第12話 油断と迷いの代償は

 大きく見開かれた目は血を流しこんだように充血し、瞳孔が開いたままの瞳はトルコ石のように鮮やかな蒼色をしている。耳まで裂けんばかりに開かれた口からは、ヴァンパイアの証である鋭利な牙。


 美しく着飾った少女のヴァンパイアは、狩人のミハイラを呪うような形相のまま、蒼き炎に包まれていった。その炎に照らされて、石棺の中が一瞬明るく輝き、燃え尽きた後には再び薄暗い闇と静寂が訪れた。


 カラン、と石棺の底に銀の杭が転がるよりも早く、ヴァルラが動く。構えていたビデオカメラをそっと置き、素早い動きで自分の鞄の中から、透明なポーチを取り出した。


「ミハイラちゃん! 腕! 早く!!」


 その声はいつになく真剣で、表情も緊迫していた。呆けたように石棺を見つめていたミハイラも、その声に促されて自らライダースーツのファスナーを下げる。そうして露わになったのは、薄明りの下でもはっきりと分かる程の、傷を負った左腕だ。


 ミハイラは覚悟を決めて、少女の胸に杭を突き立てた。つもりだった。

 しかし、心のどこかに迷いがあったのだろう。いつもなら一瞬で貫く力とスピードは全く発揮されなかった。上級のヴァンパイアは防御能力も高い。たとえ儚い少女の姿をしていたとしても、見た目からは想像もできない頑強な肉体を持っているのだ。怯んだ状態での中途半端なミハイラの攻撃は、眠っていた獲物を憤怒と共に目覚めさせる結果となった。


 獲物の胸には、もう半分ほどの深さに杭が突き立てられていた。Bクラス以下のヴァンパイアであれば、もう充分な一撃だろう。だが、この金の巻き毛の怪物は、自らの胸を炎に包まれながらも怯むことはなかった。杭を穿つことで無防備になったミハイラの腕に掴みかかり、大木をへし折る程の怪力で捩じ上げてきたのだ。


 ミハイラは、掴まれた腕には頓着しなかった。ギシギシと軋む腕を折られないように堪えながらも、彼女の関心はそこにはない。もう片方の手にありったけの力と自らの体重をかけて、銀の杭を獲物の胸にねじ込み続ける。相手は呪詛の雄叫びを上げ、捕えた腕に深々と鋭い爪と牙を立てる。そして更に憎っくきハンターの首筋へと手を伸ばし……。


「あと少し遅かったら、首もやられてたよ」


 押し殺したヴァルラの声は静かだったが、その分込められた怒りの強さを感じさせた。


「……間に合ったじゃない」


 対するミハイラは、バツが悪そうにしてこそいるが、目を逸らし頬を膨らませるその顔に、反省の色は見られない。


 ヴァンパイアの爪がミハイラの首筋に届くと同時に、その全身は炎に包まれ崩れ落ちたのだ。傍目に危うく見えたかもしれないが、確実に勝算はあった。たとえ首筋まで掴みかかられ襲われたとしても、予備の杭をもう一つの急所である眉間にブチ込んでしまえば一瞬でケリがつくのだから。


 確かに自分で招いた危機ではあったが、そのために相棒に対して強気で反論できない事が、彼女にとっては一番悔しい。ミハイラは下唇をぎゅっと噛みしめる。

 ヴァルラがもしも更に何か言い出そうものなら、その事も含めて口撃してやろうと思っていたのだが、今のヴァルラはただ黙々と相棒の手当をしているだけだ。これでは言い返すこともできない。自分から畳みかけることも考えたが、それではまるで負け犬の遠吠えだ。気まずい沈黙だけが続く。彼女にとっては実に面白くない状況だった。


「もういいってば。大げさにしないでよ、もぅ!」


 仕事は済んだのだ。さっさと帰りたいミハイラは、他の色々な不満ものせて相棒の帽子をぺしぺしと叩きつぶす。いつもならここで「お気に入りの帽子なんだから!」とムキになるヴァルラなのだが、今回は違っていた。真剣な表情でミハイラの顔を覗き込んでくる。


「ミハイラちゃん、本当に平気? 気分悪いとか、頭痛いとかない? 痺れは?」

「な、なによ? わざと大げさにして脅かすつもりなんでしょ!」


 お小言では効果がないと判断して戦法を変えてきたか、とミハイラは身構える。だが、当のヴァルラはそんな態度を気に留める様子を見せない。口を固く結んだまま目を凝らし、ミハイラの首筋についた引っ掻き傷を丹念に消毒しはじめた。


「Aクラスに噛まれたの、初めてでしょ。このレベルになると首じゃなくてもヤバいんだよ。血清持ってきて本当にに良かったよ」


 強力なミニライトで照らしながら爪の色、下瞼の裏をチェックする手際は、病院の診察さながらだ。この念の入れようと真剣な様子を見ると、先程の言葉はただの脅しではないらしい。ミハイラは目を見開いて驚愕する。


「えー? さっきの注射、化膿止めじゃなくて血清だったの? あれ、すっごい高いのにーっ! 銀の弾丸が3つは買える代物でしょ?! あぁ~ん、勿体ないっ!!」


 悔しがっている。命と引き換えになった600シードルを、惜しいと叫んでいる。ヴァルラは思わず一瞬言葉を失う。そして魂を吐き出すほどに、長く大きなため息をついた。

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