第11話 想定外ってこういうこと
「……開けよっか」
気を取り直して、ヴァルラは石棺の蓋に手をかける。ミハイラも、目を輝かせて反対側を持つ。
昼間は眠っていると言っても、全く目を覚まさないわけではない。普通の人間よりは遥かに深い眠りについてはいるが、大きな音や振動を立てれば目を覚ます。そしてこの暗闇の中なら、日の光を恐れずに攻撃することも可能なのだ。折角ねぐらを突き止めたからには、目覚めさせることなく容易に仕留めたい。二人は慎重に、ゆっくりと蓋を持ち上げた。
「え……?」
棺の中を覗き込んだミハイラは、目を大きく見開き息を飲んだ。と同時に過去の記憶が瞬時に脳裏を駆け巡る。
ミハイラは孤児ではあったが、だからといって常に孤独という訳でもなかった。スラムとはいえ、そこにはしっかりとしたコミュニティが出来上がっている。様々な年齢や人種の、大人たちや年長の子供達がおり、貧しいながらも彼女の面倒を見てくれた。
そのようにして育てられたミハイラが、更に「新入り」の赤ん坊達の面倒を見る。こうして力のない者同士、お互いに支え合っていたのだ。
そうして接してきたためか、ミハイラは子供が大好きだった。腕の中ですやすやと眠る幼子が、無防備な表情で自分に全てを委ねている。それを見る度、嬉しいようなくすぐったいような、言い表せない満ち足りた気持ちになったものだ。この子供たちが独り立ちするまでは絶対に守る、そう幾度となく心に誓ったものだった。
彼女の、そんな過去の記憶を呼び起こされるような無邪気な寝顔が今、目の前にある。
レースがふんだんにあしらわれた純白のドレス。それを鮮やかに飾るのはサテンとオーガンジーで濃淡を出したピンクのリボンだ。白い肌は限りなくつややかで透き通っており、肩先まで伸ばした金の巻き毛は黄金の真綿のように少女を包み込んでいる。
多くの子供達を世話してきたミハイラだが、こんなに高貴で愛らしい少女を見たのは初めての事だ。
そう、石棺に横たわるヴァンパイアの正体は、薔薇色の頬を持つ愛らしい少女だったのだ。今の彼女は、任務中のヴァンパイアハンター。そして眠る少女が横たわっているのは、彼女の獲物がいるはずの石棺の中だった。名画に心を奪われたかの如く、ミハイラは呆けた表情で少女を見つめ続けている。
「ちょっと! ミハイラちゃん。何ぼーっとしてんの! 早くお仕事、お仕事!」
ヴァルラが囁くように言い咎める。瞬間、ミハイラははっと我に返った。
「え……? でも、あの、この子……」
目を泳がせる相棒からは、今までにない激しい動揺と困惑が、はっきりと伝わってくる。
ヴァルラは「あちゃー」という顔で額を押さえた。
「あのねミハイラちゃん。コレ、子供に見えても思いっきりAクラスのヴァンパだから。下手すると100年以上は生きてる古株だから!」
数知れないヴァンパイアハンターを、餌食にしてきたという恐ろしい敵。その寝床の蓋を開けたまま、間抜けな問答など続けたくはない。ヴァルラは滅多に見せないような苦い顔で、銀の杭を持ったミハイラの手を顎で促す。
「早く早く。ササっと済ませちゃおうよ!」
しかし、ミハイラは固まったように動かない。いや、動けなかったのだ。彼女はハンター歴もそれなりに長く、駆除したヴァンパイアの数もこの辺りでは歴代のトップクラスだ。そんなミハイラでさえ、このような幼い少女の姿をしたものに出会うのは初めてだった。ヴァルラにとっても、この獲物の姿はかなり意外だった。少女の姿のハイクラスヴァンパイアは、とても希少だからだ。
子供がヴァンパイアに感染した場合、その肉体や理性をそのままに保つことは難しい。免疫力も体力もない幼い体にヴァンパイアウイルスは強すぎるのだ。通常はそのまま枯死して骨や灰も残らない。それを避けられたとしても、朽ちた体で意志も持たずに徘徊し人や死肉を喰らう低質なアンデッドになるのが関の山だ。
「でももし違ってたら……」
「早く!」
ヴァルラの一喝。僅かだが、はっきりとした苛立ちを感じる。ミハイラ自身、この少女がただの死人、ましてや生身の人間だなど思ってはいない。それでもその見た目に怯んでいる彼女を、この相棒は叱咤しているのだ。
この一言でミハイラも覚悟を決めた。ぐっと口を結び銀の杭を構えると、再び少女の胸に目がけて一気に振り下ろした。肉体を穿つ際に感じる硬いゴムタイヤのような感触は、明らかに恐るべき防御力を誇るヴァンパイアのものだった。ミハイラはようやく安堵し、その手に全身の力を込めた。
「ウギイィィィィィィィィィッ……!!」
身の毛もよだつような叫びが、暗い地下空洞に響き渡る。いや、実際にミハイラの全身は総毛立ち、冷たい汗が噴き出していた。
それでも、彼女の手は今度こそ迷うことなく、鋭い銀の楔を打ち続ける。既に杭の先端はヴァンパイアの体を突き抜け、石棺の底にまで点を刻み始めていた。
「……ギュ……グ……ギグァァァァァッ!!!」
かつて少女の形をしていた顔に、既に愛らしかったその面影はない。木乃伊のように生気を失った貌を歪ませて発したその奇声が、「それ」の断末魔となった。
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