第13話 痩せ男現る

「あのねぇ、ミハイラちゃん。お金に替えられる問題じゃないでしょ? ヴァンパハンターがヴァンパになるなんてシャレにもならないよ?」

「あらそう? ヴァンパがヴァンパハンターになったって話は有名だけどぉ?」

 

 からかうようにニヤリと笑うミハイラに、ヴァルラはすこぶる不機嫌だ。


「とりあえず、この血清代はミハイラちゃんの取り分から引いておくからね!」


 ぷい、とそっぽを向くと、そのままさっさと元来た道を戻り始める。


「えー?! そんなぁ、ひっどーい! 待ってよヴァルちゃん。ねぇ~!」


 ミハイラも慌てて後を追う。

 日頃は温厚なヴァルラだが、お金の管理に関しては非常にシビアなのだ。それに、命よりも出費が痛手な彼女にはいいお仕置きになるだろう。


「ね、ね、これってホラ、必要経費なんだしさ。依頼人に出してもらえばいいじゃない。ねぇ?」

「何て説明するのさ? ぐっすり眠ってたヴァンパイアにやられちゃいましたー、って? 我が社の評価ガタ落ちじゃないの」


 ミハイラが何を言っても、ヴァルラの返答は冷たい。こういう時にとことん痛い目に遭わせなければ、相棒の自信過剰は決して治らないと見越しているのだ。


「そこをうまーく取り次ぐのが有能マネージャーの腕の見せ所でしょうー?」


 ミハイラの声が、いよいよ甘ったるい猫撫で声になってくる頃、ようやく二人はピエタ像の所へ戻ってきていた。隠し通路を元通りに塞ぎ、やや日差しが西向きに変わってきた教会の中をまっすぐに出口に向う。


 若干のケチがついてしまったが、二人は共に一仕事終えた充実感を噛みしめていた。ヴァルラは、穴の開いた屋根から差し込む光に照らされる教会の床を眩しそうに見つめ、ミハイラは、壁に描かれた聖母と天使に向かってウインクを投げる。

 そうして、二人がほぼ同時に教会の扉の方を向いた時、彼らの視界に何かが入った。大きな紙袋が二つ、彼らの方へ向かって歩いてくる。

 いや、そんなはずはない。と目を凝らして良く見ると、がさがさと音を立てて紙袋の陰から男が顔を出した。


「何の用だ?」


 紙袋をどさりと地面に置くと、ガシャッと嫌な音がする。見れば袋から鋭いガラス片が覗いている。流れ出してきたのは牛乳で、教会の乾いた床にみるみる吸い込まれていく。しかし男が気にしているのは割れた牛乳瓶ではなく、目の前の怪しい男女だ。


 彼は警戒しているようでもあり、怯えているようでもあった。顔色が悪く非常に小柄で痩せている。年はおおよそ20代前半。サイズの合わない古着姿はまるでカカシのようで、見るからに路上生活者という風体だ。恐らく仕事も家も失って街にも居られず、ここへたどり着いて教会に寝泊まりしていたのだろう。


「牛乳? あんた、こんなとこに一人で住んでたのか? よくまあ無事でいたもんだ」


 教会の中がある程度片付いていたのは彼の仕業だったか、と二人は納得した。それにしても、恐ろしいヴァンパイアの棲家とも知らずに、ここで生き延びていたとは。恐らくは野鼠よりも不味くて血が少なそうな、その見た目のおかげだろう。そう思っては二人は笑いをかみ殺す。


「まぁ、もうここは安心だから感謝してね。こわーい化け物はやっつけてきてあげたわ」


 ミハイラはすれ違いざまに青年にウインクを送り、バイクを隠した木陰の方へ進む。


「……化け物?」


 青年は呆然とミハイラを見送る。


「あんたのこの豪邸は、実はヴァンパの棲家だった、ってわけ」


 にかっと笑って青年の横を通り過ぎようとしたヴァルラの肩を、青年の手が押しとどめた。


「もしかしてお前たち……ヴァンパイアハンターなのか?!」


 青年の顔は蒼ざめ、今にも泣き出しそうだ。ヴァルラは思わずぎょっとしてその手を払いのけ、その様子にミハイラも警戒の色を濃くする。


「何? そいつももしかしてヴァンパ?!」


 異状を察してミハイラが駆け戻ってくる。しかしヴァルラは薄笑いを浮かべて首を横に振った。


「いやぁ、コレ、どう見てもデイウォーカーなヴァンパじゃないよ。貧弱すぎるし、マズそうだし。ヴァンパの仲間だったとしても、ただの下僕だったんじゃない? 操られてたのか……ロリコンだったのか」


 呑気に青年をからかうような口調のヴァルラに反し、ミハイラはまだ警戒を解いていない。


「見た目じゃ分からないって言ったのヴァルちゃんでしょ?! いいわ、確かめるから。どいて!」


 拳に銀のメリケンサックをはめながら近づいてくる。肌にあてるだけで人間かどうかの区別はつくのだ。もちろん、彼女はあてるだけとは思っていないのだろうが。

 二人の会話を、青年は黙って聞いている。ただひどく悲しそうな表情を浮かべるだけで微動だにしない。


「あのねミハイラちゃん。俺の嗅覚舐めちゃイカンよ? ヴァンパの匂いくらい離れてても分かるって。こいつ、どっちかって言うと犬臭いくらいで……」


 それまでずっと俯き、今にも泣き出しそうだったひ弱な青年が、その一言に形相をガラリと変えた。


「だぁれがっ! 犬だぁぁぁぁぁぁっ!!」


 ヴァルラが言い終わるのを待たずに、怒りに目を血走らせながら飛び掛かってくる。まさに宙を舞うような、華麗な体当たりジャンプ。


「ちょ……! そこでキレるか普通?!」


 ロリコンだのマズそうだのと、散々言われても黙っていた青年の、この突然の変貌振り。ヴァルラがツッコミたくなるのは、至極当然の事だろう。しかし、呆れて叫んでいる間に、避けるタイミングを逃したヴァルラは、青年の体当たりをまともに喰らってしまった。


 とはいえヴァルラも一応はヴァンパイアのはしくれだ。自分より二回りは小さな人間に生身で攻撃されたくらいではビクともしない。ミハイラもヴァルラ自身もそう思っていた。しかし……。

 船が衝突したかのような音と振動が、地面や森を揺らした。驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ。


「…………ええええええっ?!」


 驚いたのは鳥たちだけではない。後ろからその光景を見ていたミハイラ、そして吹き飛んで激突し、見事に破壊された教会の扉の上に尻もちをついたヴァルラ本人も、目を丸くして固まっていた。

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