第14話 NGワードは「犬」

「なによ今の。新しい芸?」


 古典的なコントのような見事なドタバタシーンを目の前で展開されて、ミハイラは呆気にとられる。いや、これがやらせならツッコミ役青年までわざわざ準備してたのか、と感心さえしていた。


「ん……んなワケないっしょ!!! な、なんだお前?! 今の……」


 まずはミハイラに、そして目の前の青年に訴えかけたヴァルラの目が、更に丸くなる。

 それもそのはず。さっきまで蒼い顔をしていたひ弱な青年は、怒りに顔を紅く染め、首には太い血管と筋を立てている。それだけではない。首や肩をいかつく強張らせており、その先の腕などは体つきに似合わぬ程に太く膨れ上がっている。


「グゥ、フ……。許さん。お前たち……ゼンブコロス……」


 言葉もたどたどしくなり、声もくぐもっている。それもそのはず、青年の顔はメキメキと、聞くものの鳥肌が立つような、異様な音を立てて形を変え始めているのだ。


「うわ……キモっ!!」


 二人同時に本音を漏らす。青年の骨が、肉が、大きく蠢きながら膨張していく。服が裂け露になった肌からは、ぞわり、と太い体毛が吹き出し全身を覆った。


「嘘……」

「マジかよ……」


 またもや同時に声をあげる。それもその筈。目の前に立ち塞がっているのは、身長2mを優に越える狼なのだ。しかし、それは人の形をもしていた。二本の足で立ち、節くれ立った指の先に鋭い爪が光る、則ち筋骨隆々たる狼男。


「狼男なんか本当に居たのかよ……!」


 ヴァルラはとても信じられない、という表情で叫ぶが、狼男からすれば「ヴァンパイアには言われたくない」と言ったところだろう。


「オマエ達、ホント、ニ、彼女ヲ……?」


 くぐもった声には絶望と哀しみが滲んでいた。


「えっと、あんたとは知り合いだったのかな?」


 恐る恐るヴァルラが問うのを遮り、ミハイラが挑発する。


「眠ってたから楽勝だったわよ、このロリコン!」


 その言葉を聞くやいなや狼男がミハイラに跳びかかった。


「ミハイラちゃん!」


 初めて遭遇した狼男、しかも体格的に到底勝ち目がなさそうな相手を敵にまわしたくないというヴァルラは、悲鳴に似た声で叫ぶ


 大人と子供程の身長差をものともせず、ミハイラは軽々と狼男の肩までジャンプすると、その顔に向けて廻し蹴りを放った。空中でくるくると回転し、目にも止まらぬスピードで何発もヒットさせる。が、効いていない。ミハイラは、ナイフを狼男の胸に振り下ろした。しかし、一瞬遅い。狼の大きな拳が、彼女の脇腹に叩き込まれる。遠く高く弾き跳ばされたミハイラは、ステンドグラスを突き破り、教会の外へと転げ落ちた。


「ぐう……っ」


 地面に落下し、強かに身体を打ち付けられてミハイラは呻いた。


「おい! こっちだ!」


 ヴァルラが杭打ち用のハンマーを振り回し、狼男の気を引く。先日倒したヴァンパイアよりも、遥かに恐ろしげで手強そうな相手だが、ヴァルラは果敢にも挑発を続けた。


「ウ……オレ ノ、マスター、ヨクモ……」


 マスター。男はあの少女をマスターと呼んだ。



 ヴァンパイアは、どうしても昼間のガードが緩くなりがちだ。ハンターに寝首を掻かれないように、下僕を傍に置くことも多い。普通は人間を洗脳して、身の回りの世話をさせている。

 あの少女の場合は、それが狼男だったという訳だ。しかも様子を見るに、洗脳された訳ではなく、本物の主従の絆があるようだ。ヴァルラの胸が酷く痛む。が、だからといってみすみす殺られる義理はない。

 ヴァルラはハンマーを、狼男の足めがけて大きく振り下ろした。

 がんっ、とまるで岩を叩いたかのような音。ハンマーは跳ね上がり、ヴァルラは反動でよろめいた。


「硬過ぎだろ……」

「グオオオオオオ!」


 ハンマーの一撃は、却って怒りに火を着けたようだ。狼男は深紅の口を大きく開けて襲いかかってきた。大きく鋭い牙が、ヴァルラの肩に食い込む。


「ぐ……!」


 噛み千切られるかと覚悟した瞬間。


「犬野郎、相手を間違ってるわよ!」


 ミハイラが、銀のナイフを狼男の脇腹に突き立てていた。肉の焼ける匂いがする。言い伝え通り銀は狼男にも効き目があるようだ。

 狼男は、咆哮をあげてヴァルラを解放した。振り返ったその目は、怒りに燃えている。全身を震わせ再びミハイラに襲いかかる。ミハイラは舌打ちした。

 武器のナイフは、ある程度のダメージは与えつつも、狼男の脇腹に刺さったままだ。メリケンサックはまるで及ばず、そのまま床に組み敷かれてしまった。


「ミハイラちゃん!」


 大きく開いた口、長い舌がゾロリとミハイラの顔を喉を這う。先程ヴァルラを襲った牙が、ミハイラの頭をまるごと喰い千切ろうとしている。

 咄嗟にヴァルラは、狼男の背中に跳びかかった。杭を男の首筋に突き立てようとするが、硬い毛と皮膚がそれを食い止めてびくともしない。銀の杭を握るヴァルラの手だけが煙を上げている。皮膚が焼け溶け落ちているが、ミハイラを救おうと無我夢中の彼は、痛みなど感じていないようだ。


「ミハイラちゃんから離れろ……!」


 1トーン低めの声。ヴァルラの相貌は一変した。間違うことなきヴァンパイアのそれに。

 赤黒く充血した目に金の瞳がぎらりと光を放ち、上下の牙と野獣のような爪が伸びる。


「ウオオオオオオオオ」


 狼の叫びではない。それはヴァンパイアの雄叫びだった。

 ヴァンパイアの爪が切り裂き、牙が穴を穿つ。それでも狼男は怯まずに、組み伏せたミハイラの肉を屠ろうと巨大な口を開け襲い掛かる。


「ヴァルちゃん、退いて!」


 叫び声と一発の銃声。


 少しの間を置いて、ミハイラにのしかかっていた狼男の体がぐらり、と揺れた。

 どさり。

 地響きと共に男は倒れ、下からミハイラが這い出してきた。


「大丈夫? 無事かい?!」


 半泣きで抱き起こすと、奇跡的にもミハイラに目立った怪我もなく、その手には銃が握られていた。


「銀の弾、狼男にも効いたわね」


 銃のマガジンを取り出し、込められた銀の銃弾を見せてはにかむように笑う。


「ミハイラちゃん! 忠告聞いてくれてたんだね! 嬉しいよ、俺……」


 ホッとしたのか感激したのか、ヴァルラはぽろぽろと泣き出す始末。


「やだもう、泣かないでよー。傷、大丈夫?」


 未知の存在である狼男との一戦も、終わってみれば傷を負ったのはヴァルラだけ。しかもヴァンパイアの治癒力のお陰で既に治りかけている。


「大丈夫大丈夫。銀を持ってた手とか噛まれた肩より何故か頭が痛いんだけどね。襲われた時にぶつけたかな?」


 自分が撃った銀の弾が、狼男を貫通してヴァルラの頭を掠めた、ということは内緒にしておこう、と思いつつミハイラは笑顔で親指を立てた。


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