第10話 十字架なんて怖くない

 さらりと怖い事を言いつつも、ミハイラは浮かない顔で周りを見渡した。

 鬱蒼と茂る森の木々、草が伸び放題の道、朽ちて読めない立札。言われてみれば、確かにホラー映画のセットさながらの荒れ具合だ。夏の真昼だというのに、どこか薄ら寒いような空気さえ感じる。


「気味悪いのはしょーがないじゃない、ヴァンパ狩りにきてるんだし。じゃあ、ここで準備と点検ね」


 対する返答は淡々としたものだ。仕事となればヴァルラも急に真面目な顔に戻る。それはミハイラも同じだった。

 軽く肩を竦めると、先程の憂い顔はどこかへ消え去っていた。自分が運んできた武器や機材を、それぞれが手早く点検し、装備する。そして気配を殺して、静かにフェンスの奥へと進んで行く。


「え? ここってもしかして……」


 伸び放題になっているイトスギ群の陰から現れたのは、色あせた十字架だ。

 朽ちかけて穴の開いた屋根の上ではあるが、しっかりとその存在を示すように、空へ向かってそびえている。


「教会、なの?」

「もしかしなくても教会だよ? ほらここってさ、昔炭鉱があったときは学校もあって……」

「そうじゃなくて。ヴァンパの棲家が教会? いくら十字架が効かないって言っても、何か変じゃなぁい?」


 怪訝そうなミハイラと、そのミハイラの様子を不思議そうに見るヴァルラ。二人は一瞬黙って顔を見合わせた。


「んー、多分アンデッドに教会は居心地悪いとは思うけどさ。ここはもうこんな状態で……。つまり、信仰が消えれば、教会だってただのボロ家ってわけさ」


 ヴァルラは、目を細めて十字架を見上げた。目深にかぶった帽子と長い髪に隠れて、その表情は窺い知れなかったが、口元は皮肉を込めたような笑みを浮かべている。


「ふぅん? そんなもんかしらね」


 気のない返事をしたミハイラは、もうその事への興味は失っているようだ。ふいっと建物から視線を外すと、再び意識を集中する。そして、全く気配を感じさせることなく入口へと進んだ。


「どうやら、『何か』が棲んでるのは間違いなさそうね」


 教会の扉は風化してはいるが、蝶番には新しく油を差した跡がある。おかげで扉は実にスムーズに開き、古いオカルト映画のようにギギギギギギギィ、と軋む音を立てるようなことはなかった。


「今、ちょっとガッカリしたでしょ」

「えへ。分かっちゃった? だって雰囲気って大事じゃなぁい?」


 仕事というよりは、探検もしくは観光のような気分の二人の会話。久々の郊外での仕事だからか、それとも有り余る自信からくる余裕からか。

 教会の中は、意外な程にきれいに清掃されていた。溜まった埃などもほとんど無く、壊れた椅子や祭壇もきちんと整頓されている。

 舞い上がる埃が壁や天井の穴から漏れる光に、キラキラと反射して神々しい程だ。


「わぁ。いいわねぇ~、ここ」

「ここのヴァンパは随分ときれい好きみたいだねぇ」

「あはっ、まるでヴァルちゃんみたいじゃなぁい?」


 相変わらず二人の会話はのんびりとしている。

 しかし先へ進むと床板の腐食は激しく、歩くたびに床板が軋んで大きな音を響かせるようになった。


 二人は急に黙り込み、極力音をたてないよう気遣いながら、更に祭壇のある方へと進んでいく。

 先にヴァルラが祭壇に近づき様子をうかがい、壁や床を小さくコツコツと叩き、耳を澄ませるという行為を繰り返す。そしてその間も、ミハイラは銃を片手に周りへの警戒を怠らない。


 数分後、ヴァルラの動きが止まり目が輝いた。煤けたピエタ像が置かれた床に顔を近づけ、にんまりと笑みを浮かべる。

 ミハイラもすぐにそれに気づき、銃を仕舞ってヴァルラに近づく。ヴァルラが手で何か指示すると、ミハイラが黙って頷き像の台座に手をかける。そして二人一緒に像を前に横にと何度か方向を変えてスライドさせていく。


 そんな息の合った作業の末、二人は地下へと続く隠し通路を発見した。


「でも、なんでこんなトコに穴開いてるの?」


 真っ暗な通路の奥を覗き込んでから、ミハイラは今更のように問いかける。


「こういう郊外の大きな教会ってのは、窃盗団に狙われやすいのさ。だからこうして納骨堂の入口を巧妙に隠すんだよ」

「巧妙、なの? これ……」


 思わず突っ込むミハイラに、ヴァルラも苦笑する。


「まあ、本人達はそのつもりなんでしょ。実際根気がないと見つからないし、これだけの重さ、人数が相当いないと開けられないしね」


 言い終えてから、ミハイラの妙な視線に気づく。


「え? 何さその目?」

「ヴァルちゃんちょっと詳しすぎない? もしかして死体愛好……」


 あからさまに顔を顰め、ミハイラはちょっと後ろに体を引いた。


「ちょっ……! んなワケないっしょ! 忘れた? 俺、そういう窃盗団相手のハンターだったんだってば!」

「あ、そっか。なーんだ」


 理由を聞いてつまらなそうに呟くと、ミハイラは暗視ゴーグルを装着しながらさっさと通路の階段を降りはじめる。


 激しく傷ついた様子でしばし硬直していたヴァルラも、慌てて後を追う。


「え? ちょっと、何その反応。ミハイラちゃんてさ、一体俺にナニ期待してんの?」


 ヴァルラの切実な問いかけに、ミハイラは満面の笑みで振り向く。


「オイシイ仕事と美味しいご飯かなっ」

「あー、はいはい。そうですよねー」


 棒読みで返しつつ引きつった笑みを浮かべ、ヴァルラは肩を落として大きくため息をついた。


 地下通路は想像以上に深く、広かった。もちろん灯りなどは何もない。そこはひんやりと、ただ静かだ。ミハイラはぐるりと見回した。堅い岩盤を掘り抜いたトンネルは、降りるのに中腰になる必要もない高さと広さがあった。


「すごい通路ねー」

「炭鉱の町だからね。穴を掘るのは得意なんだろ」


 真面目なのか冗談なのか分からない、短い会話を時折交わしながら、ようやく二人は勾配のない場所に出た。


 ただ岩を削っただけの壁が、そこからはガラリと表情を変える。両側の壁は鮮やかなモザイクタイルで彩られ、床には石灰岩が敷き詰められている。

 地下にこれだけの細工を施すところを見ると、炭鉱で栄えた時代にはさぞ華やかな街だったのだろう。


 少し進むと、更に通路が広がり燭台が並んでいる。その通路の奥には、鉄格子の大きな扉。どうやら、この先が納骨堂になるようだ。二人の読みが正しければ、そこに狙いのヴァンパイアが眠っているはずだ。

 自然と二人の表情も引き締まる。

 格子戸はキィ、と軽い音を立てただけで、簡単に二人に道を開けた。目の前には、多数の棺が整然と並べられている。


 火葬の風習がないこの国で、遺体はこのように棺に納められ、土葬または納骨堂に安置されるのが普通だ。近年は政府がヴァンパイア対策として、火葬を奨励し始めているが、現実に荼毘に付されることはまだ少ない。


 闇の中を、二人は静かに進んで行く。中は驚くほどに奥行きがあり、奥に行くほど棺は立派なものになっていく。

 恐らくは、棺の中にも多くの宝飾品が遺体と共に納められているのだろう。お金には目がない二人ではあるが、これらに手を付けるような事は一切ない。彼らの仕事は、飽くまでもヴァンパイア退治だ。安らかに眠る死者を冒涜するような行為は、そのプライドが許さない。


 ようやく二人は、部屋の一番奥に辿り着いた。そこはまるで祭壇のようになっており、壁一面に聖画が描かれている。その中央には、ひときわ大きい石棺。彫金や彫刻で美しく飾られ、中央には黒檀の十字架がはめ込まれている。そして、その蓋の部分には何度も開け閉めされたような、新しい擦り傷があった。もちろん暗闇でそれを確認できるのは、ヴァンパイアであるヴァルラの視力くらいのものだ。


「さすが一番い良い寝床に寝てるよ」

「あら、じゃあヴァルちゃんこれ持って帰れば?」

「……俺、こーゆーレトロなの趣味じゃないし」

「うん、あたしも」

「……………………」


 ミハイラはとにかく思いつきで話すので、まともに返すヴァルラは毎回こうして絶句することになる。

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