第20話 雨が全部流してくれるのか
西公園は公園という名前には程遠く、すっかり荒れ果てていた。建物や遊具は経年による傷みが酷く、近くを仕切っているストリートギャングの名前やマークが、スプレーで一面に書き込まれている。
また、手入れもされていない生け垣などの木々は、伸び放題で鬱蒼と薄暗い。そんな空き地を通り過ぎるヴァルラと情報屋を、ギャングの卵と思しき少年たちが威圧するような目で見据えている。
「ヴァンパイアより厄介そうなのも居るねえ」
ぼそりとラウがこぼしたのを聞いていたかのように、少年たちが近付いてきた。
「俺達のシマに何の用だ、オッサン」
まだ顔つきは幼い少年とはいえ、大きい者は身長185cmはある。東洋人で小柄なラウは思わず何歩か後退った。
「それが、人間には用はないんだな。俺達、昼歩くヴァンパイアを探してるんだ。知らないか?」
ヴァルラは柔らかな笑みを浮かべたまま帽子を上げ、にこりと笑って4本の牙を見せた。
「うわ……っ」
ヴァルラの金の瞳と鋭い牙を見た少年たちは、一斉に腰が引けて顔色を変えた。
「あんたもヴァンパ…デイウォーカーじゃねえか!」
少年達の怯え方は尋常ではなかった。
「も、って事は他にも知ってるってことだよね?」
静かに優しいトーンの中にも、押し殺した脅しが含まれている。少年達は互いを見回し、口をつぐんだ。
「俺達も事を穏便に済ませたいと思ってるんだけどなあ」
ヴァルラの声が低くなり、瞳孔がきゅう、と小さくなった。それだけで場の空気は凍り付き、今度は少年達が後退し始めた。
そこに、割って入る音があった。割れんばかりの音量で、撒き散らされる音楽と共に走ってきた車のエンジンの爆音だ。車には5人の男が乗っている。
「おう、お前ら。俺のダチに何か用か?」
男達は揃いのタトゥーをし、あらゆる所にピアスをぶら下げている。察するにこの男達がストリートギャングのメンバーなのだろう。できれば厄介は避けたいところだ。
「ちょっと人捜ししてるだけだから気にしないで」
ヴァルラは再び帽子を深くかぶり、立ち去ろうとした。しかし少年が男に耳打ちすると、男は眉を上げヴァルラを呼び止める。
「あんたもヴァンパイア、しかもデイウォーカーか。もしかしてスペシャルなモノを探してるのかい?」
「スペシャル?」
確かに探しているのはスペシャルなヴァンパイアだ。しかし彼らが言っているものはシルバーではなさそうだ。
「新鮮なヤツだよ。今日採取したのもあるぜ」
「新鮮……採取、ああ。成る程」
ここでやっとヴァルラは理解した。彼らは独自に新鮮な血液を集めてヴァンパイア達に販売しているのだ。
「悪いけど、俺達が探してるのは昼歩くヴァンパイアだ。知らないか?」
男達の反応は少年達と同じだった。何か知っている。しかし何かを恐れて隠している。
「知らないね。噂にしか聞いたことがないぜ」
さらりと吐かれた嘘で、この場は妥協するしかなかった。
+++
契約者の母娘の元に戻ったミハイラは、彼女達のシェアハウスをチェックする。小さな二階建ては守りに徹するには向いている。しかも住民達は年金暮らしの老人やクスリ漬けの若者など。ヴァンパイアが好んで襲うのは、この親子くらいだ。警戒を一点に集中できる。
ヴァンパイア避けに銀の粉末をドアや窓、薄い壁などに吹き付けてあったのだが、この雨で一部流れてしまっただろう。今夜この雨が止むまでは、シェアハウスの前に隠れて待ち構えることにした。
温暖な気候のこの島ではあるが、ずっと雨に濡れていれば体温が奪われて体が冷える。
「今日はもう来ないかも知れませんから、中でお茶でも如何ですか?」
もう夜明けも近い時間だった。母親のリアナに声を掛けられ、ミハイラは室内に戻り熱い紅茶で冷えた体を温めた。タオルを借りて濡れた髪を乾かす。
「雨が止んだから、明るくなったらまた銀を塗布して、近くのスラム街に探しに行きますね」
「ここまでして頂いて、もう何とお礼を申し上げればいいのか……」
母親がそう言いかけたときだった。
「きゃああああああああっ」
ガラスが割れる音と悲鳴。ミハイラは、瞬時に音がした方へと駆け付けた。その目に映ったのは、やや小柄な黒いフードの男が少女を小脇に抱えて窓から飛び降りる姿だった。
「ケイティ!」
背後からは、娘の名を叫ぶ母親の悲痛な声。ミハイラも続けて窓から飛び降り、彼等を追った。水溜まりがはじく泥水を気にする事もなく、とにかく全力疾走を続けた。
どれくらい走っただろうか。彼女達は荒れた公園に行き着いた。黒いフードのヴァンパイアは逃げるのをやめ、意識のない少女をどさりと地面に取り落とした。
「観念したなら褒めてあげるわ。その子を置いてそのまま消えてもいいわよ。でももしも変な気を起こすなら容赦はしないからね」
ミハイラはナイフを手に半身を引いて構えた。小柄な彼女だが、男よりも大きく見える程の威圧感を放ち、睨みつける。一方黒フードは身構える様子もなく、静かに俯いている。指先から雨水が滴り落ちる。
「聞こえなかったかしら。ヴァンパイアでも命は惜しいわよね?」
男は暫く押し黙った後、ゆっくりと深くかぶっていたフードを上げた。
「ここでこんな風には会いたくなかったよ」
その顔を見て、ミハイラは凍り付いた。目の前に立っていた男は──。
「J、どうして……」
ミハイラは目を疑った。温和で気さくなバーテンダーのJが何故少女を襲ったりしているのか。
「配給血液で生活出来てたんじゃなかったの?」
自分は悪い夢でも見ているのだろうか。何かの間違いに違いない。必死で今のこの状況を否定しようとするが、返ってきた答えは絶望的なものだった。
「ダメなんだよ。あんな腐ったような古い血じゃ……。言っただろ? 一度勧められて闇ルートの血を飲んだら、もう後戻りなんて出来ない。味だけじゃない、得られるパワーもまるで違うんだ」
「じゃ、じゃあ闇ルートの血を飲めばいいじゃない。何も人を襲わなくたって……」
「僕の稼ぎじゃ続けるのは無理だったんだ。それで我慢できずに一人襲った。それが二度三度となって……」
Jは無表情で淡々と語っている。その顔に罪悪感は見て取れなかった。自分でもこの状況を理解できずにいるのか、それとも何度も人を襲ううちに感情が消え失せてしまったのだろうか。
「飢えてるんだ。邪魔をしないでくれ」
彼女が呆然としているうちにJが動いた。素早く少女…ケイティを抱え、コンクリート造りの倉庫の屋根に飛び乗った。
「J!」
女ハンターもそれを追う。が、既にJの鋭い牙がケイティの首筋に突き立てられていた。
「離しなさい!」
ミハイラの重い蹴りがJの顔面にヒットした。低い呻き声と共にJの体が宙を舞う。しかしその体が地面に叩きつけられることはなかった。彼は宙でくるりと回り、ふわりと着地した。慌ててケイティに近付けば、少女の首筋についた牙の痕から鮮血を流している。
「まずいわ……感染しちゃう」
血清は一つだけ携帯しているが、Jは再び屋根に飛び乗り、ミハイラに突きを繰り出してくる。Jの拳からは鉤爪が突き出し、パンチの連打と共にミハイラの皮膚を薄く切り裂く。一方の彼女は、敵の正体に衝撃を受け、攻撃が躊躇いがちになっている。
身軽で小回りの利くJとの立ち合いは、互いにダメージを与えられないまま時間だけが過ぎていく。噛まれた少女の事を考えると、まずはこの男を何とか説得しなければ、血清を打つ余裕もない。
「ねえ、今日は見逃すからこのまま帰って。二度と人間には手を出さないで。人を襲った事、誰にも言わないから!」
するとJは寂しげに笑い首を横に振った。
「秘密にしていても僕の罪は消えないよ。それにこれからも僕はずっと人を襲い続ける。それがヴァンパイアってものなんだ」
そのまま再び少女に覆い被さり牙を突き立て血を貪り始めた。
「やめなさいって言ってるでしょ!」
ミハイラは銀のナイフをJの横顔に強く押し当てた。ジュウウウウ、と肉が焼ける音と匂いがする。
「ギャアアアア」
その悲鳴は、人間のものではなかった。怪鳥の如き奇声をあげてJが床を転げ回る。ナイフがあてられた部分は青い炎をあげ焼けただれていた。
「Jお願い! あたしにこれ以上やらせないで!」
しかし、手負いのヴァンパイアは怯むことなくハンターに向かってくる。鉤爪が更に黒く鋭く伸び、ミハイラの白い肌に襲いかかる。小柄な分、動きが素早い。蜂のように空中から身軽に攻撃してくる相手に、ナイフでは不利だ。しかも相手はもう自分を知人だなどと思ってはおらず、確実に命を狙ってきている。
ミハイラは覚悟を決めた。迷わず銃を取り出し狙いを定める。同時にJが飛んだ。彼女に向かって真っ直ぐに飛びかかってくる。
公園に3発の乾いた銃声が響く。
胸に2発腹に1発命中し、Jは全身を青い炎に包まれていった。声を上げる事もなく、銃創の部分からさらさらと灰になっていく。その表情は何故か穏やかで、微笑んでいるかのようにも見えた。その笑みさえもあっという間に崩れ落ち、雨と混じって地面に浸み込んでいった。
ミハイラは無言のまま少女に駆け寄り、血清を打つ。傷の手当てをしていた彼女の耳が、微かな足音をとらえた。彼女は足音がした方を見もせずに声をかける。
「なんで、ここにいるのよ」
足音の主はヴァルラとラウだった。この公園で昼間ギャング達と接触し、情報を集め、そのまま近くのダイナーで食事をしていたのだった。
「別件で来てたら、ミハイラちゃんの声と銃の音がしたから、慌てて駆け付けてみたんだけど」
「あっそう。見ての通りよ。楽勝だったわ」
言葉とは裏腹に、声が震えている。
「大丈夫じゃないでしょ」
ヴァルラの慈しむような声。残り香で、倒されたのがJだと分かっていた。
「ミハイラちゃん、こういう時は泣いて良いんだよ」
相棒の声は飽くまでも優しい。いっそ叱ってくれれば、当り散らすこともできたのに。
「泣くわけないでしょ。悪いヴァンパをやっつけたんだから」
そう言いつつも涙声になるのを抑えられない。そしてすぐに両の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出た。一度溢れ出た涙は止まらないが、すぐに雨が洗い流していった。
「馬鹿よ。普通に暮らせていたはずなのに、どうしてこんな事になったの」
それには答えず、なだめるようにヴァルラが言い聞かせる。
「ミハイラちゃん。俺たちはヒーローなんかじゃない。そんなものにはなり得ないんだ」
その言葉に、彼女は拳をぎゅっと固く握りしめ、唇をかんだ。
「俺達がタダで仕事しないのはね、こういう時に僅かでも気休めが欲しいからなんだよ。救いのない仕事でも金のためだからって言えるからなんだ。俺たちにはどんなものでも良い、何か言い訳が必要なのさ」
バウンティハンターだった過去を持つヴァルラならではの言葉だった。
「……」
返事はないが、理解したようだとヴァルラは感じた。
「この子を家まで連れて行ったら一緒に帰ろう」
その言葉に、家出娘のハンターは素直に頷いた。
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