第17話 胃袋を掴め
鍋でポトフを煮込みながら野菜を刻み、ジャガイモを茹で、パイ生地をこねる。何品も同時にテキパキと作業を進めるのも、ヴァルラにとってはお手の物だ。
とはいえ、元から料理上手だった訳ではない。ヴァルラは、父とその仲間の賞金首ハンター達の中で育った。流れ者の彼らは住まいを持たず、時に長期間野宿することも厭わない。そんなタフでワイルドな連中だ。
自炊と言っても、仕留めた猪などを捌いて焼くだけ。家庭的な環境とは全く無縁だった。
そんなヴァルラに家事を任せたのが、彼を救った
「うん、美味しくできましたっ」
味見をして満足そうに頷く。これならミハイラも機嫌を直してくれるだろう。
焼き上がったチェリーパイをオーブンから出しながら、ヴァルラはかつての主に思いを馳せる。
主はルーファウスと名乗った。穏やかな笑みを浮かべるその姿にはヴァンパイアとは思えない品格があり、彼に対してはヴァルラも恐怖を感じることはなかった。
「あの盗賊共に屋敷を乗っ取られ難儀しておったのだ。お前はなかなかに腕が立つな」
そしてにっこりと笑い、言葉を繫いだ。
「取り敢えず何か美味しい菓子を頼む。紅茶はアールグレイのミルクティーがよいな」
そこからは日々奮闘だ。慣れない家事、特に料理には苦労した。
ワイルドな食事なら、そこそこ不味くないものは作れた。しかし、この主は小洒落た繊細な料理や菓子を好んだ。
ヴァルラが猪の丸焼きを作れば褒めてはくれる。が。
「実に野趣溢れる料理だ。これもよく出来ているが、次は魚介のキッシュなども」
褒めつつも、さりげなく高度な要求をしてくるのだ。
ヴァルラとしては一応褒められるものだから、気を良くして料理本片手に頑張るのだった。
中でも苦労したのはやはり菓子だ。そもそもヴァルラには菓子を食べる習慣がなかった。味を知らないのだから料理本通りに作っても上手くいかない。仕方がないので、しばらくは街の菓子屋から買ってきて、自分も食べながら味を研究したものだ。
それもこれも、
金の瞳がくるりと回り、頬に紅が差す。
またあの笑顔が見たい。ヴァルラの胸がちくりと痛んだ。
+++
一方ミハイラはベッドの上に膝を抱えて座っていた。
不安と絶望と罪悪感が混じり合い、焼け付くような気持ち。もう何年もヴァンパイアハンターをやっているが、こんな気分になるのは初めてだった。
これまでに知り合った少女達と姿が重なる。特に、救えなかった命が。一緒に戦い命を落とす少女は多かった。同じチームで同じ年頃で同じような実力。なのに何故彼女等が死に自分が助かったのか。
この痛みは救えなかった事ではなく生き残った事への罪悪感なのかもしれない。
「あーっ! もう!」
やりきれない思いを枕に叩き込み、そのままベッドに突っ伏した。
「難しいこと考えるの、嫌い!」
大きくため息をついたその時、トントンとドアをノックする音がした。
「ミハイラちゃん、ミハイラちゃん。美味しいダークチェリーパイが焼けたよっ! ほら、出といで」
あからさまな猫撫で声が鼻に付くが、チェリーパイと聞いてミハイラは飛び起きた。過ぎたことに怒っていても始まらない。そんなことよりも、焼き立てのパイが冷めてしまうことの方が余程罪深いではないか。
「食べる! 食べる食べる~!」
勢いよくドアを開け、キッチンへ駈け出した。にこにこ顔でヴァルラも後を追う。粗熱をとったチェリーパイを切り分け、バニラのアイスを添える。皿を受け取ったミハイラはアイスのようにとろけそうな表情だ。どんなに仕事で揉めても、美味しいものを目の前にすれば機嫌が直るのがミハイラの良いところだ。
「美味しい~! 今日のパイも最高!」
感激のあまりヴァルラの頬にちゅっとキスをする。完全にヴァルラに胃袋を掴まれているようだ。
折角機嫌が直ったので、ヴァルラも先程の話には敢えて触れないことにした。負けず嫌いのミハイラはその場では間違いを認めなくとも、心の中では分かっている事が多い。しつこく釘を刺しては、却って意固地になるばかりだ。
その後訪ねてきたラウと一緒に夕食を囲む。
キノコと魚介のサラダに4種のチーズソースのニョッキ、白身魚のパイ包みに熱々のポトフ。ワインのつまみ用にチーズとドライフルーツ、カナッペのプレートもある。
「おかわりもあるからどんどん食べてねっ」
言いつつ自分もモリモリと食べるヴァルラ。
「料理もとびっきり旨いけど、このワインもいいね~」
満足そうにラウが唸る。
「珍しく欧州のワインが手に入ってね、とっておきだよ」
公式な外交が禁じられているこの島国で、海外の製品はとても貴重だ。しかし食料やエネルギー等を全て自国で賄うのは難しい。そこで政府も「ヴァンパイアを国外に出さない」という事を条件に闇取引を見て見ぬふりしているのだ。
「ラウの情報のおかげでねぐらが分かったんだから、もっとたくさん食べてね!」
ほろ酔いで上機嫌なミハイラに頭を撫でられ、ラウは真っ赤になる。
気が気でないヴァルラは二人の間に割って入り、ミハイラからグラスを取り上げた。
「あー、ミハイラちゃんワインはそのくらいにして。デザート持ってくるから」
デザートはワイルドベリーのシャーベット。なめらかに舌で溶ける極上の逸品だ。
「おいしー! バケツで食べたいわぁ」
「さすがにそんなに作ってないけどね。そう言って貰えると嬉しいなあ」
頑張った甲斐がある、と嬉しそうなヴァルラ。
「ごちそうさまー。もうお腹いっぱい!」
皿をキッチンに片づけ、ミハイラは上着を片手に玄関へ。
「何か飲み足りないからちょっと出かけてくるー」
「いいけどミハイラちゃん、飲み過ぎないで、知らない人について行かないでね。それから……」
「はいはい、分かってまあす!」
相変わらずの過保護な相棒の忠告を軽くいなし、さっさとドアの向こうの暗闇に消えた。
「そろそろ子離れすれば?」
茶化す情報屋を一睨みして、ヴァルラはグラスのワインをあおった。
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