海に飛び込む。彼女の声にならない叫びは、泡になって波の中に消えた。



「ミハイラちゃん、落ち着くまではまだ仕事休んでていいからね」


 電車に乗って海からの帰り道、ヴァルラが気遣うように語りかける。


「大丈夫。仕事してる方が気が紛れるから」


 返ってきたのはそんな素っ気ない返事だった。それも一理あるかと、ヴァルラも重ねては言わなかった。今はそっとしておくのが一番だろう。


 それにしても気になるのがあの公園付近のギャング共だ。その後ラウに調べてもらったところ、地元警察も見て見ぬふりを決め込んでいるらしい。


「ヴァンパイアが絡んでるかもな」


 聞こえないほど小さく呟く。警察を怯えさせギャングを操る。そして己の痕跡は残さない。各地にそういうヴァンパイアは少なからず存在しているという。

 彼らが配給血液では我慢できないヴァンパイアを生み出す。そういう意味でも放って置けない気持ちはあるが、警察まで抱き込まれているとなると、敵に回すには危険すぎる。そして何より依頼者がいない以上、ぱらいそ・ヴァンパイアハンターサービスはお呼びではないのだ。


 ミハイラに言った通り、ヴァンパイアハンターはビジネスであり慈善事業ではない。ヴァルラは早速次の仕事の情報を催促するメールをラウに送った。


+++


 ラウがやってきたのは、それから3日後。どうにも浮かない顔だ。出されたコーヒーに手を付けず、眉尻を下げてため息交じりに手配書を取り出す。


「最近相場が渋くてね。ヴァルちゃん達が満足できる報酬の依頼がなかなか……」

「他に良い依頼がないなら多少安くてもいいよ。ミハイラちゃんの気晴らしにもなるし。収入がなくちゃ俺たちも生活があるし。そうなると依頼の好き嫌い言ってられないからね」

「分かった。もう少し情報集めてみるよ」


 情報屋はペンで額を掻いて小さく唸った後、話題を変えた。


「銀髪のヴァンパイア……シルバーについてもう少し聞いてもいいかい? 詳細を知ってる方が探しやすいと思うんだ」

「──答えられる範囲ならな」


 ぶっきらぼうに呟くヴァルラの、能面のような表情からは何も読みとれない。


「ヴァルちゃんもシルバーも始祖ルーツも人の血が必要だよね? でも噛まれた人間が感染するのはシルバーだけだった。ヴァルちゃんが人を噛んでも……」

「おいおい、俺は絶対に人は噛まないぞ。感染もしない」

「勿論、もしもの話さ」


 心外だという表情を浮かべたまま、ヴァルラは友の話の続きを待った。


「どうしてシルバーだけが人を感染させたんだろうなって」


 しばしの沈黙。そしてヴァルラは眉間に深く皺を寄せ、低い声でゆっくりと語り始めた。


「それは……奴が呪われた存在だからさ」

「呪われた?」


 退魔師でもある情報屋は、興味深そうに身を乗り出す。



 始祖ルーツは少なくとも数千年前には存在していたと言われる。それは人に似せた形態をとりながら、人に非ざる者だった。彼らが何者なのか、何のために存在するのか、彼等自身はっきりとは分からなかった。


「人も物も我々も「何か」のために存在するわけではない。ただそこに在るだけ。そこに意義を持たせるのは我々ひとりひとりの行いなのだ」


 ヴァルラの主、ルーファウスは時折そう語っては柔らかく微笑んだものだった。

 本来 完全な主従関係である始祖ルーツとドナーは、その英知を民のために用い領地を治めてきた。人々に慕われ、長い間人々と始祖ルーツは良好な関係を築いてきたのだ。


「だが百年ほど前、あるドナーがタブーを犯したんだ。何故その男が秘密を知ってしまったのかは分からないけれど……」


 そこまで言って、ヴァルラは言い淀む。ラウは、更に畳み掛けて質問したい気持ちをぐっと堪えて待つ。しばしの沈黙が部屋を包む。


「殺して、喰った」

「え……?」


 ぼそりと吐き出された言葉に、ラウは息を飲む。


「奴は主をその手にかけ、死肉を喰らったんだ。そうすることで始祖ルーツが持つ力を手に入れることが出来ると信じてね」


 しかし、主を裏切って得たその力は呪われていた。いや、彼そのものが呪われた存在となったのだ。男は血に飢えた闇の眷属となり、人を襲い血を啜るようになった。

 太陽の光に対する耐性もほぼ消えて、彼に血を吸われた者は同じく血を求めるようになる。そうして吸血の病が蔓延し、増えた怪物──ヴァンパイアは始祖ルーツもろとも人々の狩りの対象に変わった。

 ヴァルラの拳が固く握られる。


「そうして始祖ルーツは次々と狩られていった。そして唯一残ったのが俺のマスターってわけさ」


 そこまで言うと、ヴァルラは口をつぐんだ。


 その時、ラウの携帯に通信が入った。


「依頼か?」


 ヴァルラが期待を込めた目で、情報屋の携帯を覗き込んだ。ラウは少々渋い顔。


「どうかな。条件が渋いね。Aクラスで8000シードル、ねぐらは不明。最近こんなのばっかりだよ」

「この辺のヴァンパはミハイラちゃん達ハンターを嫌がって、どんどん街の外に出ちゃってるからねぇ」


 そのため、今回の依頼はヴァルラ達が暮らす北東の街から、遠く離れた南部の県だという。これにも若干の問題があった。


 まずは縄張りのようなもの。ヴァンパイアハンターは腕次第の早い者勝ちで、誰が狩っても恨みっこなしだ。

 しかし、それもある程度狭い地域の中での暗黙の了解。遠く離れた所からやって来た余所者が勝手に狩りをすると、地元のハンターから反感を買うこともままある。


「値段が安いのはまあ仕方がないとして。エリアが遠いのは大丈夫かねえ。同業者から恨まれるのは勘弁だぞ」

「大丈夫。どうやら南部のハンターの手に余る獲物で、皆参っているんだって。余所者も大歓迎だとさ」

「しかしこれだとミハイラちゃんは行けないな……」


 ヴァルラは口を歪めて考え込み、ラウははっとする。ミハイラはこの街を出る資格を持っていないのだ。

 とにかく金で階級が決まる国だ。彼女の移動許可が有効なのはこの街の中だけ。


「ごめん。すっかり忘れてた」


 ヴァルラは軽く首を振る。


「俺も時々忘れるくらいさ。世知辛いよなあ。なんでもかんでも金、金、金だもんな」


 ヴァルラは苦笑していた。ミハイラが行けない事も気にしていない風だ。それもそのはず、彼にはちょっとした心当たりがあった。


「その情報、買った」


 ヴァルラはにやりと笑って、支払いを済ませた。

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