第18話 銀髪のヴァンパイア

 馴染みの店に入ったミハイラだが、いつも彼女が座っている一番奥の席には、見知らぬスーツ姿の客が座っていた。


「はあい、J。いつものね」


 手をひらひらさせ、いつもとは違うカウンターの真ん中に席をとる。カウンターに肘をつき、両手の甲に顎を乗せてにっこりと笑う。


「Jにもあたしから1杯どうぞ」

「あれ? てことは仕事上手くいったのかな。ごちそうさま」


 小柄な黒髪のバーテンダーはにこりと笑い、背後の貯蔵庫の扉に赤いカードを通す。カチリと音がして、扉が開いた。中には血液バッグが10個程入っていた。Jはそこから「A」と書かれたバッグを1つ取出し、封を開けてグラスに注ぐ。


「へえ。そういう形になってるんだ」


 向こう側から眺めていたスーツ姿の客が、感心したように小さく呟いた。男は国外からの客、恐らくビジネスで訪れたようだが、ヴァンパイアのバーテンダーが血を飲む姿に然程驚く様子はない。どうやらこの国を訪れるのは初めてではなさそうだ。


「国から払い下げされている正規品ですよ」


 Jは男に柔らかく笑いかけた。


「元々は人間の為に献血するじゃない? でもそれって使用期限があるのよ。だから捨てる代わりに配給するってわけ」


 ミハイラも自然と会話に入る。何せ相棒兼同居人がヴァンパイアだから、詳しくもなる。始祖ルーツのドナーであるヴァルラの場合は、人間と同じ食事で栄養補給できるが、それでもたまに配給血液を飲まなければ体が維持できないらしい。Jはグラスの赤い液体をごくりと喉へ流し込む。傍目にはトマトジュースを飲んでいるようにしか見えず、特に異様さは感じない。


「これがあれば人を襲う必要がなくなりますからね。本当に助かりますよ」


 不穏な事をふわりと話すものだから、男は僅かに苦笑を浮かべた。


「あらあ、酔いが覚めちゃった? J、彼にもあたしから一杯お願い」


 Jが男にラム酒のグラスを差し出し、男がミハイラに笑顔で礼を言う。


「不本意にヴァンパイアに変異した人達も多いから、国も救済策をとってるの。人を襲わず配給血液を飲むヴァンパイアには市民権も与えるし、仕事の斡旋、メンタルケアまでしてくれるのよ」

「へえ、至れり尽くせりだね。それなら人を襲うヴァンパイアも減ってる?」

「うーん、それで満足すれば良いんだけどねえ」


 ミハイラが苦笑する。Jも言いづらそうに言葉を挟む。


「生活に困って血液を売る人達もいます。所謂闇ルートで、これはかなり高価だそうです。これにハマると、また人を襲いたくなるらしく……」

「何せ鮮度が違うから美味しいんですってね」


 まるで朝採り野菜の話でもしているかの様な二人の会話に、男は終始困った様な笑みを見せる。


「大丈夫。ヴァンパイアで困った時は相談して」


 ミハイラはにっこりと笑って名刺を渡す。男はしげしげとカードを眺め、彼女に向き直って柔らかい笑みを浮かべた。


「ヴァンパイアハンターって本当に居るんだね。しかもこんなに素敵な美女が」

「ハ、ハンターが女でも構わないでしょ?」


 まだ酔った訳でもないが、ミハイラの頬は赤く染まっている。


「勿論。凄いと思うよ」


 誉められて、ミハイラはご機嫌だ。2杯目のおごりを振る舞って、グラスを合わせカチリと鳴らした。


+++


「で、何か分かったのか?」


 料理も酒もたらふく堪能して、今にも寝入ってしまいそうなラウの肩を、ヴァルラが揺さぶる。今日来てもらった本来の目的、銀髪のヴァンパイアの情報を聞き出さねばならないのだ。


「あー、そうそう。最近ちらほら噂を聞くようになったんだ。今までは目撃も少なかったのにね」

「油断したかな。まあ俺にとっちゃ好都合だけど」


 ヴァルラは、目撃情報を記した地図をラウから受け取る。それでもまだ、ねぐらや顔写真など詳細な情報は手に入っていない。


「大した情報でもないしご馳走にもなったから、今日の情報はタダでいいよ」

「おー、サンキュ」

「にしてもさ」


 ラウが顔を寄せてくる。


「ミハイラちゃんには無報酬の仕事は禁止してるのに、どうして都市伝説級のヴァンパなんか探してるのさ」


 長らく感じていた疑問をぶつけてみる。存在しているかどうかも分からないヴァンパイアに、懸賞金など誰も出さないだろう、と言いたいのだ。ヴァルラは苦い顔をした。


「存在する証拠さえ揃えば、国がたんまり懸賞金を出すさ。何せそいつこそが人を襲うヴァンパイアの発生源だったんだからな」

「へえ。その一匹からここまで増えたって?」


 情報屋は、初めて聞くその話に目を丸くした。ヴァルラは頷き話を続ける。始祖ルーツやそのドナーのヴァルラには、誰彼なく人を襲い血を啜りたいという欲求がない。所謂現在のヴァンパイアとは、全く違う存在なのだ。


「もともとこの世には数人の始祖ルーツしか存在してなかったんだ。彼等は何千年も前から、ひっそりと人類の営みを見守って来たんだよ」


 人間を超越した存在。とはいえ永い年月、己の肉体を保ち生き続ける為には、僅かながらも人間の生き血が必要だった。そこで始祖ルーツ達は己のパートナーとなる人間を選び契約を交わしてドナーとしたのだ。


「銀髪のヴァンパイアも元は始祖ルーツのドナーだった。でも、そいつは禁忌を犯して……」


 ヴァルラはそこで言葉を切り、しばし押し黙った。


「とにかく俺は、そいつを倒すようにマスターから言い遣ってここにいるんだよ。同胞から出た不始末は、俺達が片をつけるんだってな」


 それ以上は聞くな、とヴァルラの表情が物語っていた。


「眠そうだな。今日は泊まっていけよ」


 それだけ言い置いて、ヴァルラはテーブルの食器を片付け始めた。


「あー、そうしようかな。ソファー借りるよ」


 食器を下げるのを手伝いながら、ラウはふと時計を見てぎょっとした。針は深夜の2時をとうに回っている。なのにミハイラは一向に帰って来ない。ラウが恐る恐るヴァルラの表情を窺うと、部屋全体が凍てつくように静かな、しかし強い怒りに満ちていた。


「ヴァ、ヴァルちゃん。たまにはミハイラちゃんだって夜遊び楽しみたい時だって……」

「うるさい。とっとと寝ないと永眠させるぞ」

「おやすみなさーい」


 一転火を吐きそうな様子を見て、ラウは慌ててブランケットに潜り込む。まさに触らぬ神に祟りなし、だ。


(遊びたいお年頃なのに、こんな心配性な相棒じゃミハイラちゃんも可哀相に……)


 そんなことを考えているうちに、ラウはあっという間に眠りに落ちていった。


+++


「うるさいわねっ! 関係ないでしょ!」

「関係あるに決まってるでしょ。何かあったらどうするのさ!」


 翌朝、耳もとで響く怒鳴り声に、ラウは叩き起こされた。

 時計を見ると朝の5時。周りを見回し、夕べ自分がヴァルラの家に泊まったのを思い出す。


「大体20歳はたちにもなって、何でそこまで指図されなきゃいけないのよ!」

「他所から来た男なんて、どうせ遊びに決まってるじゃないか!」


 どうやらミハイラが朝帰りをしてきたために口論になっているらしい。


「だったらどうだって言うのよ。いい加減子供扱いはやめてったら!」

「そう言って、いつも結局遊ばれて泣いてるくせに……」

「うるさいこのお節介ヴァンパっ!」


 鉄で岩を叩くような硬い音がして、ヴァルラの体が宙を舞う。振り上げられたミハイラの拳には銀のメリケンサック。


「ゲフゥ」


 顔を炎に包まれたままリビングの天井にぶち当たり、無様に床に落ちた姿は車に轢かれたカエルのようだ。


「これ以上口出ししてきたら、相棒解消だから」


 押し殺した低い声から、彼女が本気なのが分かる。そのまま自分の部屋へ行き、しばらくして大きな鞄を担いで出て来た。


「え、ちょっとミハイラちゃん……?」


 ヴァルラの声に焦りが走る。


「その異常な過保護が治るまでは、戻らないからね!」


 そのまま振り返りもせずにバンと後ろ手にドアを閉めると、足音は足早に階段を駆け下りて行った。


「ミハイラちゃん……行くとこもないくせに」


 今にも泣きそうなヴァルラに掛ける言葉もなく、ラウは再び頭からブランケットを被った。

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