第16話 ミハイラだって夢を見る


 ミハイラは夢を見ていた。

 自分が育ったスラム街の外れで、道に迷っていた。夜の路地裏には、灯りや人通りはなく、時折痩せたネズミが走り去るだけ。

 彼女はまだ幼かった。普段は数人の仲間と組んでヴァンパイアを狩っていたが、彼らとはぐれたこの状況では獲物は確実に彼女の方だ。


 不意に影が走った。

 同時に冷気が彼女の頬を掠める。ヴァンパイアが、からかうように飛び交いながら、ミハイラの首筋を狙っている。

 手にした木の杭と鋼のナイフは、ヴァンパイアに太刀打ちできる武器とは言い難い。冷や汗が滝のように流れる。自分は、今日ここで死ぬのだろうか。ミハイラは言い知れぬ恐怖を感じていた。


 くくく、と押し殺す笑い声。影と風が彼女を何度も翻弄し、僅かに切り付けられた肌から赤い血がにじむ。猫がトカゲを弄ぶように、彼女の命を奪うまでの過程を楽しんでいるのだ。

 死にたくない。ミハイラは強く願った。

 こんな所で、ゴミのように死ぬのは嫌だ。生きてこの街を抜け出すのだ、と。


「こんな痩せっぽちでチビの血では物足りないが……まあいいだろう」


 ぞっとするような冷ややかな声が闇に響く。


「チ……チビじゃない!」


 チビという言葉が、彼女の逆鱗に触れたようだ。恐怖に声も出なかったミハイラが叫ぶ。しかしそれには答えず、ただくぐもった笑い声だけが路地に響いた。

 ああ、やはり自分はここで死ぬのだ。闇のような絶望が彼女を包んだ時、不意にその手を掴む者があった。


「こっち! 走って!」


 彼女は訳も分からず、促されるままに無我夢中で走った。それでも、ヴァンパイアの気配は執拗に後を付けてくる。


「そこに隠れて!」


 扉の陰に身を寄せて見上げると、そこに立っていたのはミハイラ自身だった。子供ではない、大人になった今のミハイラだ。


 ──違う。あの時あたしを助けたのは、初めて出会ったヴァルちゃんだった。


 この夢は、昔の記憶のままだ。ヴァンパイアが怖くて仕方ないヴァルラが、震える手足で立ちはだかり助けてくれたのを、ミハイラははっきりと覚えている。どんな武器を使ったかはよく見えなかったが、眩い光を覚えている。太陽光弾か何かのようだった。高価な武器を使うものだ、と驚いたものだ。


 だが、今目の前にいるのはヴァルラではない。銀のナイフを手にした、ヴァンパイアハンターのミハイラ本人だ。二人のミハイラの方へとヴァンパイアの気配が近づいてきた。


「そこ!」


 ハンターのミハイラが、ナイフを突き立てた。


「ああああああああっ!」


 絶望に染まった悲鳴。刺されたヴァンパイアは灰にならず、地面にぱたりと倒れ込む。よく見ればそれは人間の少女。スラムで面倒を見ていた、顔見知りの幼子だ。胸を深々とナイフで貫かれ、鮮血を撒き散らしている。


「いやあああ!」


 ミハイラは、叫ぶと同時に飛び起きた。心臓が早鐘を打ち、Tシャツがぐっしょりと汗で塗れている。


「……夢」


 彼女は大きく深呼吸をして、顔の汗をTシャツで拭う。酷い夢を見た。今回の仕事が終わってからずっと 明るく振る舞い、気にしていないようにしていた。しかし実際はあの少女のヴァンパイアの、怒りに満ちた断末魔の声と表情が、ミハイラの脳裏に焼き付いて離れないのだ。


「あたしは悪くない……相手は殺人ヴァンパイアだもの」


 自分に言い聞かせるように発せられた言葉も、弱々しく消え入りそうだ。


 ──その時。

 不意に鳴った玄関の呼び鈴が、落ち込んでいたミハイラを救った。


「はぁい」


 彼女がドアを開けると、人が立っていた。地味ながらも顔立ちの整った女性だ。


「すみません。リアナと申します。ヴァンパイアハンターの方だとお聞きして参りました」


 直接訪ねてくるケースはよくあるが、この女性は何となく普通と違う雰囲気を醸している、とミハイラは感じた。それが何なのか気にはなったが、ヴァンパイアに狙われた人間が普通でいられるわけもない。ミハイラは疑念を振り捨てた。


「どうぞ、今マネージャーは留守だけど、あたしで良ければ話を聞くわよ」

「……ありがとうございます」


 女性は深々と頭を下げ、自分の背後から少女を前に押し出した。


「娘のケイティです。守って欲しいのはこの子なんです。最近近所の年頃の少女たちが次々に……」


 年の頃は16,7歳といったところか。顔色が悪く無表情で一言も話そうとしないばかりか、目も合せない。


「無愛想ですみません、親友を襲われたばかりで……」

「酷い話ね。いいわよ。ねぐらを調査して狩るプランに、毎晩お宅でボディーガードするオプションもあるわ。詳しい金額はこの価格表を見てね」


 女性の顔は暗い。言いにくそうに切り出した。


「……実は、そのお支払なのですが……」


 早い話が、お金がないという。母親は娼婦で、二人はスラムに住んでいるそうだ。彼女が持参した札を見せる。53シードルと硬貨がいくつか。これでは調査費にもならない。


「ええと、あの、悪いんだけど……」


 歯切れ悪くミハイラが答えると、母親の表情が絶望に変わる。


「そう、ですよね。すみません」


 消え入りそうな声で言うと、娘の手を引き部屋を出ようとした。ミハイラの胸が痛む。さっきの夢も引きずって、何とかしてやりたいという気持ちになる。


「……あ、ちょっと。ちょっと待って。あたしがマネージャーを説得してみるから。ここに連絡先をお願い」


 親子が驚いた顔で振り返る。書類に住所と電話番号を記入し、何度も頭を下げて帰って行った。


+++


「ただーいまっ」


 それから30分もしないうちにヴァルラが帰ってきた。両手に抱えきれないほどの食材を抱えて。


「おかえりー。うわ、すっごいたくさん! 何? 何作るの?」

「それは後のお楽しみ、ってね。今日はラウも招待したけど、いいよね?」


 調理台の上に買ってきた食材を並べていく。色とりどりの野菜にいくつかの肉の塊、見たところ魚介もかなりの量がありそうだ。


「あはは、これだけあれば、ラウがいないと食べきれないわあ」


 言いつつミハイラはチェリーをつまみ食い。ヴァルラは、ふと室内に慣れないにおいを嗅ぎつけた。くんくんと犬のように鼻を効かせる。


「ミハイラちゃん、誰かお客さん来た?」

「あ、そうそう。さっき女の人が。さすがヴァンパイアねー。文字通り鼻が効くってね」


 あはは、とミハイラは笑うが、ヴァルラは少し不安そうだ。


「ミハイラちゃん接客とか向いてないからなー。商談成立しそう? 逃げられちゃった?」


 そこでミハイラが先ほどの顛末を話して聞かせた。ヴァルラの顔がみるみる強張っていく。


「タダ同然で引き受けるなんて、絶対ダメだって言ってあるでしょ!」

「だってぇ……」


 ミハイラは甚だ不服そうだ。


「ハンター稼業はボランティアじゃないんだから。連絡先なんて聞いちゃって、下手に期待させるだけ酷ってもんだよ」

「何よ! ヴァルちゃんが居なかったから代わりに話聞いただけじゃない。馬鹿! トンチキ!」


 思い切り平手を喰らわせ、そのまま自室へ駆け込む。


「あだっ! もー、何だよ」


 訳の分からないヴァルラだが、いちいち気にしていては相棒は務まらない。気を取り直すと今夜のディナーの準備を始めた。

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